2011 06/10 18:31
Category : 日記
あの頃の私は本当に何ひとつ無かった。
19才と言えば大学に進んだ人、職場で働く人、
新しい社会に出た私は嬉しくて胸がいっぱいだった。
下町も景気が良く木造の建物からビルへと様変わりし、
同時入社した友達もとても楽しそうだった。
この年齢になると自動車教習所に行く友達が多く、
私も友達と一緒に教習所まで行き、
見送って帰って来ると言う事は一回で辞めた。
月給を全額といってもいいほど両親に渡していたので
車の免許どころか、成人式に着る振袖やスーツも買えない。
幸い、会社の親友と体系が似ていたので社員旅行に行く時は、
親友の洋服を借りて行った思い出がある。
ただ、あの写真を見れば私だけが靴ではなく
サンダルを履いて写っていた。あの洋服に合う靴も無かった。
その半年後、社内でクリスマスパーティーが有り、
「踊りましょう!」座っていた私に笑顔で声をかけてくれた
眼の奇麗な男性が立っていた。
なんて眼の輝いている清潔そうな方だろうと思い、
兄のように優しい彼を尊敬していた。
晩生な私に恋愛等はできるはずがない。
眼の美しい兄のような先輩に婚約者が居ると聞いた時、
私のような極貧の娘ではなく、富豪のお嬢様だった。
私の実家は負債を抱えていた為、誰とも交際はしないまま
働き続け、その4年後、気が付けば親友も友達も結婚をしていた。
その時、働いて何時か皆を見返してやろうという気持ちがわき、
数年後には生活も人並みになったが、私生活は仕事に追われ
時間に余裕のない毎日だった。
私が現在19才なら、親を捨てゝも自分の人生は自分で決めたい。
そして泣く事が有っても最後は幸せを自分の手でつかみたい。
19才と言えば大学に進んだ人、職場で働く人、
新しい社会に出た私は嬉しくて胸がいっぱいだった。
下町も景気が良く木造の建物からビルへと様変わりし、
同時入社した友達もとても楽しそうだった。
この年齢になると自動車教習所に行く友達が多く、
私も友達と一緒に教習所まで行き、
見送って帰って来ると言う事は一回で辞めた。
月給を全額といってもいいほど両親に渡していたので
車の免許どころか、成人式に着る振袖やスーツも買えない。
幸い、会社の親友と体系が似ていたので社員旅行に行く時は、
親友の洋服を借りて行った思い出がある。
ただ、あの写真を見れば私だけが靴ではなく
サンダルを履いて写っていた。あの洋服に合う靴も無かった。
その半年後、社内でクリスマスパーティーが有り、
「踊りましょう!」座っていた私に笑顔で声をかけてくれた
眼の奇麗な男性が立っていた。
なんて眼の輝いている清潔そうな方だろうと思い、
兄のように優しい彼を尊敬していた。
晩生な私に恋愛等はできるはずがない。
眼の美しい兄のような先輩に婚約者が居ると聞いた時、
私のような極貧の娘ではなく、富豪のお嬢様だった。
私の実家は負債を抱えていた為、誰とも交際はしないまま
働き続け、その4年後、気が付けば親友も友達も結婚をしていた。
その時、働いて何時か皆を見返してやろうという気持ちがわき、
数年後には生活も人並みになったが、私生活は仕事に追われ
時間に余裕のない毎日だった。
私が現在19才なら、親を捨てゝも自分の人生は自分で決めたい。
そして泣く事が有っても最後は幸せを自分の手でつかみたい。