2018 03/30 04:21
Category : 日記
京都でも人気の観光スポットに嵯峨野の地があるが、その嵯峨野の西北の辺りに平家物語に所縁の「祗王寺」と「滝口寺」と呼ばれるお寺が隣り合うようにある。
祗王寺が先にあり、滝口寺は奥の石段を登っていくからか滝口寺のほうが少し人が少ないように思う。
滝口寺は、元は往生院三宝寺と言ったらしいが、今では滝口寺で通っているそうだ。
そして、その滝口寺の名前の由来ともなった「平家物語」に所縁の滝口入道と横笛の悲恋の伝説の残るお寺である。
むかし、平家が全盛の頃の話しだが、平清盛の娘で安徳天皇の母である建礼門院に、「横笛」と言うたいへん美しい女性が仕えていた。
ある日、建礼門院の兄の平重盛の家臣で「斎藤滝口時頼」と言う武士が、清盛の西八条での花見の宴で、建礼門院に仕えている女官の横笛に一目惚れしてしまう。
それからというもの、時頼は横笛の事が頭から離れず、恋しい思いは募るばかりとなる。
そんな時頼の様子を不信に思った乳母が、時頼にどうしたのか訊ねてみると、時頼はこれこれと横笛への思いを打ち明けた。
乳母は、時頼に横笛への文を書くように勧めて、時頼は横笛への想いを歌にする。
~人はいざ 思ひも寄らじ わが恋の 下に焦がれて 燃える心を~
~君ゆえに 流す涙の 露ほども われを思はば うれしからまし~
こうして、時頼は、横笛への思いを綴った歌を詠むと横笛に届けさせた。
横笛は時頼から思いを告げられ驚いたが、
~埋み火に 下に焦がるると 聞くからに 消えなん後ぞ さびしからまし~
「灰の下に埋めた炭火のように、恋しく思ってくださると聞くにつけ、その火が消えた後はさぞかし寂しいことでしょうね」
そのように返歌を作って時頼に届けさせるのである。
それから時頼と横笛は文を交わして愛し合うようになり、硬い契りも結んで幸せな日々が続いていた。
しかし、やがて二人の事が時頼の父の茂頼の耳に入ると、父の茂頼ははげしく怒って二人の間を反対し、意見しても時頼が聞かないと、とうとう時頼を勘当することになってしまう。
時頼にはどうすることもできずに、ままならない世を儚み、横笛の所に向かい一夜を供にすると愛用の笛を残して立ち去っていった。
時頼は、世を捨てて髪を下ろして僧衣になると、滝口入道となって嵯峨の往生院というお寺に篭もって僧の修行をして暮らして行くことになる。
横笛は、事情も判らずにただ夕暮れになると恋しい滝口が訪ねてくるのをひたすら待ったが、滝口に会えないまま空しく月日が過ぎていくだけだった。
ところが、ある日、横笛は滝口が世を儚んで僧になり、嵯峨の往生院で修行をしていると耳にする。
横笛は滝口に会いたくてたまらずに、屋敷を抜け出すと滝口のいると言う嵯峨の往生院を訪ねて行ってしまう。
横笛が往生院につくと、草深いお寺の中から恋しい滝口の読経の声が聞こえて来た。
「おねがいです、滝口様に会わせてください」
横笛のすがるような声は滝口の耳にも届いたが、自分は世を捨てて仏門に生きる身、心は苦しく乱れるが、ここで会っては修行の妨げになると心を鬼にして姿を見せようとはしないのだった。
そして、別の僧に頼んで
「ここにはお訪ねのような人はおられません、何かの間違いではないでしょうか」
そう横笛に告げさせた。
そう言われては横笛も仕方なく、泣く泣く帰る事にするのだが、どうしても自分の真心を伝えたくて、自分の指を切って、その血で近くにあった石に歌を書いて帰ったと言う。
~山深み 思い入りぬる柴の戸の まことの道に我を導け~
その歌石がお寺の境内に残されている。
滝口と横笛の伝説には幾つかの話が残されているが、ここからのお話が違っているので二つとも紹介したいと思う。
まず、お寺に伝わるお話では、滝口は横笛を帰したものの、やはり自分の中に横笛への思いが残っているのを思い知らされる。
横笛に住まいを見つけられたので、また訪ねてくるかも知れないし、自分の中の想いを断ち切るためにも居場所を変えようと思い、滝口は高野山に登って修行に励む事になる。
すると、横笛も思う事があったのか、その後すぐに法華寺で尼になってしまう。
滝口は、その話を聞くと一首の歌を横笛に送った。
~そるまでは 恨みしかとも梓弓 まことの道に入るぞ嬉しき~
それを読んだ横笛も歌を返して
~そるとても 何か恨みむ梓弓 引きとどむべき心ならねば~
しかし、横笛はまもなく法華寺で亡くなってしまう。
滝口は、横笛の死を伝え聞くとますます仏道に励んで高野の聖と呼ばれる高僧になったと言う。
さて、先に書いたように、この伝説にはもう一つのお話も伝わっているが、こちらは哀れな話しである。
滝口を訪ねて追い返された帰り・・・横笛には、滝口の心が判らなくなってしまう。
想いあってるはずなのに、どうしてつれないのだろう・・・
横笛は、仕方なく泣きながら嵯峨野を彷徨ううちに大堰川にでると世を絶望し
「どうかあの世では滝口様と添えますように」
そう呟くと、まだ十七歳の身を川に投げてしまう。
滝口は報せを聞くと駆けつけて横笛の身にすがって泣き伏すがもう取り返しはつかない。
横笛に会っておればと嘆き、自分を責めさいなむのだった。
やがて、このまま嘆くよりも自分の命のある限り、せめて横笛の菩提を弔おうと思い、その後、滝口は高野山に登ると横笛を弔いながら修行に励んだと結ばれている。
滝口寺の境内には、平家と滝口の供養のために供養塔が建てられている。
また、本堂には滝口と横笛の木像も祀られているが、昔は年を召された庵主さんが滝口と横笛のお話を訪れた人に語って聞かせていたのが思い出される。
祗王寺が先にあり、滝口寺は奥の石段を登っていくからか滝口寺のほうが少し人が少ないように思う。
滝口寺は、元は往生院三宝寺と言ったらしいが、今では滝口寺で通っているそうだ。
そして、その滝口寺の名前の由来ともなった「平家物語」に所縁の滝口入道と横笛の悲恋の伝説の残るお寺である。
むかし、平家が全盛の頃の話しだが、平清盛の娘で安徳天皇の母である建礼門院に、「横笛」と言うたいへん美しい女性が仕えていた。
ある日、建礼門院の兄の平重盛の家臣で「斎藤滝口時頼」と言う武士が、清盛の西八条での花見の宴で、建礼門院に仕えている女官の横笛に一目惚れしてしまう。
それからというもの、時頼は横笛の事が頭から離れず、恋しい思いは募るばかりとなる。
そんな時頼の様子を不信に思った乳母が、時頼にどうしたのか訊ねてみると、時頼はこれこれと横笛への思いを打ち明けた。
乳母は、時頼に横笛への文を書くように勧めて、時頼は横笛への想いを歌にする。
~人はいざ 思ひも寄らじ わが恋の 下に焦がれて 燃える心を~
~君ゆえに 流す涙の 露ほども われを思はば うれしからまし~
こうして、時頼は、横笛への思いを綴った歌を詠むと横笛に届けさせた。
横笛は時頼から思いを告げられ驚いたが、
~埋み火に 下に焦がるると 聞くからに 消えなん後ぞ さびしからまし~
「灰の下に埋めた炭火のように、恋しく思ってくださると聞くにつけ、その火が消えた後はさぞかし寂しいことでしょうね」
そのように返歌を作って時頼に届けさせるのである。
それから時頼と横笛は文を交わして愛し合うようになり、硬い契りも結んで幸せな日々が続いていた。
しかし、やがて二人の事が時頼の父の茂頼の耳に入ると、父の茂頼ははげしく怒って二人の間を反対し、意見しても時頼が聞かないと、とうとう時頼を勘当することになってしまう。
時頼にはどうすることもできずに、ままならない世を儚み、横笛の所に向かい一夜を供にすると愛用の笛を残して立ち去っていった。
時頼は、世を捨てて髪を下ろして僧衣になると、滝口入道となって嵯峨の往生院というお寺に篭もって僧の修行をして暮らして行くことになる。
横笛は、事情も判らずにただ夕暮れになると恋しい滝口が訪ねてくるのをひたすら待ったが、滝口に会えないまま空しく月日が過ぎていくだけだった。
ところが、ある日、横笛は滝口が世を儚んで僧になり、嵯峨の往生院で修行をしていると耳にする。
横笛は滝口に会いたくてたまらずに、屋敷を抜け出すと滝口のいると言う嵯峨の往生院を訪ねて行ってしまう。
横笛が往生院につくと、草深いお寺の中から恋しい滝口の読経の声が聞こえて来た。
「おねがいです、滝口様に会わせてください」
横笛のすがるような声は滝口の耳にも届いたが、自分は世を捨てて仏門に生きる身、心は苦しく乱れるが、ここで会っては修行の妨げになると心を鬼にして姿を見せようとはしないのだった。
そして、別の僧に頼んで
「ここにはお訪ねのような人はおられません、何かの間違いではないでしょうか」
そう横笛に告げさせた。
そう言われては横笛も仕方なく、泣く泣く帰る事にするのだが、どうしても自分の真心を伝えたくて、自分の指を切って、その血で近くにあった石に歌を書いて帰ったと言う。
~山深み 思い入りぬる柴の戸の まことの道に我を導け~
その歌石がお寺の境内に残されている。
滝口と横笛の伝説には幾つかの話が残されているが、ここからのお話が違っているので二つとも紹介したいと思う。
まず、お寺に伝わるお話では、滝口は横笛を帰したものの、やはり自分の中に横笛への思いが残っているのを思い知らされる。
横笛に住まいを見つけられたので、また訪ねてくるかも知れないし、自分の中の想いを断ち切るためにも居場所を変えようと思い、滝口は高野山に登って修行に励む事になる。
すると、横笛も思う事があったのか、その後すぐに法華寺で尼になってしまう。
滝口は、その話を聞くと一首の歌を横笛に送った。
~そるまでは 恨みしかとも梓弓 まことの道に入るぞ嬉しき~
それを読んだ横笛も歌を返して
~そるとても 何か恨みむ梓弓 引きとどむべき心ならねば~
しかし、横笛はまもなく法華寺で亡くなってしまう。
滝口は、横笛の死を伝え聞くとますます仏道に励んで高野の聖と呼ばれる高僧になったと言う。
さて、先に書いたように、この伝説にはもう一つのお話も伝わっているが、こちらは哀れな話しである。
滝口を訪ねて追い返された帰り・・・横笛には、滝口の心が判らなくなってしまう。
想いあってるはずなのに、どうしてつれないのだろう・・・
横笛は、仕方なく泣きながら嵯峨野を彷徨ううちに大堰川にでると世を絶望し
「どうかあの世では滝口様と添えますように」
そう呟くと、まだ十七歳の身を川に投げてしまう。
滝口は報せを聞くと駆けつけて横笛の身にすがって泣き伏すがもう取り返しはつかない。
横笛に会っておればと嘆き、自分を責めさいなむのだった。
やがて、このまま嘆くよりも自分の命のある限り、せめて横笛の菩提を弔おうと思い、その後、滝口は高野山に登ると横笛を弔いながら修行に励んだと結ばれている。
滝口寺の境内には、平家と滝口の供養のために供養塔が建てられている。
また、本堂には滝口と横笛の木像も祀られているが、昔は年を召された庵主さんが滝口と横笛のお話を訪れた人に語って聞かせていたのが思い出される。