三年坂
京都の東山にある「清水寺」は、京都でも有数の観光名所で、毎日に多くの観光客が訪れている。

その清水寺への参道の途中、七味屋と経書堂の間に続く石段が「三年坂」と呼ばれる石段なのはご存知の方も多いだろう。

さて、この三年坂の言い伝えで有名なのが三年坂で転ぶと3年以内に死んでしまうと言う物だ。

確かに、この三年坂は少し急な石段で雨などで濡れた時など滑りやすいかと思うので転ぶと危険ではある、ちなみに石段は47段あるそうである。

この三年坂の名前の由来は、もともとは「産寧坂」(さんねいざか)と呼ばれたのが、三年坂へと転化した物だと言われている。

かつて、昔は現在の「松原通り」が「五条通り」であり、「松原橋」が「五条橋」であったので、五条通り(現・松原通り)から五条橋(松原橋)を渡り、六波羅密寺や珍皇寺を経て清水寺の参道を通り、清水寺へと向かうのが一般的な参道であり、産寧坂を通って参道へ向かう事が多かったのだと思われる。

清水寺の境内の、清水の舞台から錦雲渓を眺めれば、離れて「子安ノ塔」と言う三重塔が見えるが、この子安ノ塔は、昔は「泰産寺」(たいさんじ)として現在の清水寺に入ってすぐの仁王門の南側にあったのだと言う。

それが明治44年(1911年)になって、現在の場所に移転されたのだそうだ。

その泰産寺は「泰産」の名や「子安」の名のように「安産」に御利益のあるお寺として深く信仰されていて、産寧坂の名前も清水寺と言うよりも、泰産寺に安産のお参りに行く人が多くて付いた名前なのだそうだ。

そこで、産寧坂が三年坂へと転化し、転ぶと3年以内に死ぬと言う伝説も、実は泰産寺にお参りする妊婦の方達に気をつけるようにとの思いから、注意を呼びかけるように作られた言い伝えだと言う説を聞いた事があるが、他にも諸説ありはっきりしないようである。


この三年坂の伝説にちなんで、ひとつ面白い話も残されている。

ある日、足腰の弱まった老僧がこの三年坂で転んでしまったそうだ。

この頃には、三年坂で転ぶと3年以内に死ぬと言う話が広く知られていたので、見ていた周りの人が驚いた。

その中に瓢箪屋の主人がいて、急いで駆け寄って老僧を助け起こすと三年坂で転ぶと3年以内と亡くなると言う話をしたと言う。

すると、老僧はニコッと笑顔になると

「わしは、もう年寄りで身体も弱り、いつ死ぬか判らない身だと思っていたが、3年で死ぬとは、あと3年は大丈夫と言うことだ。これはありがたい事を聞いたわい」

そう言って喜んで去っていったと言う。

物は取りようと言うことだろうか。

そう言えば、三年坂の途中に瓢箪を売っているお店が一軒あるが、この瓢箪は魔除けの瓢箪で、三年坂で転んでも、この瓢箪があれば大丈夫と言う話もあるそうだ、この辺りは商い上手と言う事なのかも知れない。

瓢箪は「ふくべ」とも呼ぶ縁起物でもあるが、この瓢箪屋は江戸時代の天保8年(1837年)には創業されていた老舗でもある。