2018 05/31 19:02
Category : 日記
京都の霊源院に甘茶の庭を見に行きました。
霊源院の庭には甘茶が植えられていて甘茶の庭として知られています。
その甘茶の庭でも特に私がお気に入りなのが「七段花」(しちだんか)と言う紫陽花の一種です。
七段花は、シーボルトの紫陽花とか、幻の紫陽花とも呼ばれています。
江戸時代の末期に、シーボルトは長崎のオランダ商館付きの医師として着任し、日本に近代医学を伝えましたが、一方では熱心な植物好きでした。
彼はアジサイには特に深い関心を寄せていたそうで、植物に関する著書の「日本植物誌(フローラ・ヤポニカ)」で、日本のアジサイとして紹介していたのが、このシチダンカ(七段花)だったのです。
しかし、明治時代に入ってもこのアジサイの所在は全くわからず、この花を見たという情報や標本も存在しないことから、長い間「幻の紫陽花」と呼ばれていました。
昭和34年になり、神戸市立六甲山小学校の職員が、六甲山ケーブルの沿線で偶然に発見して、採取して話題となったのです。
なんと、シーボルトがこの花を発見してから実に130年という長い歳月も発見されずに「幻の花」とされていたのでした。
この花は、その後、神戸森林植物園で挿木によって増やされると、現在では各地の庭園などに植えられて広まっています。
七段花の花は盛りを過ぎつつありましたが、小さく美しい花を見ることが出来て満足でした。
霊源院の庭には甘茶が植えられていて甘茶の庭として知られています。
その甘茶の庭でも特に私がお気に入りなのが「七段花」(しちだんか)と言う紫陽花の一種です。
七段花は、シーボルトの紫陽花とか、幻の紫陽花とも呼ばれています。
江戸時代の末期に、シーボルトは長崎のオランダ商館付きの医師として着任し、日本に近代医学を伝えましたが、一方では熱心な植物好きでした。
彼はアジサイには特に深い関心を寄せていたそうで、植物に関する著書の「日本植物誌(フローラ・ヤポニカ)」で、日本のアジサイとして紹介していたのが、このシチダンカ(七段花)だったのです。
しかし、明治時代に入ってもこのアジサイの所在は全くわからず、この花を見たという情報や標本も存在しないことから、長い間「幻の紫陽花」と呼ばれていました。
昭和34年になり、神戸市立六甲山小学校の職員が、六甲山ケーブルの沿線で偶然に発見して、採取して話題となったのです。
なんと、シーボルトがこの花を発見してから実に130年という長い歳月も発見されずに「幻の花」とされていたのでした。
この花は、その後、神戸森林植物園で挿木によって増やされると、現在では各地の庭園などに植えられて広まっています。
七段花の花は盛りを過ぎつつありましたが、小さく美しい花を見ることが出来て満足でした。