2012年11月の記事


故郷の香り


今頃、我が故郷はもう山茶花が咲き始めただろうか。
そろそろ金柑の実がたわわに実り始めたかしら。

金柑は後から後から実をつけてぽろぽろ庭に落ちる度、
暗い雨空を明るくさせる果実。近頃は糖度も増してきた。

柚子もいい香りを漂わせ重たそうに頭を垂れて実ったかしら。
淡い柑橘系の香りはコロンや香水にもよく合う。

初冬の沖縄は雨ふりの日が続き、洗濯物が中々乾かない。
乾燥機も付いていない古い全自動洗濯機で音も割とうるさい。

何度も空を飛んでいるヘリコプターの方が静かに聞こえる。
10月、11月オスプレーも飛んだらしいが全く気付かなかった。

自由奔放な主人は、昼食の為に住まいに戻る位で
日中は毎日外で行動している。

ゲートボールの審判をしたり、自分も試合に参加して優勝でお米を頂く。
今日も雨がふっているのに午後からグランドゴルフらしい。

前回、沖縄に来た時と同じ合鍵を持っているという事は
彼女と会っていると思う。その人が誰か想像もつかない。

そんな主人が帰宅しても普通に会話をしながら笑顔を絶やした事はない。
「誰と会っていたの?」等と口に出しても楽しい筈はないから。

しわも増えてやせ細り、住まいに帰れば疲れて寝てばかりの彼が
遊べるのは今のうちだけ。

彼にとって退職後の人生は満足だったと思って貰いたい。
私は、未亡人の事を考えれば幸せだと思う。
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緑の丘
昨日は朝からしとしと小雨が降ったり晴れたりくるくる変わる天候だった。
午後からバス、ゆいレールを乗り継いで小高い公園に行ってみた。

遠くから見れば小さな山に見える為、頂上迄行くには高過ぎて、
途中迄階段を登って足を気遣い降りてきた。

相当長い階段を上らなければ頂上迄には辿りつけない。
無理すれば腰痛が悪化することを考え諦める事にした。

大きな樹木や小さな木々に囲まれて、小鳥のさえずりが聞こえ、
散歩をしながら澄んだ空気と所々に名も知らぬお花が咲いていた。

ここが県庁所在地とは思えないほど静かで生物もいる。
この日、一人だったので1時間位で表通りに下りて家路に向かった。

次に来る時は友達か、主人を連れて来たい。
昨日は、二十四節気の小雪、立冬から数えて15日目。

北国から雪の便りが届く頃だが、まだ本格的な冬の訪れではなく、
雪もさほど多くない事から小雪と言われたもの。

深夜11時半頃電話が3回鳴っても遅い時間帯なので放っておいた。
その数分後に誰かが玄関のチャイムを鳴らした。

主人が玄関迄出てドアーを開けずに「誰も居ない。」と呟いた後、
部屋の電灯を消せ!テレビも消せ!と気にしていた。

「思い当たる人はいるの?」私が問えば「全く分からない。」と答えるだけ。
あれこれ考えているうちに午前1時に近いほど夜が更けていた。

アパートも20件も住んでいれば間違ってチャイムを押す人も居る、
そう自分に言い聞かせながら眠った。

この頃起床時間が午前6時に自然に目が覚める習慣がついてきた。
今日から3日間「離島フェア2012」が始まった。

「離島フェア」は、那覇市のセルラーパーク那覇をメイン会場に、
39の島々の特産品が揃っている。

雨が降ってもゲートボールに行くと出かけた主人も運動はやめて
「離島フェア」を見てお魚のフライを買って来たのでキャベツを添えて昼食とした。

私に「明日か、明後日にその会場に連れて行く。」と言っていた。
半日位は付き合うけれど、私は公民館で習いたい事がある。
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冬立つ



今月7日頃、太陽の光が弱まり、冬の始まる立冬に入った。
立春、立夏、立秋と並んで季節の大きな節目になる。

二十四節気の一つで「立」には新しい季節になるという意味があり、
冬枯れの景色が目立つようになる頃。

故郷の野原は樹木から木の葉がぱらぱら散って
師走には枯れ木や枯野になってしまう。

伴侶は、中古の我が家に永住する気がない。
室内で使用していた物は暖房器具も何もかも人にあげたり捨てゝいた。

あの家には既に最低限に使用する物しか残っていない。
本当に殺風景な家になってしまった。

今年は8か月位沖縄に滞在したいと言っていたが、
私は、できるものなら桜の花の咲いている時節に帰れたらと思う。

そんな事をすれば相手の思うつぼだとも考えてしまう。
夏だけでも二か月も別居する事が分かっている。

今朝、朝シャンをしたら頭痛と寒気がするので風邪かもしれない。
風邪をひいて熱を出しても誰も当てにはしていない。

昨日、近隣の街へ用足しに行った帰りバスを待つ間、
珍しく冷たい強風が吹いて異常な寒気を感じていた。

温暖な島だから風邪をひいても直ぐに治ると思う。
腰痛のリハビリに行かない為か、右足が思うように上がらない。

左足は頭の上まで上がるのに、バスから降りる時も
右足が早く出ない事が悔しくて堪らない。

整形に通わない自分が悪いのだから仕方がない。
整形外科を探して一度行ってみようと思っている。

私は、誰に対しても優しくなれないのか、
この頃はつくづくそう思い、自分が嫌になる。
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夜の雨


南の島に降る雨は、しとしと静かな春の雨のよう。
夜、夕食の買物と翌朝の食材だけを買う為に出かけた。

今夜の雨は、ざあざあ土砂降りの雨が降るなんて珍しい。
何処へ行っても坂道だから水溜まりも多く靴が濡れていた。

外が暗くなってからの買物は主人、明るい時の買物は私と
決めていた。

何時も何処かで遊んで来ては疲れて眠っている主人、
こんな人を当てにしても仕方がない、買物に出かけた。

本土が寒くなれば南国に吹く風もすうすう肌寒くなり、
半袖から長袖のブラウス、夜はブレザーを着るようになった。

スーパーで静岡産の鮪のお刺身を見た時、「あった!」
嬉しくて思わず懐かしさがこみ上げる。

結局、お刺身を買わずに安い生鯖と牛蒡、人参で金平ごぼうを作った。
深夜、雨がやみベランダで夜景を見ながら、ふと思った。

平凡に生活できる幸せ、大きな病気にならず普通に生きられる幸せ。
雨露しのげる部屋があり、笑顔で暮らせたらそれでいい。
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菊の秋
霜月になると母の産まれた時節がきた事を思い出す。
五人兄弟の中の女一人で気の強い母だった。

母が亡くなってからもう何十年経っただろうか。
私の名前に一度も「ちゃん付け」してくれず呼び捨てだった。

父も同じ様に「××ちゃん!」なんて言わず「××!」と
呼び捨てだったと言う事は可愛げのない子だったと思う。

姉には「ちゃん付け」していたのは姉がお淑やかで
親からみて素直で甘える点が可愛かったのかもしれない。

私は、少女時代から両親が嫌いで親戚の家に遊びに行ったり、
男の子と跳び箱遊びやお転婆な遊びをしていた。

近所で「菊祭り」が開催され母と姉と3人で素晴らしい菊を見に行った時等、
姉は可愛いリボンとスカートはいて私は男の子のような格好をしていた。

それにしても様々な色や形をした菊が綺麗で忘れられない。
小学校入学前に姉が亡くなり両親の悲しみが私にも分かってきた様な気がする。

姉が亡くなり私一人になっても私は両親に甘える事もないので、
両親は親戚の従妹を可愛がっていた。

44才も年の離れた父に甘える所か、
中学生になる頃は親を哀れだと思う気持ちが増々強くなってきた。

私は、両親が亡くなってから両親の親心が少し分かり、
悪い点は忘れ良い点だけを思い出し心の中で供養している。

今頃、母は晩秋の風に吹かれ、
紺地に白菊柄の小紋を着て菊を眺めて喜んでいるかしら。

白菊は 母の形見の 帯の色
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