2008年05月の記事


花菖蒲
今日は朝から雨降りですな。

その早朝の止み間をねらって大阪の城北公園にある城北菖蒲園に行って来た。

城北菖蒲園は、花菖蒲の時期だけ公開される回遊式の花菖蒲園で、池を巡りながら多くの花菖蒲を観賞する事ができる。

特に今日から一週間は特別に開園が8時からで朝から多くのカメラマンが写真を撮りに来ていたよ。

まだ開花していないのもいくつかあったけど、それでもほぼ満開で花菖蒲を楽しめました。
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溝掃除
今朝も昨日からの雨がなかなか止みませんな。

早朝に目が覚めてパソコンと触って文章を書いてたのだけど、8時頃になってお外が騒がしいので何だろうと思って様子を窺うと溝掃除をやってたよ。

いやー、いつも今頃になると町内の溝掃除があって、私も嫌々参加するのだけど、今年が今日だとは知らなかった。

そろそろかなとは思ってたんだけどね、回覧板の見落としかな。

このままバックレたい所だけど、出てないとうるさいからね、はい、参加しましたです。

でも、まだ小雨が降ってるやん。

マンションの前の溝の蓋を取ってドロをすくって掃除してたんだけどね、何故か横の溝だけ水が溜まったまま流れない。

他のおばさん達も集まって何で流れへんのやろって話してて、たぶん中で何かが詰まってるんやろなって事になった。

それで、詰まってるのを何とかしないといけないと言う事になったんだけど、うちのマンションの溝やし、他はおばさんばかりやしって事で何となく私がやるはめに・・・

溝の水の中に手を突っ込んでみると、粘土のようなものが下水管に詰まってる。

それを手で掻き出そうとするけど、固まっててなかなかうまくいかない。

それでも取れる分だけでも何とかしたけど、後は器具でもないとどうにもならないしね。

そこで、溝掃除は終わりにしたのだけど、やはり泥水の中に直に手を突っ込んだので気持ち悪いっす。

もちろん水道水で洗ったけどね、何か気分悪いなぁ。

でも、これで来年までもう無いから良かったけどね。
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天王寺
今日は早朝からコインランドリーでお洗濯していた。

もう冬物をしまって夏物に替えないと暑いからね、布団カバーや毛布とかを洗濯して少し疲れたよ。

それでも、良いお天気で暑いくらいだから、どこかに行こうと思って、久しぶりに動物園にでも行って見たくなって天王寺に行ってみることにした。

天王寺に行くのは久しぶりだよ。

天王寺公園と動物園に行こうとしたけど、開園は9時半からでそうで、まだ1時間近くある。

仕方ないので、まだ四天王寺には行った事がなかったので、ぶらぶらと歩いて四天王寺にお参りしてきた。

四天王寺は、前から行きたかったのだけどなかなか機会が無くて行けなかったんだよね。

境内をぶらぶら見て周りながらお参りしてるのは、気持ちが落ち着くね。

駅に戻ろうと思って歩いていると「釣鐘まんじゅう」を売っていたので、お土産に買って買える。

天王寺駅まで戻ってくると動物園の開園時間になっていたが何か疲れちゃって帰ろうと思った。

駅の売店とかを見ていると、あの「赤福餅」が売ってたので、思わず買ってしまったよ。

さらに、「一芳亭の焼売」も売っていたので買ってしまったよ。

それで家に帰ったけど、お昼は焼売を食べて、夕飯は赤福で、おやつに釣鐘まんじゅう・・・また太るわなぁ。
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脂質異常症?
今日の仕事中に先日の健康診断の結果が届けられた。

メタボ検診で複囲を87センチって多めに書かれて怒り心頭でしたけど、結果的にはメタボは「非該当」となっていて一安心。

これで診察とか受けなくと済みそうなので良かったわ。

まぁ、これもダイエットで無理したおかげと思ってたら、血液検査のほうで「脂質異常症」て書かれて「要治療」と判定されてた。

え!何それ?

これまで高脂血症は何度か書かれてるけど、こんなの始めてっす。

脂質異常症かぁ、何だろね、要治療って言われてもね、しばらく様子を見ましょうかね。
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有頂天家族
森見登美彦さんの「有頂天家族」を読了した。

森見登美彦さんと言えば少し前に読んだ「夜は短し、歩けよ乙女」で人気になった方で、この有頂天家族も同じように京都を舞台にした作品で、夜は短し・・・と同じような雰囲気の作品で世界観も似ているような気がする、また偽電気ブランとか同じと思われる人物も出てきてるしね。

この有頂天家族はタヌキの世界を書いた物語で、下鴨神社の糺ノ森に棲むタヌキの名家である下鴨家のお話である。

下鴨家は京都のタヌキ界をまとめて来た偉大な父である総一郎がある日突然にタヌキ鍋にされて亡くなってから落ちぶれてしまった。

遺されたのは宝塚ファンでしっかりものだが雷には弱い母と頼りない4兄弟である。

長兄の矢一郎は生真面目だが土壇場に弱く、次兄の矢二郎は蛙になったまま井戸の中で引き篭もり生活、四男で末弟の矢四郎はまだ幼くて気が弱いためにすぐに尻尾をだす。

そして主人公である三男の矢三郎は面白がり主義でいつも悪戯したりトラブルを巻き起こす問題児なのだ。

この家族が偉大な父の影響を引きずりながらも、一族の誇りを取り戻すべく奮闘する。

そこに、ライバル関係である卑劣な宿敵の夷川家と対立しながら、往年の力を失くした天狗の赤玉先生や天狗の力を持つ人間の美女の弁天、そして忘年会で毎年タヌキ鍋を食するという金曜倶楽部などに囲まれながら、京都を舞台に活躍する物語である。

普段は頼りなくてバラバラのようでいながら、肝心な所では家族愛に包まれたり、それぞれの持つ優しさが感じながら、父の死の真相が少しずつ解明されていったり、面白くもほのぼのする作品であった。

続編も雑誌に連載されてるようで、早く続きが読みたい作品でもある。
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かきつばた
今年も京都の杜若(かきつばた)が咲き出したようなので、どうしても見たくて早朝から雨にもかかわらずに京都まで出かけてきた。

京都で杜若と言えば上賀茂神社の近くにある「大田神社」の杜若だ。

大田神社の前にある大田ノ澤は杜若の群生地として知られている名所なのである。

また、ここの大田ノ澤は、杜若の群生地として天然記念物にも指定されていて、神社の前の沢には多くの杜若が咲くので有名で、いつも咲く時期になると多くのカメラマンや花好きが訪れており、私も毎年見に行っている。

沢いっぱいに杜若が咲く様はまるで紫の絨毯をしいたみたいで美しい。

今年は少し遅れてるみたいで、これで8割くらいの開花かな。

それでも、一面の杜若が咲く風景はほんとに美しくて心が癒されてしまう。

今年は雨降りだったけど、見に来て良かったよ。
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今年のGW
今年のGWは4月26日~29日の4連休と5月3日~6日までの4連休の二つの4連休と言う変わった形だった。

大まかにまとめておくと


4月26日(土)

早朝から京都に向かい、四条河原町からバスで大原に向かう。

大原から戻って新京極でうろうろしてから実家に向かう。

ミスター餃子で餃子を食べた。

実家にもどってからジャスコで月光仮面のDVDを買った。


4月27日(日)

実家を早朝に出て市バスと阪急で松尾大社に山吹の写真を撮りに行く。

松尾から嵐山を経て太秦映画村へ福本さんを見に行く。

映画村を出ると嵐電の四条大宮で源氏物語のプレミヤム切符を買ってから京都駅に向かった。

京都駅でトンカツ定食のお昼を食べてからお旅に寄っていろいろと買い食い。

東寺に寄ってから実家に戻る。


4月28日(月)

早朝に実家を出て寝屋川に帰ってくる。

家に帰ってから枚方に行ってお買い物。


4月29日(火)

京橋でセガのクイズゲームを楽しんだ後でお買い物。


5月3日(土)

早朝から近鉄電車で奈良の榛原に行き、墨坂神社に行く。

そこから近鉄電車で上本町に戻り、地下鉄でイオン大日に行く。

イオン大日で映画「紀元前1万年」を見て、佐世保バーガーのSサイズとおにぎりをテイクアウト。


5月4日(日)

朝から大阪歴史博物館に行く、篤姫展もやっていた。

大槻能楽堂で茂山家の春狂言2008を見る。


5月5日(月)

守口の京阪百貨店にお買い物。

九州・四国・瀬戸内のうまいもの展をやっていたのでお買い物。


5月6日(火)

駅前でお買い物したくらいで家でのんびり。



と、まぁ今回もあちこちで歩いて落ち着かない連休だった。


そうそう、この連休はNHKのドラマの影響か、九州の物産展みたいなのをよく見かけたね。

私もいろいろと買ったり食べたりしてた.

ボンタンアメと兵六餅の大きなのを見つけて買った。

こんな大きなのも売ってるんですね、しかも鹿児島の同じメーカーが作ってるとは意外だった。

あと、博多の長浜ラーメンも買ったよ。

家で作ったけど、生麺の細麺だったので茹ですぎて固まってしまって失敗したっす。

でも、美味しかったよ♪

こうして連休は終わったけど、次の連休はお盆だね、これから暑くなるかと思うと気分が凹みます。

でも、がんばって乗り切りましょう。
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春狂言 2008
今日は楽しみにしていた狂言を見に行ってきた。

私が大ファンである京都の大蔵流の茂山家の「春狂言 2008」で、大阪の大槻能楽堂で開催される。

公演は午後からなので、午前中は近くの大阪歴史博物館を見学して時間を潰したが天璋院篤姫展も開催されてて、なかなか楽しめた。

さて、午後になって大槻能楽堂に向かった、いつも狂言を見に来ているのでお馴染みの能楽堂である。

今日の午後の部の公演は「佐渡狐」「骨皮」「さくらんぼ」の三曲で、今回の公演には「狂言と落語の縁もゆかりもある関係」の副題があるとおり、落語にゆかりのある曲が二曲入っている。

茂山家の公演は人気があるためにチケットが取り難いくらいであるが、今日もほぼ満席の入りだった。

始めは、茂山家の公演ではお馴染みのトークである。

茂山家ではテレビなどで活躍されてる人が多いからか、トークでしゃべれる人も多いが、今日は最近のNHKのドラマの「ちりとてちん」にも出演されて人気になった茂山宗彦さんのトークだった。

軽快なしゃべりで今日の演目の解説や狂言の楽しみ方を、判りやすくツッコミを入れながら爆笑をさそって雰囲気を盛り上げていく。

さて、トークも終わって始めの曲は有名な「佐渡狐」である。

「佐渡狐」

越後のお百姓:茂山 正邦

佐渡のお百姓:茂山 茂

奏者:茂山 千之丞

越後と佐渡のお百姓が都に年貢を納めに行く道中で道連れになり、それどれの国の話をするうちに、佐渡に狐がいるかいないかで言い争いになり、お互いに小刀を賭けて奏者に判定してもらうことになる。

佐渡のお百姓は佐渡に狐がいると言ってしまったが、実は狐はおらず見たことも無い。

そこで奏者に賄賂を贈って佐渡に狐がいることにしてもらい、さらに狐の事を聞かれた時に答えられるように狐の事を教えてもらう。

続いて越後のお百姓も無事に年貢を納めると、奏者に賭けの判定をしてもらうように頼んだ。

そこで奏者は越後のお百姓と佐渡のお百姓を呼んで佐渡にも狐がいると嘘をつき、佐渡のお百姓も何とか教えられた通りに答えて賭けに勝つのだった。

しかし、どうしても納得できない越後のお百姓は帰りに、もう一度狐の鳴き声を訪ねるが、佐渡のお百姓はそれは教えてもらっていないので・・・


お馴染みの狂言であるが、茂山家らしい味付けで、奏者の前で越後のお百姓の質問に、佐渡のお百姓が四苦八苦しながら答えるとか爆笑につぐ爆笑である。

また、越後のお百姓役の正邦さんと、佐渡のお百姓役の茂さんの兄弟対決も見もので面白かった。

休憩を挟んで、次の曲は落語の「金名竹」の元になった「骨皮」であり、私も始めてみる珍しい曲である。

「骨皮」

住持:茂山 千作
新発意:茂山 童司
傘借り:島田 洋海
馬借り:増田 浩紀
斎呼び:丸石 やすし

住持は、新発意(まだ仏門に入ったばかりの者)に寺を譲って隠居しようと考えて新発意に告げ、檀那たちを大切にするように教える。

そこに男が傘を借りに来るが、新発意は住持の新品の傘を貸してしまい、住持に叱られて傘の断り方を教える。

次に、馬を借りに来た男に対して教わった傘の断り方で断ってしまい、また住持に叱られて馬の断り方を教わる。

続いて、斎呼び(食事の誘い)には馬の断り方をして、またまた住持に叱られてしまう。

やがて、住持と新発意は言い争いになり・・・

この狂言には、人間国宝であり、昨年に狂言界初の文化勲章の受賞をした茂山千作様(あえて様づけ)が出ているのである。

昨年に骨折されてしばらく舞台を離れてられて心配していたのだが、元気に舞台に復帰されて感慨無料であった。

ほんとうに、茂山千作様の凄さは出てくるだけで独特の雰囲気を持ち、何とも言えない可笑しさをかもしだす至芸だと思う。

生の茂山千作様を見られる幸せを実感してしまう私である。


最後の狂言は新作狂言の「さくらんぼ」で、これは落語の「頭山」をもとに小佐田定雄氏が作り、茂山あきらさんが演出した狂言である。

茂山家は古典もきちんとこなすが、新作狂言にもいろいろと挑戦していって、勉強していくのが良いですな。

「さくらんぼ」

男:茂山 あきら
女房:茂山 逸平
友達:茂山 宗彦
   茂山 七五三
   茂山 正邦
   茂山 茂
   丸石 やすし

さくらんぼの種を食べてしまった男は、やがて頭から桜の木が生えて、春になって桜の花を咲かせるようになった。

男の友達が訪ねてきて、男の頭の桜を見て驚くが、男も外出できなくて寂しいだろうと、仲間を連れてきて見舞うと言い出した。

やがて、友達仲間が連れ立って見舞いに訪れたが、酒を持って来ていたので、やがて頭の桜の木を眺めながら、賑やかに花見の宴会が始まって女房も一緒に酒盛りに参加する。

しかし、男とすれば周りで賑やかに盛り上がっても、自分は少しも楽しくないので、やがて何処かに出て行くと頭の桜の木を引き抜いて帰ってきてしまう。

すると木を抜いた後は大きな穴が空いており、折からの雷雨で穴に水がたまって池に変わってしまい・・・


これは落語が元になった話だけに荒唐無稽なバカ話である。

まず、始めに頭に桜の木が生えた男が出てくるだけで爆笑が起こってしまう楽しい狂言となっている。


以上が、今日の狂言の内容であったが、私の好きな茂山千三郎さんや茂山家の当主である茂山千五郎さんが見れなかったのは、少し残念ではあったが、その代わり茂山千作様を見れただけで大満足である。

私などが千作様の芸について語るなどできないが、それでも凄さをひしひしと感じてしまうのが千作様なのかもしれない。

あと、いつまで千作様の芸を生で見れるのだろうかと思ってしまうこともあるが、それでも生で見れるだけでも幸せだと思う。
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S神社訪問記
今日は以前から気になっていたS神社に行って来た。

障りがあるといけないので敢て名を秘すが判る人にはわかると思う。

実は、私は作家の加門七海さんのファンで、以前に「怪談徒然草」と言う著者のインタビューを元にした本の中で、実体験として「九人の氏子と神主」と言うお話を書いておられ、それを読んでから舞台となった神社が気になっていたのである。

加門七海さんはいわゆる見える人として不思議な経験を多くされているのだが、この「九人の氏子と神主」のお話は、ここでも神社の名前は秘されているが、加門さんが奈良県のある神社に行かれたときに聞かれた話である。

加門さんがお友達と車で旅行されてた時に、S神社の看板が目に付き、以前にも行った事があるのでもう一度行ってみようという事になった。

それで神社に着いてみると以前に来た時と雰囲気や造りが変わっており、不可解な点が多い。

まず、神社の鳥居の外の境外に祓戸神の祠が祀ってあり、その次の手水が置いてある。

祓戸神は身の穢れを祓う神であり、手水で手や口を清めてから、祓戸神にお参りしてから本殿に進むのが普通であるが、ここでは逆になってしまっている。

本殿は新しく出来たようにきれいであるが、その隣の場所に牛の像が置かれているが、天神様でもないし、直接ここの神には関係の無い牛の像があるのは不可解である。

さらに、水神を祀るとして、以前には無かった池が作られて池から水が流れて御神水としてペットボトル等を販売して持って帰れるようになっている。

加門さんが、何か気持ち悪い雰囲気だと思っていると、どこからか老人が現れて話しかけてきた。

老人の話によると、このS神社は日本書紀にも記載されている由緒ある古社で有るが、神社を建て替えることになったときに神社の配置なども変えてしまったのだという。

まず、氏子達が300万円もかけて牛のブロンズ像を造ってしまい、それを置くために本殿の横に祀られていた祓戸神を境外に移動させて、その祓戸神の祠があった場所に牛の像を置いたのだそうだ。

さらに神社の横には信仰もされている小川があったのだが、この水を境内をボーリングして小川の源から水を引いてきて、新しく作られた池に水を張り、さらに御神水として儲けようとしたのだそうだ。

これには神主と10人の氏子代表が係わったのだが、その10人の氏子代表のうちの9人までが病気や事故で災難にあい、神主も脳卒中で入院したり、奥さんが半身不随になったり、子供が交通事故になったり・・・そういう事が三ヶ月の間に次々と起きたのだという。

そして、氏子代表で唯一の無事だったのが、この老人だという話なのだ。

どうやら、この神社の神様の怒りに触れて祟ったのではないかと言うことであるが、この本を読んだ時から私には気になっている神社であった。

本の中でも神社の名前は書かれていないのだが、大きなヒントが書かれていて、少し調べると判るようになっている。

奈良にある古社であり、側には信仰の対象となる川が流れている。

また、日本書紀などにも記載されている神社で神武天皇の東征にも出てくるし、祟神天皇の項では疫病を納めるために、赤い盾と矛と黒い盾と矛を8本ずつ作り、赤い盾と矛の8本ずつをこの神に納めたと言う記録があると言う。

それらをヒントに調べた結果、この神社は奈良県でも奥地で三重県の名張に近い宇陀市にあり、有名な長谷寺の一つ先の駅で降りた宇陀川沿いにあるS神社であると推測された。

そこで私は確認してみたくなり、実際にこの神社を訪ねてみたのである。

まぁ、ここまで書くとほとんど神社は特定できたりするのだけど、一応は秘すと言うことで・・・

駅で降りて、そこから徒歩でまず宇陀川にでる、やはり気持ちの中に少し恐怖もあるので途中で見つけたお地蔵様に無事を祈願して先を進む。

その神社は駅から徒歩で10分くらいであろうか、宇陀川に架かった橋を渡って神社に行くという少し特殊な造りの神社であった。

橋を渡ると正面の鳥居の左横に手水があり、さらにその左に祓戸神の祠が祀られている。

加門さんの記述の通り、これでは祓戸神に気づかぬに境内に入る人も多いだろうし、祓戸神を参ってから手水を使うような順序になってしまっている。

本殿がきれいなのに祓戸神の祠は汚れてみすぼらしく思えてしまうほどだ。

手水をすまし、祓戸神にお参りしてから鳥居をくぐって本殿に向かう。

本殿は朱色も鮮やかで横に長く伸びた造りである。

本殿の左端の方に加門さんも書いてられた水神の池があり、一応は水の女神である「罔象女神」を祀った祠も祀ってある。

竜の口から水が流れ出ているが、書いてあったようなペットボトル等は目に付かなかった。

その御神水の池と拝殿の間には古札の納め所が儲けてあり、そこには本にあった牛の像が置かれてあった。

つまり、本来はここに祓戸神の祠が祀られていたのである。

昼間でも薄暗い場所で話を知っているからか、なんとなく恐怖を感じてしまう私だった。

拝殿の右側には様々な神を祀った小さな祠が八つならんでおり、さらにその右側には奥の道が大山祇神を祀った祠に続いている。

一応は失礼の無いように各祠には丁重にお参りしておいたが、やはり何となく不思議な雰囲気があったように感じるのは気のせいだろうか。

加門さんの内容と若干違う部分もあるが、概ねはその通りであり、このS神社がその神社だと考えても良いのではないかと思う。

ただ、祭日のこの日に国旗も掲げられていたし、一応は今でも管理する人がいるのは確かだと思う。

ほんとうに祟りがあったのかどうかは不明であるが、不可思議な点があったのは事実であり、そういう箇所が解消されて、いつかもとの平穏な古社に戻るように願わずにはいられなかった。
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