2018年11月の記事


「手水」
<<日本>>--川越--


参拝の前に手を洗う二人の若い女性の姿。

川越氷川神社の手洗い場で、和服姿の若い女性が、手を浄化する姿を見かけた。

こんな姿を見ると、まだ日本も捨てたものではないなと、安心する。

最近は若い男女が和服姿で街を散策し、神社に詣でる姿を良く見かけるが、こんな日本古来の作法を忘れ、単にファッション性だけで、和服を着るケースも少なくない。

せめて和服に着替えたら、その姿に相応しい礼儀作法もわきまえて欲しいものである。

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「好日」
<<日本>>--川越--


川越氷川神社での七五三祝いの寸景。

先週の日曜日は、七五三のお祝いをする家族で、氷川神社は賑わっていた。

我が家の孫たちは、昨年の七五三で、もうお祝いをする子供は居なくなった。

こんな子供たちの姿の数々を見ていると、孫たちの晴れやかに着飾った姿が思い出され、懐かしさが込み上げてくる。

両親や爺婆に付き添われてお祝いにやって来る子供たちの姿は、戦争でこんな経験が無かった我々とは違い、現在の平和日本の良さが滲み出る好日の光景であった。

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「受賞作品の数々」
<<日本>>--川越--


菊花展で受賞した作品を一堂に集めた展示場。

どうやら菊の花の作品群も、花の形容や種類によって部門別に分かれているようである。

日頃花の育成に縁の無い私なので、どんなふうに分類されるのか分からないが、こうして一か所に展示されると、多少はその違いが分かるような気がする。

しかし沢山の同種類の菊が展示されている中で、此処に選ばれている作品のどこが秀逸なのか、その違いがとんと見当のつかない私である。

さて菊花展の会場入り口で買ってきた我が家の菊の花は、玄関先をいつまで輝かせてくれるだろうか。

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「大輪の花」
<<日本>>--川越--


11月から始まった恒例の川越喜多院境内での菊花展に行ってきた。

菊好きの人々が丹精込めて育て上げた菊の数々は、いずれ劣らぬ見応えのある作品ばかりであった。

その中でも花の専門家でない私が、自己流の目利きで素晴らしいと思った作品をいくつかカメラに収めて来た。

これはその中の一つであるが、大きさと言い、形の良さと言い、色合いの良さと言い、思わずカメラを向けたくなった大輪の菊であった。

同じような形状の菊花はたくさんあったが、何故かこの花が気に入ったのである。

展示会場の出口で、大輪の鉢植えの白い菊が、わずか1500円で売られていて、思わず食指が動いたが、花の育て方が分からぬ私は、この秋だけで枯らしてしまうのは可哀そうだと思い、買うのを思いとどまった次第である。

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「祭りの日」
<<日本>>--川越--


川越祭りに繰り出した和服姿の女性たち。

最近はただ祭り見学に出掛けるのではなく、このように和服姿で祭り見学に出掛ける若い人たちが増えて来た。

というより、川越では平日でも和服姿の若い男女が、観光に参加する姿が実に多くなってきた。

どうやら観光をするのに、男女を問わず和服姿で街を歩くのが、若い人たちの間で流行しているようである。

この和服姿の人たちを良く見てみると、日本人と外人がほぼ半数であるのには実に興味深い。

なぜこんなに和服姿の男女が多いのか、街を歩いて見て気付いたのだが、こんな和服姿を素早く実現してくれる和服店が実に多いのである。

普段着で川越に来て、こんな店で和服に着替えて、蔵の街を歩き、そして自撮りでインスタ映えのする写真を撮る、これが最近の流行の様である。

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「囃子台で」
<<日本>>--川越--


山車の狭い囃子台の上で、笛鉦太鼓の囃子に合わせて優雅に踊る、おかめの姿。

山車の動きや停止を気にせずに、この囃子台の上で踊るのはとても大変なことだと聞いたことがある。

急な山車の発進や停止でもよろめかず、自然な形で踊るのには、足腰がよほど確りしていないと危ないのだという。

優雅で女性らしい仕草でおかめを踊るのは、お面で顔が隠れていて分からないが、腕や手の若々しさから、若い女性の様である。

熟練した高齢の男性でないと踊れなかったこの踊りも、継承する若い男女が増えたことで、長年の訓練の成果が、この晴れの舞台で披露出来るようになったのだと、祭りの町衆のお年寄りから聞いたことがある。

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「山車が行く②」
<<日本>>--川越--


川越祭りの主役、煌びやかな山車が、爽やかな秋空の中を、車輪を軋ませながら進んで行く。

こちらの山車は、喜多町の秀郷の人形を載せた山車である。

秀郷は歴史上良く知られている俵藤太秀郷の事であり、文政9年に鼠屋五兵衛によって造られた古くて貴重な人形である。

囃子台は唐破風で、煌びやかな金色の龍が屋根に飾られている。

明治30年に神田明神前の小倉作兵衛父子によって作成され、国の重要文化財に指定されている貴重な山車である。

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