2017年05月の記事
2017 05/27 14:32
Category : 日記
今日は、京都のなりひら寺こと十輪寺へ行ってきました。
なりひら寺と呼ばれるように在原業平に所縁のお寺で境内には業平のお墓や塩釜跡の史跡があります。
明日の28日は業平を偲ぶ業平忌が行われるのですが都合で明日は行けないので今日に訪れました。
お寺は業平忌の用意で飾られていつもと違ってますね。
業平卿関連の御朱印もたくさん出来てていただいてきました。
初夏の新緑も気持ち良かったです。
なりひら寺と呼ばれるように在原業平に所縁のお寺で境内には業平のお墓や塩釜跡の史跡があります。
明日の28日は業平を偲ぶ業平忌が行われるのですが都合で明日は行けないので今日に訪れました。
お寺は業平忌の用意で飾られていつもと違ってますね。
業平卿関連の御朱印もたくさん出来てていただいてきました。
初夏の新緑も気持ち良かったです。
2017 05/21 04:26
Category : 日記
昨日から建仁寺の塔頭の霊源院で甘茶の庭の特別公開が始まったので行ってきました。
でも、甘茶の花もまだまだ開花してなくて残念でした。
まぁ御朱印はいただけたので良いですが、また時期を選んで来たいと思います。
ここはお茶や御菓子目的で来る人も多いですね。
でも、甘茶の花もまだまだ開花してなくて残念でした。
まぁ御朱印はいただけたので良いですが、また時期を選んで来たいと思います。
ここはお茶や御菓子目的で来る人も多いですね。
2017 05/13 15:11
Category : 日記
今日は、昨夜からの雨降りでしたが、京都の得浄明院へ行ってきました。
得浄明院は、先日の一初の特別公開で行ったのですが、5月13日には白天龍王祭が行われるので雨の中を行きました。
その得浄明院の白天龍王祭では式包丁と言う儀式が行われます。
本来ならお庭で行われるのですが本日は雨なので本堂の中で行われました。
得浄明院は門跡寺院の尼寺なので法主様は伏見宮家の所縁の方なのですが、その法主様も参列されて式包丁が始まりました。
式包丁は、平安時代から続く包丁儀式で、手を使わずに包丁と金物の箸だけで調理の切り分けや盛り付けが行われる伝統儀式です。
流派もいろいろとあるみたいですが、本日は包勝一條流三代目家元の富田勝男さんと一門の方で行われ、烏帽子と白い狩衣姿が清浄で凛々しいでした。
「豆腐一文字」は、大きな豆腐を小さく切り分けて、お盆にお目出度く盛り付けるのですが、今日は萬福の字に盛り付けられました。
「天上の魚 鰒」では、アワビを細かく切り分けて盛り付けられます。
いろいろな所作や作法があるみたいですが、舞のように動きが美しくて厳粛でした。
最後は、出来上がった料理を境内の白天龍王の祠に奉納されてお参りして終わります。
普段は、なかなか見る機会のない伝統儀式を参列して見ることができて、貴重な体験で良かったです。
得浄明院は、先日の一初の特別公開で行ったのですが、5月13日には白天龍王祭が行われるので雨の中を行きました。
その得浄明院の白天龍王祭では式包丁と言う儀式が行われます。
本来ならお庭で行われるのですが本日は雨なので本堂の中で行われました。
得浄明院は門跡寺院の尼寺なので法主様は伏見宮家の所縁の方なのですが、その法主様も参列されて式包丁が始まりました。
式包丁は、平安時代から続く包丁儀式で、手を使わずに包丁と金物の箸だけで調理の切り分けや盛り付けが行われる伝統儀式です。
流派もいろいろとあるみたいですが、本日は包勝一條流三代目家元の富田勝男さんと一門の方で行われ、烏帽子と白い狩衣姿が清浄で凛々しいでした。
「豆腐一文字」は、大きな豆腐を小さく切り分けて、お盆にお目出度く盛り付けるのですが、今日は萬福の字に盛り付けられました。
「天上の魚 鰒」では、アワビを細かく切り分けて盛り付けられます。
いろいろな所作や作法があるみたいですが、舞のように動きが美しくて厳粛でした。
最後は、出来上がった料理を境内の白天龍王の祠に奉納されてお参りして終わります。
普段は、なかなか見る機会のない伝統儀式を参列して見ることができて、貴重な体験で良かったです。
2017 05/12 18:22
Category : 日記
今日は会社をお休みしたので、京都の相国寺の承天閣美術館に伊東若冲展後期を見に行きました。
昨年に前期を見た時は時間がなくてざっとだったのですが、今日はじっくり見て回りました。
初公開の作品や見たかった作品が見れて感激でした。
若冲の作品は植物や生き物に味があって良いですね。
昨年に前期を見た時は時間がなくてざっとだったのですが、今日はじっくり見て回りました。
初公開の作品や見たかった作品が見れて感激でした。
若冲の作品は植物や生き物に味があって良いですね。
2017 05/06 13:17
Category : 日記
今日は、枚方市の牧野にある片埜神社へ行ってきました。
野見宿祢が創建したと言われる古社ですが、豊臣秀吉が大阪城の鬼門鎮護の社としてから方位鬼門除けの神社とされてきました。
鬼門から境内には鬼面が置かれており、絵馬や御朱印も鬼面になっています。
また、菅原道真も合祀されており、境外には道真を運んだ馬が倒れた場所とされる瘡(草)神社もあり古来の森や池を御神体としています。
近くにある、牧野公園には阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)の塚があります。
坂上田村麻呂に鎮圧されて降伏した蝦夷のアテルイとモレが都へ連れられてきました。
田村麻呂は助命嘆願をしましたが聞き入れられず河内国で処刑されたそうで、それがこの地で首塚ではないかとの説もあります。
この付近は古代から渡来人とかも多く住み歴史的に面白い地域ですね。
野見宿祢が創建したと言われる古社ですが、豊臣秀吉が大阪城の鬼門鎮護の社としてから方位鬼門除けの神社とされてきました。
鬼門から境内には鬼面が置かれており、絵馬や御朱印も鬼面になっています。
また、菅原道真も合祀されており、境外には道真を運んだ馬が倒れた場所とされる瘡(草)神社もあり古来の森や池を御神体としています。
近くにある、牧野公園には阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)の塚があります。
坂上田村麻呂に鎮圧されて降伏した蝦夷のアテルイとモレが都へ連れられてきました。
田村麻呂は助命嘆願をしましたが聞き入れられず河内国で処刑されたそうで、それがこの地で首塚ではないかとの説もあります。
この付近は古代から渡来人とかも多く住み歴史的に面白い地域ですね。
2017 05/06 05:21
Category : 日記
昨日に京都の宇多野方面を歩いていたのですが、聖イエス会の嵯峨野教会がありました。
大きな建物の教会でしたが、入り口横にアンネ・フランク像がありました。
何でも聖イエス会の合唱団が海外演奏旅行中にアンネの父親のオットー・フランクに出会って交流を始まり、それを記念してアンネ像を造られたそうです。
また、横の壁にはブロンズの銘板が置かれて、アンネの日記の抜粋された一文が記されているそうです。
「私は世界と人類のために働きます。」と言う意味の一文だそうです。
アンネ像の表情が何か哀しげで哀愁を感じました。
大きな建物の教会でしたが、入り口横にアンネ・フランク像がありました。
何でも聖イエス会の合唱団が海外演奏旅行中にアンネの父親のオットー・フランクに出会って交流を始まり、それを記念してアンネ像を造られたそうです。
また、横の壁にはブロンズの銘板が置かれて、アンネの日記の抜粋された一文が記されているそうです。
「私は世界と人類のために働きます。」と言う意味の一文だそうです。
アンネ像の表情が何か哀しげで哀愁を感じました。
2017 05/05 14:59
Category : 日記
今日も、非公開文化財の特別公開で仁和寺の北西方面にある妙光寺へ行ってきました。
妙光寺は皇室との縁も深く南北朝時代には南朝側に与し後醍醐天皇の折には三種の神器が保管された事もあったそうです。
神器の間が残されています。
また建仁寺派に属して、建仁寺の風神・雷神図はかつてはこのお寺の物だったそうです。
かつては広大な寺領があったそうですが戦火や栄枯盛衰があり、今は敷地は広いですがお寺の建物は少なくなっています。
しかし、反って山辺の静かな自然の豊かな落ち着いたお寺でした。
妙光寺は皇室との縁も深く南北朝時代には南朝側に与し後醍醐天皇の折には三種の神器が保管された事もあったそうです。
神器の間が残されています。
また建仁寺派に属して、建仁寺の風神・雷神図はかつてはこのお寺の物だったそうです。
かつては広大な寺領があったそうですが戦火や栄枯盛衰があり、今は敷地は広いですがお寺の建物は少なくなっています。
しかし、反って山辺の静かな自然の豊かな落ち着いたお寺でした。
2017 05/04 15:07
Category : 日記
今日は、京都の非公開文化財の特別公開で嵯峨野の遍照寺と鹿王院へ行ってきました。
遍照寺は広沢池に近く静かなお寺で源氏物語や安倍晴明にも所縁のお寺でした。
鹿王院は秋の紅葉がきれいで前に秋に来たことがありました。
どちらも由緒のある古寺でのんびり楽しめました。
遍照寺は広沢池に近く静かなお寺で源氏物語や安倍晴明にも所縁のお寺でした。
鹿王院は秋の紅葉がきれいで前に秋に来たことがありました。
どちらも由緒のある古寺でのんびり楽しめました。