2018 05/19 04:29
Category : 日記
京都の地下鉄烏丸線の「北山」駅から、下鴨静原大原線を北に向かって上がって行くと東の方に「深泥池」(みどろがいけ)がある。
この深泥池は、古代からの自然を残す国の天然記念物に指定されている貴重な池なのだ。
山の側に静かにある池なのだが、池の面積は約9万㎡、周囲は約1.5kmの自然池で水深は1mと浅いが泥土の湿地である浮島をはじめ、氷河期からの泥や植物や生物の堆積して稀少な動植物の姿を残す池なのだ。
貴重な自然の宝庫で、動植物の持ち帰りも、持ち込みも固く禁止されている。
池には、多くの水草が浮かんでおり、水鳥やアメンボが気持ち良さそうに水面を泳いでいる。
この深泥池と前回に紹介した「大田神社」は歩いていけるほどの比較的近い距離にあり、この深泥池と大田神社の沢とは地下でつながっているとの説もあるようだ。
さて、この深泥池は実は京都でも有数の怪談スポットとして有名なのである。
いつの頃から幽霊の出ると言う話が伝わッたのか判らないが、私の子供の頃にはすでに幽霊が出ると言う話しで怖がられていた。
池の近くにあった病院の患者が入水自殺したとか、死体置き場があったとか、いろいろと噂があり、夜中に池の側を車で通ると女性が立っていて、車に乗せるといつの間にか消えてしまったと言う系列のお話が多い。
特に昭和44年の10月に起きたお話では、あるタクシーが深夜に祇園からお客さんを大学の付属病院の近くまで運んで、その日の日誌をつけていると中年の女性が窓を叩いて、深泥ヶ池の近くの家まで乗せて欲しいと言う。
運転手は、もう終わって車庫に帰ろうと思ってたので迷惑に思ったが、女性は病院の患者なのかやつれた感じでかわいそうに思ったので乗せていく事にした。
女性は病院によくある消毒液の臭いが強くて、運転手がルームミラーで時々見ると、こちらを見返したりしたそうだ。
やがて、深泥ヶ池に着いて、どの辺りか聞こうと運転手が振り返ると女性は消えていたそうだ。
運転手は、確実に女性を乗せているので、見ると窓が開いているので、どこかで女性が飛び降りたのかと心配し警察に連絡した。
警察では連絡を受け、パトカーが4台も来て、来た道や周辺を捜索したが、女性は見つからなかったそうだ。
結局、窓から飛び降りるのも無理があるし、運転手の勘違いで初めから女性を乗せていなかったのではないかと言う事になったそうだが、後に運転手の同僚の知り合いが、あの日に運転手が車に女性を乗せるのを偶然見ていたと言っていたそうだ。
やはり霊だったのだろうか、病院で亡くなった女性が家に帰りたかったのかも知れないなぁなどと思ってしまう。
これ以外にも、タクシーや車で霊を乗せたり見かけたりと言うお話が多いのが深泥ヶ池の特長だが、確かに夜中に池の近くを通るのは不気味なものがあるのだろう。
深泥池は、奈良時代の僧・行基がこの地で修行した所、弥勒菩薩が池から現れたと言う話もあるようだが、和泉式部が「名を聞けば、影だに見えじみどろ池に、棲む水鳥のあるぞ怪しき」と歌を詠んだとも言われていて、平安時代から恐ろしい場所だったのかも知れない。
また大蛇が棲んでいたと言う伝説もあるようで、大徳寺の徹翁和尚の説教を聴きに深泥池の大蛇が美女に化けて現れたと言い、そのせいか大蛇が説教を聴いた場所では梅雨時になると水が湧き出て「梅雨水」と呼ばれたそうである。
さらに、有名な伝説である「小栗判官」と関わる話もあり、この大蛇が、鞍馬詣でに笛を吹きながら向かう小栗判官に一目惚れし美女に化けて妻に納まることに事になった。
しかし、大蛇がいなくなったせいか大雨が降って小栗判官は都を追われる事になったそうである。
この深泥池には、別に「節分」と「豆まき」に関する伝説も伝えられている。
もともとの節分とは、「節分かれ」(せちわかれ)といって季節が変わる節目のことで、立春の前日をさすと言う。
本来の節分は、冬から春への変わり目になり、季節が変わる大切な節目としていたが、今では外から邪気や悪魔が入ってくるのを防ぐようになり、庭からくる鬼に大豆を投げつけて追い払うように変わっていった。
その節分と豆まきの由来にまつわるのが深泥池の「豆塚」伝説なのである。
むかし、この「深泥池」(みどろがいけ)には「豆塚」という塚があったとされ、平安京の北には鬼たちが夜になると出没し悪さをして人々を困らせていたと言う。
この鬼たちは洛北の貴船の谷に住み、地下道を通って深泥池の畔の穴から地上に出て騒いでいたそうだ。
そこで困った人々は、鬼を退治するために鬼が嫌っている豆を投げ入れたところ、鬼は静かになり出てこなくなり、それ以来、鬼の出入りする穴に節分の豆を捨てるようになったとされ、これが節分に豆をまいて、鬼を追い払うことの始まりだと伝えられている。
何でも、この鬼の穴の跡に豆塚があったとされていて、それが近くの「貴船神社」ではないかと言う説があるそうだ。
その貴船神社は、鞍馬の奥にある有名な貴船神社とは別で、鞍馬の貴船神社が市中から遠く不便なので、この地に勧進して建てられたのが深泥池の貴船神社だと言われている。
今では、その痕跡すらないが豆塚は「魔滅塚」にも通じると言われて、京都の人が節分で使った豆を紙に包んで、この塚に捨てに来てたと言う話もあるようである。
ところで、豆を投げられ追い払われた鬼たちは、奈良の吉野の金峯山寺に暖かく迎えられていたそうで、そこで鬼火の祭典で今までの悪行を改心すると、「良い鬼」になっていったと言う。
その事から、この金峯山寺では「福は内、鬼も内」と、ほかとは違ったかけ声で豆まきが行われるとされている。
深泥池は自然の宝庫の静かな池なのだが、いろいろな伝説のせいもあって何となく怖い場所に感じてしまう。
また、画家の池大雅は深泥池付近の生まれだそうで、農家だったそうである。
貴船神社には近年になり池大雅生誕地の石碑が建てられている。
この深泥池は、古代からの自然を残す国の天然記念物に指定されている貴重な池なのだ。
山の側に静かにある池なのだが、池の面積は約9万㎡、周囲は約1.5kmの自然池で水深は1mと浅いが泥土の湿地である浮島をはじめ、氷河期からの泥や植物や生物の堆積して稀少な動植物の姿を残す池なのだ。
貴重な自然の宝庫で、動植物の持ち帰りも、持ち込みも固く禁止されている。
池には、多くの水草が浮かんでおり、水鳥やアメンボが気持ち良さそうに水面を泳いでいる。
この深泥池と前回に紹介した「大田神社」は歩いていけるほどの比較的近い距離にあり、この深泥池と大田神社の沢とは地下でつながっているとの説もあるようだ。
さて、この深泥池は実は京都でも有数の怪談スポットとして有名なのである。
いつの頃から幽霊の出ると言う話が伝わッたのか判らないが、私の子供の頃にはすでに幽霊が出ると言う話しで怖がられていた。
池の近くにあった病院の患者が入水自殺したとか、死体置き場があったとか、いろいろと噂があり、夜中に池の側を車で通ると女性が立っていて、車に乗せるといつの間にか消えてしまったと言う系列のお話が多い。
特に昭和44年の10月に起きたお話では、あるタクシーが深夜に祇園からお客さんを大学の付属病院の近くまで運んで、その日の日誌をつけていると中年の女性が窓を叩いて、深泥ヶ池の近くの家まで乗せて欲しいと言う。
運転手は、もう終わって車庫に帰ろうと思ってたので迷惑に思ったが、女性は病院の患者なのかやつれた感じでかわいそうに思ったので乗せていく事にした。
女性は病院によくある消毒液の臭いが強くて、運転手がルームミラーで時々見ると、こちらを見返したりしたそうだ。
やがて、深泥ヶ池に着いて、どの辺りか聞こうと運転手が振り返ると女性は消えていたそうだ。
運転手は、確実に女性を乗せているので、見ると窓が開いているので、どこかで女性が飛び降りたのかと心配し警察に連絡した。
警察では連絡を受け、パトカーが4台も来て、来た道や周辺を捜索したが、女性は見つからなかったそうだ。
結局、窓から飛び降りるのも無理があるし、運転手の勘違いで初めから女性を乗せていなかったのではないかと言う事になったそうだが、後に運転手の同僚の知り合いが、あの日に運転手が車に女性を乗せるのを偶然見ていたと言っていたそうだ。
やはり霊だったのだろうか、病院で亡くなった女性が家に帰りたかったのかも知れないなぁなどと思ってしまう。
これ以外にも、タクシーや車で霊を乗せたり見かけたりと言うお話が多いのが深泥ヶ池の特長だが、確かに夜中に池の近くを通るのは不気味なものがあるのだろう。
深泥池は、奈良時代の僧・行基がこの地で修行した所、弥勒菩薩が池から現れたと言う話もあるようだが、和泉式部が「名を聞けば、影だに見えじみどろ池に、棲む水鳥のあるぞ怪しき」と歌を詠んだとも言われていて、平安時代から恐ろしい場所だったのかも知れない。
また大蛇が棲んでいたと言う伝説もあるようで、大徳寺の徹翁和尚の説教を聴きに深泥池の大蛇が美女に化けて現れたと言い、そのせいか大蛇が説教を聴いた場所では梅雨時になると水が湧き出て「梅雨水」と呼ばれたそうである。
さらに、有名な伝説である「小栗判官」と関わる話もあり、この大蛇が、鞍馬詣でに笛を吹きながら向かう小栗判官に一目惚れし美女に化けて妻に納まることに事になった。
しかし、大蛇がいなくなったせいか大雨が降って小栗判官は都を追われる事になったそうである。
この深泥池には、別に「節分」と「豆まき」に関する伝説も伝えられている。
もともとの節分とは、「節分かれ」(せちわかれ)といって季節が変わる節目のことで、立春の前日をさすと言う。
本来の節分は、冬から春への変わり目になり、季節が変わる大切な節目としていたが、今では外から邪気や悪魔が入ってくるのを防ぐようになり、庭からくる鬼に大豆を投げつけて追い払うように変わっていった。
その節分と豆まきの由来にまつわるのが深泥池の「豆塚」伝説なのである。
むかし、この「深泥池」(みどろがいけ)には「豆塚」という塚があったとされ、平安京の北には鬼たちが夜になると出没し悪さをして人々を困らせていたと言う。
この鬼たちは洛北の貴船の谷に住み、地下道を通って深泥池の畔の穴から地上に出て騒いでいたそうだ。
そこで困った人々は、鬼を退治するために鬼が嫌っている豆を投げ入れたところ、鬼は静かになり出てこなくなり、それ以来、鬼の出入りする穴に節分の豆を捨てるようになったとされ、これが節分に豆をまいて、鬼を追い払うことの始まりだと伝えられている。
何でも、この鬼の穴の跡に豆塚があったとされていて、それが近くの「貴船神社」ではないかと言う説があるそうだ。
その貴船神社は、鞍馬の奥にある有名な貴船神社とは別で、鞍馬の貴船神社が市中から遠く不便なので、この地に勧進して建てられたのが深泥池の貴船神社だと言われている。
今では、その痕跡すらないが豆塚は「魔滅塚」にも通じると言われて、京都の人が節分で使った豆を紙に包んで、この塚に捨てに来てたと言う話もあるようである。
ところで、豆を投げられ追い払われた鬼たちは、奈良の吉野の金峯山寺に暖かく迎えられていたそうで、そこで鬼火の祭典で今までの悪行を改心すると、「良い鬼」になっていったと言う。
その事から、この金峯山寺では「福は内、鬼も内」と、ほかとは違ったかけ声で豆まきが行われるとされている。
深泥池は自然の宝庫の静かな池なのだが、いろいろな伝説のせいもあって何となく怖い場所に感じてしまう。
また、画家の池大雅は深泥池付近の生まれだそうで、農家だったそうである。
貴船神社には近年になり池大雅生誕地の石碑が建てられている。