2013年01月の記事


会津墓地
今日は風が強くて冷たくて寒いねぇ。

今日は思う所があって、京都の黒谷にある会津墓地に行って来た。

幕末に会津藩主の松平容保が1千名の藩兵を率いて黒谷金戒光明寺を本陣として幕末の京都の守護を行った。

その結果、幕末の騒乱で多くの犠牲者を出したために金戒光明寺の上部に墓地を作り「会津墓地」としたのが始まりで、後に鳥羽伏見の戦いでの犠牲者も葬られたという。

墓地には多くの墓石が並んでいて、今でも顕花されているお墓もある。

幕末には多くの方が亡くなられたが、これだけ多くの会津の方も犠牲になられたことを思うと厳粛な気持ちになるね。

合掌・・・


また、近くにある紫雲石こと西雲院の境内には「会津小鉄」のお墓もある。

会津小鉄は幕末の侠客で、会津の中間部屋に入って頭も勤めて、池田屋事件などでも協力したと言う。

鳥羽伏見の戦いにも参加したそうで、放置された会津兵士の遺体を収容したり弔ったと言う。

私は新選組ファンなので、やはり会津と言うと親近感を覚えているのでお参りにも気持ちが入るよ。


お参りの後は、金戒光明寺の墓地を通っていくと、いろいろな墓石やお墓が合って興味深い。

いろいろとお墓をお参りした日だけど、寒さが厳しいだけに気が引き締まる思いがしたよ。
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鉢かづき
私が住んでいる寝屋川は昔話の「鉢かづき姫」の伝承の地域である。

鉢かづき姫の父親は「寝屋の長者」と呼ばれる大金持ちで、この寝屋川に住んでいたとされ、そこから寝屋川が鉢かづき姫の物語の舞台になったとされているのである。

その寝屋長者の屋敷跡と伝えられる場所が、JR学研都市線の星田駅の近くに残されて小さな公園のようになっている。


鉢かづき姫の物語は簡単に言うとこうである・・・


むかし、寝屋の長者と言われる大金持ちがいた。

美しい妻を持ち何不自由なく暮らしていたが、ただ子供がないのが悩みだった。

そこで長谷寺の長谷の観音様にお参りして祈ると、やがて妻は身篭って美しい女の子を授かった。

女の子は初瀬と名付けられて幸せに育っていたが、母親は自分の命が長くない事を感じていた。

そこで長谷の観音様にお祈りすると、娘の頭に鉢を被せるように夢告があった。

そして、娘の初瀬の頭に大きな鉢を被せると、決して鉢を取らないように言いつけ、やがて娘の幸せを祈りながら病で亡くなってしまった。

寝屋の長者は、しばらくすると親戚の勧めもあり他所から新しい妻を迎えてしまい、初瀬にとっては継母となってしまう。

この継母は心の悪しき人で、継子の初瀬を邪魔に思い、夫の寝屋長者に嘘で初瀬の悪口を吹き込んだり、さらには命を狙って殺そうとまでしてきた。

父親の寝屋長者は継母の言葉を信じて初瀬を悪く思うし、家にいるのも辛くなった初瀬は独りで家を出てしまうのだった。

どこにも行く所も無く絶望を感じた初瀬は、川に身を投げて死のうとした。

しかし、頭に被った鉢が浮くために死ぬ事もできずに川に流されていった。

そこへ、三位中将と言う身分の高い公家が通りかかり、供の者に命じて初瀬を助けさせると家に連れて帰った。

初瀬は中将の家に世話になり働くようになったが、頭の鉢は取ろうとしてもどうしても外す事ができなかった。

この中将には四人の息子がいて、末の若君はまだ独身で心の優しい男性であった。

初瀬と若君は言葉を交わすようになり、初瀬は自分の生い立ちもすべて若君には話すして慰められ、やがて二人は愛し合うようになったのだった。

若君は初瀬と結婚したいと中将に話したが、周りの者が反対して、逆に若君にふさわしい娘を選ぶ嫁比べを行って勝った娘を若君の嫁にするとして、初瀬を追い出そうとしたのである。

初瀬は、みすぼらしい着物だしお金も無く嫁比べで勝てそうもない、あきらめて独りで出て行こうとしたが、若君は初瀬の気持ちを察しており、初瀬と供に家を出て二人で暮らそうと話し合ったのだった。

すると、それまでどうしても取れなかった鉢が突然に外れると、中から様々な財宝や宝物、美しい着物などが出てきたのである。

これも母親と長谷の観音様のお陰と思うと、初瀬は思い切って嫁比べに参加する事にしたのだった。

鉢から出てきた着物を着た初瀬は、他の嫁候補の誰よりも美しくて、琴を弾いても字を書いても、和歌を読んでも優れており、嫁比べで優勝したのだった。

こうして、晴れて若君の嫁になることが出来た初瀬は、若君と供に実家の寝屋長者の元に行くと、これまでの話をして誤解を解き継母の悪行をさらす事が出来た。

その後、初瀬と若君は仲良く幸せに暮らしたのだった。


寝屋川では、この鉢かづき姫のキャラクターをずいぶんと前から作っており、各所に石像が置かれたりしている。

また、キャラクターの鉢かづきちゃんをモチーフにした和菓子も発売されて人気である。
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マギの聖骨
ジェームズ・ロリンズの「マギの聖骨」を読了した。

このマギとは、聖書に出てくるイエス・キリストの誕生を予見し祝福のために訪れた「東方から来た3博士」の事で、このマギがマジックやマジシャンの語源になったそうである。

そのマギの物と伝えられる骨が祀られているのがドイツのケルン大聖堂である。


今しも、ケルン大聖堂ではマギを奉るミサが行われ多くの信者が集まっていた。

そこへ、修道服姿の一団が現れて謎の装置を起動させるとミサの聖餅を口にした全員が一瞬で死亡し、残された人々も告解室に隠れた一人を除いて射殺され、マギの聖骨は奪われてしまう。

ローマ法王庁考古学研究所のヴィゴーは、姪でイタリア国防省警察官のレイチェルと供に調査を始めるが、レイチェルはバチカンナンバーの車に襲われ、ヴィゴーはバチカンの古文書を調べ始めた時に爆破される危機に陥ってしまう。

一方、アメリカ政府はバチカンからの協力要請を受けて、科学者の知識を持ちながら一流の殺人技も身に付けた者で構成された秘密特殊部隊のΣフォースから、隊長のグレイとモンクとキャットの3名を派遣した。

こうして、謎のドラゴンコートと言う組織とΣフォースとの古代の知識や秘宝を巡る攻防が開始された。


本の宣伝にもあるよう、まさにインディジョーンズとダビンチコードを合わせたような謎解きとアクションの面白い作品である。

敵の組織が古代の知識や遺跡、それにケルン大聖堂やバチカンのシスティーナ礼拝堂など平気で破壊していくのは、信者じゃなくてもやめてーと叫びたくなってしまう。

バチカンに潜む裏切り者や敵の強さにハラハラドキドキしながら、楽しめる作品であった。

ちなみに、Σフォースシリーズとして刊行されてるそうで、これが一作目だそうである。
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のぼうの城
和田竜さんの「のぼうの城」を読了した。

時は戦国時代、天下統一を進める豊臣秀吉は、関東の北条家を下すために小田原城に大群を進めていた。

その北条家の支城の一つ「忍城」の城主の成田氏長は勝ち目の無い戦をするよりも、降伏して開城する事として秀吉に密約し、表面上は北条支援のために小田原城へ出向いていた。

秀吉は、忍城が降伏を密約してきたことを知りながら、石田三成に武勲を建てさせるために三成には密約を秘したまま大群を差し向けさせた。

石田三成率いる豊臣軍2万が忍城を取り囲むが、忍城はわずか500にすぎない。

さらに、忍城を任されていた成田泰季は急病により急死し、その子息の「成田長親」が忍城をまとめることになったが、長親はでくのぼうを縮めた「のぼう」と呼ばれてバカにされながらも農民に親しまれている人物だった。


忍城は、はじめは密約どおり降伏開城のはずだったが、豊臣側の使者である長束正家の高圧的で不遜な態度に怒り、長親の意思もあり戦うことに翻ったのだった。

こうして、成田長親率いるわずか500で篭城する忍城と、包囲する石田三成軍20000の戦が始まった。


この本は昨年に映画化された人気小説で、のぼうさまこと成田長親の作戦や忍城の武将の活躍が、石田軍を翻弄する様子が痛快で面白い作品であった。
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年末年始の私
この年末年始の覚え書きです。


2012年

12月28日(金)

雨降り

京都宇治、三室戸寺

伊藤久右衛門本店で抹茶大福

JRで嵯峨野の「あだしの まゆ村」へ傘を返しに行く


12月29日(土)

イオン大日でお買い物


12月30日(日)

京阪百貨店守口店でお買い物

寝屋川駅前でお買い物


12月31日(月)

妙音弁財天

京都水族館

京都駅ビル

実家

ジャスコ

寝屋川帰宅


2013年

1月1日(火)

岩清水八幡宮、暗闇でつまづいて膝を負傷、初日の出

伏見稲荷大社、東丸神社、伏見人形

清水寺

八坂神社

実家


1月2日(水)

PITAPAが期限切れ焦る

三十三間堂、お守り

伏見稲荷、七味唐辛子


1月3日(木)

大阪梅田に行くも阪急百貨店は混雑で入らず

紀伊国屋書店

京橋京阪モール


1月4日(金)

嵐山で雪

あだしの まゆ村


と、相変わらずあちこち行っているが、初詣に行く途中の岩清水八幡宮の石段でつまずいて膝をケガしたり、2日に出かけようとバスに乗ったらPITAPAが期限切れになってて驚いたり、他にもいろいろとあったなぁ。

PITAPAはお出かけはとにかく現金で行ったけど、帰ってから問い合わせたりして、以前に新カードが届いたけど大きな封筒だったので、カードだと思わずにパンフか何かだと思って放置してしまっていた・・・捨ててなくて良かったよ。

でも、チャージしてあった分は更新されずに翌々月くらいに口座に返金だそうだけど、また一からチャージし直すのはどうなんだろ。

まぁ雨に降られたり雪に降られたり、初詣に行ったらケガしたり、カードが期限切れしてたりと、相変わらずの私で今年もどうなることやらだね。
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干支巡り
私は毎年、新年にはその年の干支にまつわる寺社をお参りしているのだが、今年は巳年と言う事で蛇に関するところをお参りしてきたよ。

しかし、蛇は弁財天の神使として知られていて、弁財天にお祀りされているところも多いが、蛇そのものをお祀りしているとなると少なくて有名な所では奈良の三輪山の神様が蛇だとされて、大神神社とかでお祀りされている。

京都でとなるとなかなか少なくて、始めに訪れたのが宇治の「三室戸寺」である。

三室戸寺は、紫陽花の名所として有名であるが、その境内には「宇賀神」の石像が祀られている。

宇賀神は、神名の「宇賀」は、日本神話に登場する「宇迦之御魂神」(うかのみたま)に由来するものと考えられていて、その姿は、人頭蛇身でとぐろを巻く形で表されている。

三室戸寺の宇賀神も老人の顔に蛇の身体がとぐろを巻く姿であり、表情が何となく微笑むようで不思議な石像である。


次に訪れたのは出町柳にある「妙音弁財天」の石版である。

先に書いたように弁財天の神使は蛇であるので、ここでも蛇に関するものがいろいろと奉納されている。

その中で本堂の右手外側に飾られている石版には蛇が描かれているが、その姿は「寿」の字のように見えて縁起物のようになっている。


最後は、清水寺の境内にある「地主神社」である。

地主神社は縁結びの神社として知られていて、いつも多くの人で賑わう人気の神社である。

その敷地に祀られている「おかげ明神」の祠に二体の蛇が合わさったように阿吽の蛇の像が納められている。

切れ長の眼がなかなかキュートな蛇像である。


蛇は日本だけでなく世界で神話にも登場して信仰を集めてきた生き物である。

手足がなく胴体だけで生きる姿や脱皮する事など再生へのが神秘性を感じさせ、漢字でも「虫編」が当てられるなど虫の一種と考えられていた事もあったという。

日本では水との関わりで水神としての意味も持つようになっている。

その生態も神秘的であり本能的に恐怖を覚える人も多く、私も見るのも苦手な方である。

それでも、ある時は神として、ある時は魔として多くの畏怖や信仰を集めているのだろう。
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