織田信長お参り
京都の新京極を歩いていて、そろそろ本能寺の銀杏もきれいかなと気になって、寺町商店街にある本能寺へ寄ってみました。

本能寺と言えば本能寺の変が有名ですね。

当時の本能寺の場所は異なるのですが、今は新京極の北の寺町商店街にあり、織田信長を始め本能寺の変で亡くなった人々の廟となっています、。

その信長公廟の横に大きな銀杏の木が立っていますが、かつて本能寺で火災があった時に銀杏の木から水が吹いて火災を防いだ事から火伏せ銀杏と呼ばれています。

大きな銀杏の木は黄色く染まって見事でした。

そう言えば本能寺は火災にたびたび遭ったので、本能寺の能の字がヒが2つ並んでいるのを嫌って、ヒの代わりに去の字を使った能の字を使っています。

織田信長の廟にもお参りすると、信長つながりで織田信長の本廟にもお参りしたくなって阿弥陀寺にも向かいました。

京都の上京区の寺町通りにある阿弥陀寺は織田信長の本廟とされています。

歴史的に本能寺の変で討たれた信長の遺体は見つかっていない事になっています。

阿弥陀寺の寺伝では、当時は阿弥陀寺の住職と信長は親交があり、本能寺の変の報を受けた住職は本能寺へ駆けつけ、裏庭の方で信長の遺骸を運び出した家臣と遭遇し、信長の頭を託されて、残った胴体は焼いて見つからないようにしたそうです。

その後に、阿弥陀寺では織田信長の頭部を供養して墓所とするのですが、羽柴秀吉は自分が引き取って供養したいと申し出たのですが、信長の後継者争いに利用される事を避けて断り、阿弥陀寺でお祀り続ける事にしました。

ちなみに、秀吉はどうしても信長の後継者の立場を採りたいために、大徳寺で信長の法要を行い、菩提寺として総見院を建立しました。


阿弥陀寺では、墓地に行き、織田信長の墓所をお参りして静かに手を合わせました。

余談ですが、阿弥陀寺にある信長の木造と、総見院にある信長の木像はいずれも信長を実際に知っている人が作ったものでどちらも良く似ています。

さらに、一般に知られている織田信長の肖像画にも似ているので、一般に知られている信長の姿はほぼ似ているのかなと思っています。