2010 04/03 18:30
Category : 日記
私は京都伝説巡りの取材であちこち周っているのをご存知の方もおられると思う。
そういう伝説の場所には交通手段がなくて歩くしかない場所もある。
前から取材したいけれど山の上なので、なかなか行けなかったのだけど今日は思い切って行ってみる事にした。
場所は、京都の嵯峨野のさわに奥の清滝から愛宕山方面に山を登ったところにある「月輪寺」で、その境内にある「しぐれ桜」と言う桜を見るのが目的である。
桜の咲く時期でないと意味がないのだけれど、なにしろ山の上なのでまだ咲いてない可能性も高い。
それでも、今日くらいしか行ける時がないので思い切って行く事にしたのである。
朝の五時過ぎに家を出て京阪電車で祇園四条駅まで行き、そこから阪急電車に乗り換えて桂駅まで行き、さらに嵐山線に乗り換えて阪急嵐山駅で降りる。
バスのあるのだが、今日はなるべく楽なようにタクシーに乗って清滝の月輪寺方面の登り口まで行ってもらう。
途中で京都でも屈指の心霊ポイントである清滝トンネルを通るときは少しビクビク・・・これ絶対歩きたくないよなぁ。
車で行けるのは基本的に、この登り口まで後は歩いて登るしかないのである。
川沿いの舗装道を歩く事30分ほどで、月輪寺参拝者用の駐車場があり、そこから空也の滝方面と月輪寺方面に分かれている。
空也の滝は帰りに寄れたら行く事にして、まずは月輪寺を目指して歩き出すが、ここからは一応は丸木などで段が作られているが険しい山道を歩かなくてはならない。
ハイキング用の靴を用意してきて良かったよ。
険しい登山道を歩いていると「遭難者がでるので暗くなる前にもどれるように」との張り紙が・・・
20分ほど登ったくらいに、「身助地蔵」さんと言う小さなお地蔵様が祀られていて、横に「霊水噴出奇蹟之跡」の文字もある。
さらに登り続けると月輪寺まで四丁の道標と「つらくともこらえて登れ皆の衆、大師聖人にあうと思えば」の立て札、この辺りが半分くらいだそうだ。
登り始めの頃は川のせせらぎの音や鳥の声が聞こえたが、この付近まで登ると鳥の声と風の音だけだね。
時々立ち止まりながらもどんどんと歩いていくと「携帯電話通話ポイント」があった、山の中では圏外だけど、こういうポイントも作られてるんだね。
ここから月輪寺まで20分らしい。
でも、ここからの登りがきつかったなぁ。
ようやく月輪寺に着いたのが9時前、タクシーを降りて登り口を歩き始めた7時20分くらいだっから、1時間半くらいかかって着いたことになるね、しんどかったよぅ。
私が着いた時に、ちょうど庵主様と思われる尼僧の方がお寺の雨戸を開けてられるところだった。
この月輪寺は鎌倉山と号して真宗の発祥の地でもある。
「空也上人」が修行し念仏を悟った場所だそうで、「法然上人」や「親鸞上人」の所縁の場所でもある。
鎌倉時代の初期、念仏の流行に恐れを感じた朝廷は念仏の禁止を命じて弾圧に乗り出したが、法然上人の高弟である二人の青年僧の下へ、宮中の女官である松虫と鈴虫と言う二人の女性が後鳥羽上皇の熊野参りの留守を狙って駆け込むと言う松虫・鈴虫事件が起こり、二人の青年僧は打ち首になり、法然は四国へ、親鸞は越後へ流される事になった。
そこで、当時この地に隠棲していた九条兼実を訪ねて、法然上人と親鸞上人がこの月輪寺を訪れるとこの地で沙汰の下る日を待っていたのである。
その時に親鸞上人が自ら植えた桜の木があり、これ「志ぐれ桜」(時雨桜)と呼ばれる桜の木なのである。
この桜の木が、なぜ志ぐれ桜と呼ばれるかと言うと、法然上人や親鸞上人が配流され、桜の木も育った頃に、その花や葉などが濡れて雫をたらすようになり、これは桜の木が法然上人や親鸞上人を偲んで泣いているのだろうという事になり、しぐれ桜と呼ばれて信仰を集めるようになったそうだ。
私も、このしぐれ桜を見たくてはるばる登ってきたのであるが、残念ながら、まだ蕾で開花していなかった。
庵主さんに伺うと、なにしろ山の上の事なので開花は四月の中旬くらいからだと言う、また現在でも四月の中旬から五月の中旬くらいには、しぐれ桜の名の通り桜の花や葉に雫が集まるそうである。
せっかく登ってきて桜の花はまだあったけど、これもまぁ仕方ないやね。
それと、この月輪寺には明智光秀とも所縁のお寺で、明智光秀が軍勢を近くの愛宕山に留めて、自分は月輪寺に参拝し、ここで御神籤を引いて、その結果で本能寺へ兵を進め、織田信長を討つ事になったのだそうだ。
つまり、この月輪寺での御神籤が光秀に本能寺の変を決意させたのかも知れない。
境内には明智光秀手植えの本石楠花もあったが、時期でないのか花は咲いていなかった。
庵主さんといろいろとお話して、私も光秀の御神籤を引いたが末吉だったよ、せっかく来られたのに花が見れなくて残念でしたねとしぐれ桜の写真をいただいたので、まぁ良しとしましょうか。
庵主さんにお礼を陳べて、来た道を戻っていく事にした。
ここまで来たら、ついでに愛宕神社までとも思ったけれど、まだ片道40分往復で1時間半近くかかるからね、もう無理だったよ。
山道は下りの方が危険なんだよね、私も何度か足を滑らせてやばかったよ・・・まじで落ちそうになったっす。
ようやく駐車場の月輪寺と空也の滝との分かれ道まで戻ってきて、今度はそこから空也の滝を目指して歩く。
空也の滝は川沿いに15分くらいかな、川の流れを見ながらなので歩いていても楽しい。
しばらくすると鳥居が見えてきて空也の滝に着いた。
高さは25メートルほどだそうで、なかなか見事な滝である。
その名の通り空也が修行した滝だそうだが、滝の側には役の行者と前鬼・後鬼の像も祀られてたから修験道とも関わりがあるのだろう。
空也の滝を堪能した後は、来た道を戻って帰路に着く。
また30分近く歩いて、ようやく清滝の登り口まで来たが、来る時はタクシーだったが、帰りはバスしかないのが辛い、まぁ歩くよりましだけど。
でも、そのバス乗り場が、そこから10分近く道を歩いて上がらないといけなかったのはしんどかった。
バスは、京都バスのシャトル便がちょうど来たので、何とか乗り込んで阪急嵐山駅に向かったが、ちょうど嵯峨野や嵐山は桜の時期とあって人や車が多くて停滞ばかり。
嵐山周辺は桜も満開できれいだけどとにかく人が多かったなぁ。
それでも、何とか駅まで着いたら駅も人が多かった。
そこから阪急そして京阪と乗り継いで、ようやく家に帰りついたら2時前だったよ。
まぁ桜も見れなくて残念だったけど久しぶりに山歩きで清清しい空気に触れたし、明智光秀の伝説も見つけたし楽しい一日だったなぁ。
そういう伝説の場所には交通手段がなくて歩くしかない場所もある。
前から取材したいけれど山の上なので、なかなか行けなかったのだけど今日は思い切って行ってみる事にした。
場所は、京都の嵯峨野のさわに奥の清滝から愛宕山方面に山を登ったところにある「月輪寺」で、その境内にある「しぐれ桜」と言う桜を見るのが目的である。
桜の咲く時期でないと意味がないのだけれど、なにしろ山の上なのでまだ咲いてない可能性も高い。
それでも、今日くらいしか行ける時がないので思い切って行く事にしたのである。
朝の五時過ぎに家を出て京阪電車で祇園四条駅まで行き、そこから阪急電車に乗り換えて桂駅まで行き、さらに嵐山線に乗り換えて阪急嵐山駅で降りる。
バスのあるのだが、今日はなるべく楽なようにタクシーに乗って清滝の月輪寺方面の登り口まで行ってもらう。
途中で京都でも屈指の心霊ポイントである清滝トンネルを通るときは少しビクビク・・・これ絶対歩きたくないよなぁ。
車で行けるのは基本的に、この登り口まで後は歩いて登るしかないのである。
川沿いの舗装道を歩く事30分ほどで、月輪寺参拝者用の駐車場があり、そこから空也の滝方面と月輪寺方面に分かれている。
空也の滝は帰りに寄れたら行く事にして、まずは月輪寺を目指して歩き出すが、ここからは一応は丸木などで段が作られているが険しい山道を歩かなくてはならない。
ハイキング用の靴を用意してきて良かったよ。
険しい登山道を歩いていると「遭難者がでるので暗くなる前にもどれるように」との張り紙が・・・
20分ほど登ったくらいに、「身助地蔵」さんと言う小さなお地蔵様が祀られていて、横に「霊水噴出奇蹟之跡」の文字もある。
さらに登り続けると月輪寺まで四丁の道標と「つらくともこらえて登れ皆の衆、大師聖人にあうと思えば」の立て札、この辺りが半分くらいだそうだ。
登り始めの頃は川のせせらぎの音や鳥の声が聞こえたが、この付近まで登ると鳥の声と風の音だけだね。
時々立ち止まりながらもどんどんと歩いていくと「携帯電話通話ポイント」があった、山の中では圏外だけど、こういうポイントも作られてるんだね。
ここから月輪寺まで20分らしい。
でも、ここからの登りがきつかったなぁ。
ようやく月輪寺に着いたのが9時前、タクシーを降りて登り口を歩き始めた7時20分くらいだっから、1時間半くらいかかって着いたことになるね、しんどかったよぅ。
私が着いた時に、ちょうど庵主様と思われる尼僧の方がお寺の雨戸を開けてられるところだった。
この月輪寺は鎌倉山と号して真宗の発祥の地でもある。
「空也上人」が修行し念仏を悟った場所だそうで、「法然上人」や「親鸞上人」の所縁の場所でもある。
鎌倉時代の初期、念仏の流行に恐れを感じた朝廷は念仏の禁止を命じて弾圧に乗り出したが、法然上人の高弟である二人の青年僧の下へ、宮中の女官である松虫と鈴虫と言う二人の女性が後鳥羽上皇の熊野参りの留守を狙って駆け込むと言う松虫・鈴虫事件が起こり、二人の青年僧は打ち首になり、法然は四国へ、親鸞は越後へ流される事になった。
そこで、当時この地に隠棲していた九条兼実を訪ねて、法然上人と親鸞上人がこの月輪寺を訪れるとこの地で沙汰の下る日を待っていたのである。
その時に親鸞上人が自ら植えた桜の木があり、これ「志ぐれ桜」(時雨桜)と呼ばれる桜の木なのである。
この桜の木が、なぜ志ぐれ桜と呼ばれるかと言うと、法然上人や親鸞上人が配流され、桜の木も育った頃に、その花や葉などが濡れて雫をたらすようになり、これは桜の木が法然上人や親鸞上人を偲んで泣いているのだろうという事になり、しぐれ桜と呼ばれて信仰を集めるようになったそうだ。
私も、このしぐれ桜を見たくてはるばる登ってきたのであるが、残念ながら、まだ蕾で開花していなかった。
庵主さんに伺うと、なにしろ山の上の事なので開花は四月の中旬くらいからだと言う、また現在でも四月の中旬から五月の中旬くらいには、しぐれ桜の名の通り桜の花や葉に雫が集まるそうである。
せっかく登ってきて桜の花はまだあったけど、これもまぁ仕方ないやね。
それと、この月輪寺には明智光秀とも所縁のお寺で、明智光秀が軍勢を近くの愛宕山に留めて、自分は月輪寺に参拝し、ここで御神籤を引いて、その結果で本能寺へ兵を進め、織田信長を討つ事になったのだそうだ。
つまり、この月輪寺での御神籤が光秀に本能寺の変を決意させたのかも知れない。
境内には明智光秀手植えの本石楠花もあったが、時期でないのか花は咲いていなかった。
庵主さんといろいろとお話して、私も光秀の御神籤を引いたが末吉だったよ、せっかく来られたのに花が見れなくて残念でしたねとしぐれ桜の写真をいただいたので、まぁ良しとしましょうか。
庵主さんにお礼を陳べて、来た道を戻っていく事にした。
ここまで来たら、ついでに愛宕神社までとも思ったけれど、まだ片道40分往復で1時間半近くかかるからね、もう無理だったよ。
山道は下りの方が危険なんだよね、私も何度か足を滑らせてやばかったよ・・・まじで落ちそうになったっす。
ようやく駐車場の月輪寺と空也の滝との分かれ道まで戻ってきて、今度はそこから空也の滝を目指して歩く。
空也の滝は川沿いに15分くらいかな、川の流れを見ながらなので歩いていても楽しい。
しばらくすると鳥居が見えてきて空也の滝に着いた。
高さは25メートルほどだそうで、なかなか見事な滝である。
その名の通り空也が修行した滝だそうだが、滝の側には役の行者と前鬼・後鬼の像も祀られてたから修験道とも関わりがあるのだろう。
空也の滝を堪能した後は、来た道を戻って帰路に着く。
また30分近く歩いて、ようやく清滝の登り口まで来たが、来る時はタクシーだったが、帰りはバスしかないのが辛い、まぁ歩くよりましだけど。
でも、そのバス乗り場が、そこから10分近く道を歩いて上がらないといけなかったのはしんどかった。
バスは、京都バスのシャトル便がちょうど来たので、何とか乗り込んで阪急嵐山駅に向かったが、ちょうど嵯峨野や嵐山は桜の時期とあって人や車が多くて停滞ばかり。
嵐山周辺は桜も満開できれいだけどとにかく人が多かったなぁ。
それでも、何とか駅まで着いたら駅も人が多かった。
そこから阪急そして京阪と乗り継いで、ようやく家に帰りついたら2時前だったよ。
まぁ桜も見れなくて残念だったけど久しぶりに山歩きで清清しい空気に触れたし、明智光秀の伝説も見つけたし楽しい一日だったなぁ。