節分
2月3日は節分である。

もともとの節分とは、「節分かれ」(せちわかれ)といって季節が変わる節目のことで、立春の前日をさすと言う。

本来の節分は、冬から春への変わり目になり、季節が変わる大切な節目としていたが、今では外から邪気や悪魔が入ってくるのを防ぐようになり、庭からくる鬼に大豆を投げつけて追い払うように変わっていった。

節分と豆まきについては京都にこういう話が残されている。

むかしむかし、洛北にある「深泥池」(みどろがいけ)には「豆塚」という塚があったとされ、平安京の北には鬼たちが夜になると出没し悪さをして人々を困らせていたと言う。

この鬼たちは洛北の貴船の谷に住み、地下道を通って深泥池の畔の穴から地上に出て騒いでいたそうだ。

そこで困った人々は、鬼を退治するために鬼が嫌っている豆を投げ入れたところ、鬼は静かになり出てこなくなり、それ以来、鬼の出入りする穴に節分の豆を捨てるようになったとされ、これが節分に豆をまいて、鬼を追い払うことの始まりだと伝えられている。

何でも、この鬼の穴の跡に豆塚があったとされていて、それが近くの貴船神社ではないかと言う説があるそうだ。

ところで、豆を投げられ追い払われた鬼たちは、奈良の吉野の金峯山寺に暖かく迎えられていたそうで、そこで鬼火の祭典で今までの悪行を改心すると、「良い鬼」になっていったと言う。

その事から、この金峯山寺では「福は内、鬼も内」と、ほかとは違ったかけ声で豆まきが行われるとされている。

豆については他にも諸説があり、鞍馬山の毘沙門天が大豆で鬼の目を打てと命じられたと言う話に由来して、鬼の目を打つので「魔目」(まめ)と言う説、また魔を滅する「魔滅」(まめつ)から豆にになった説などがある。

また、豆を枡に入れて撒くことも縁起の良いことだそうで、枡はもともと米や酒を計量するのに用いられていたもので、公明正大な神の力を象徴しているそうだ。

その枡に豆を入れる事で神の力が豆にも宿り、鬼や疫病を祓う力にもなると言う。

なお、豆を撒いた後に豆を食べるのは、年齢の数より一つ多く食べるのが風習になっているそうだ。

他に、鰯を焼いて、鰯の頭を柊の枝に刺して門口に刺す風習もあるが、これは鰯を焼いた煙や匂いで鬼を追い払い、また柊の棘で鬼の刺して退散させる意味があると言う。

なお、関西では恵方巻きと呼ばれる太巻寿司を1本、切らずにそのままその年の恵方の方角(今年は西南西)に向かって無言でかぶりつくと1年間良いことがあると言う風習がいつからか出来ている。

もともとは大阪商人が商売繁盛を祈願して始まったとか諸説あるが、近年になっての流行は、海苔の販売促進のためにお寿司屋さん等が巻き寿司を売るために広めたとも言われている。

関西では、かなり広がって恒例になっているが、最近は関西だけでなく全国的にも広がってきてるようである。