お多福さん
今日は朝から京都の上七軒から西陣付近を散策してきた。

初めに市バスで北野白梅町まで行って、ぶらぶら歩きながら北野天満宮に向かう。

北野天満宮は初詣でも来てるんだけどね、もう受験の時期だから朝から受験生らしい学生さんとか親子連れの参拝者が多いよ。

少しお話した母娘のお二人は関東から来られたとか、やはり学業のご利益があるとして有名なんだよね。

境内では、早咲きの梅の花がちらほらと花を咲かせてました、受験生の人達も希望の花が早く咲くと良いのにね。


次に向かったのは千本釈迦堂として知られている大報恩寺。

この千本釈迦堂の本堂は鎌倉初期の建物で、応仁の乱の戦火も免れて、京都市内の最古の木造建築物として国宝に指定されている。

さて、この千本釈迦堂と言えば阿亀さんの哀しい伝説で有名である。

むかし、この本堂を建てる時に「長井飛騨守高次」と言う大工の棟梁が腕前を見込まれて工事を任された。

しかし、高次は柱の一本を間違って短く切ってしまい悩んでしまう。

高次の妻の「阿亀」(おかめ)さんが「このさい、残りの柱も短くして、代わりに枡型を組んでみたら」とアドバイスして、高次は妻の言うようにしてみるとバランスが取れてうまく解決できた。

しかし、阿亀さんは、夫の失敗を妻の助言で救われたとあっては夫の恥になると思い、上棟式を待たずに自らの命を絶って秘密を守ったと言う。

高次は棟梁としての面目は保ったが、大切な妻を失ってしまう。

亡き妻の冥福を祈って、高次は「おかめ塚」を建てたと言われ、今でも「おかめさん」の像とともに多くの人に親しまれている。

私の個人的には、なぜ妻のおかめさんが死ななければいけないのか納得できないし疑問にも思う、妻が自刃してその得を称えるよりも、夫をフォローして夫婦が協力したという方がよほど素晴らしいと思うのだが、昔と今とでは倫理観も違うのだろうが、妻が夫の犠牲になるのを美学にするのはどうも後味が悪い気がする。

私が夫なら自分の名声とかより妻の方がよほど大事だと思うし、なぜ死んだと怒りと哀しみに包まれると思う。

おかめさんは、また「お多福さん」としても知られていて、京都では「おたやん」と呼び親しまれていて、穏やかでふくよかな笑顔は見ているものを癒すような優しさを感じてしまう。

また、高次がお堂の棟にに阿亀さんの面を取り付けて偲んだと言われる事から、京都の町屋とかでは家を建てる時に屋根裏に阿亀さんの「おたやん」の面の付いた幣串を置くと「おたやん」が家を守ってくれるとされる縁起物でもある。

そういう関係でお寺のお堂にはいろいろなお多福やおかめさんが展示されてもいるし、お寺の受付でもお面や人形が売られている。

境内には、「阿亀桜」と言うりっぱな桜の木があり、毎年春には美しい花を咲かせておかめ塚にまさしく花を添えている。

「わたしゃ お多福 御室の桜 ハナが低くても 人が好く」と御室桜を歌った戯れ歌があるが、この歌のように阿亀桜も多くの人の目を楽しませて好かれている桜である。

私も毎年桜の時期には阿亀桜を愛でに来るのが楽しみにしているのである。

なお節分には、おかめ節分と呼ばれる鬼追いの儀式が行われ、暴れる鬼をおかめさんが笑顔で追い返すと言う独特の物で人気である。

哀しい伝説が信じられないように、おかめさんの像は今日も穏やかな笑顔で来る人を迎えている。

もうすぐ節分だが、この阿亀さんのお多福さんで福を呼び込んでくださいな。

それから、堀川寺之内まで行き、人形の寺として知られている宝鏡寺に雛人形を見に行った。

この宝鏡寺は多くの皇女が住職を勤めた門跡寺院で、百々御所とも呼ばれていて、幕末に皇女でありながら公武合体のために徳川家茂に降嫁した皇女・和宮が幼い頃に過ごした場所でもある。

そう言う意味もあって皇室所縁の人形や品物も多く所蔵しており、また人形の供養も行っているために人形の寺として知られている。

普段は非公開のお寺で、春と秋にだけ人形展を開いて一般に公開されているのである。

今の時期も、春の雛祭りにあわせて、雛人形の展示とか行われている。

和宮の所縁の品物とか雛人形とか興味深く見て楽しめた。

こうして、北野天満宮から千本釈迦堂の阿亀さん、それに宝鏡寺の雛人形と見て周ってきて、少し春の気配が感じられた散策だった。