2017 01/05 13:47
Category : 日記
<<日本>>--川越--
1月3日の川越喜多院のダルマ市に集う、人人人の波。
この日は通称川越大師様のダルマ市の日である。
私の実家は、この参道の人の波の先の角に有り、子供の頃から朝の暗い内から、参拝に詣でる人々の話し声や下駄の音で、わくわくしながら朝の来るのを待ったものである。
当時実家の前にはダルの市の露店や、様々な店が立ち並び、家から出るのも苦労したほどであった。
その様子は今でも変わらず、実家の前にはダルマを売る店や焼きそばを売る店が並んでいた。
車で出掛けた我々だが、喜多院の近くには入ることが出来ず、私が卒業した中学校の校庭が、臨時の無料駐車場になっていた。
そこから700メートルほど歩いた境内に辿り着いたが、本殿に参拝するには、西方向にある山門の外まで並んでいる、100メートルほど先の参拝客の列の後に、並ばなければならなかった。
1月3日の川越喜多院のダルマ市に集う、人人人の波。
この日は通称川越大師様のダルマ市の日である。
私の実家は、この参道の人の波の先の角に有り、子供の頃から朝の暗い内から、参拝に詣でる人々の話し声や下駄の音で、わくわくしながら朝の来るのを待ったものである。
当時実家の前にはダルの市の露店や、様々な店が立ち並び、家から出るのも苦労したほどであった。
その様子は今でも変わらず、実家の前にはダルマを売る店や焼きそばを売る店が並んでいた。
車で出掛けた我々だが、喜多院の近くには入ることが出来ず、私が卒業した中学校の校庭が、臨時の無料駐車場になっていた。
そこから700メートルほど歩いた境内に辿り着いたが、本殿に参拝するには、西方向にある山門の外まで並んでいる、100メートルほど先の参拝客の列の後に、並ばなければならなかった。