2013年10月の記事


「朝のビーチ」
<<インドシナ>>--バリ島--


早朝のバリ・ハイアット・ホテルの、プライベートビーチの光景。

広大なホテルだけあって、砂浜のビーチベットの数も半端ではない。

ホテルの従業員たちが、これらのベットの整備をしているが、既にこんな朝早くから、ベットに横たわって海の景色を眺めている観光客がいる。

遠く霞んで見える山は、バリ島の最高峰、アグン山である。

こんな小さな島なのに、その高さは3000メートルを越え、富士山と肩を並べるほどの高さだから驚きである。


(BGMの件)

ワヤン君から貰ったバリで最近売り出し中の、新進気鋭のフルート奏者で作曲家のGus TejaのCDをアップしていますが、聞けないという方が多いようです。
幸い私のページをサポートしてくれている、きんさんのBGM対処法が、掲示板に記されているので、参考にしていただければ幸いです。
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「ホテルの朝」
<<インドシナ>>--バリ島--


2日間宿泊したサヌールのバリ・ハイアット・ホテルの朝の光景。

朝食前の朝の日の出の頃を見計らって、広大なホテルの敷地を散策した。

このホテルには、前回バリに来た時も宿泊したが、逗留するだけで十分楽しめる風情が堪らない魅力なので、今回も宿泊した。

プライベート・ビーチに出る前の林の中に、こんな木の席が設けられていた。

この木の椅子に腰を掛けて、記念写真をどうぞと言うことなのであろうか、その証拠に、ホテルの名前が書かれたプレートが掲げられていた。
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「レストラン・マジョリィ」
<<インドシナ>>--バリ島--


ウェルカム・パーティの最後に、このレストランの入口の光景を撮った。

ちょっとバタ臭い名前では有るが、このレストランのしっとりとした高級感が滲み出ている佇まいである。

竹で出来た、筧の様な蛇口からは、静かに水の落ちる音が反響し、日本の庭園を思わせる情景だった。

我々一行は、この後このレストランを後にして、一路宿泊ホテルであるサヌールに有る、バリ・ハイアットに向かうのである。
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「開かない栓
<<インドシナ>>--バリ島--


このレストランで、最上級のアラックを注文した時のハプニング。

アラックは、バリ島特有のお酒である。

通常は椰子から作ったお酒であるが、此処の店のアラックは、椰子酒に米を発酵して作ったお酒をミックスしているとのことであった。

従って、スーパーなどで売られているアラックより、数段癖が無く美味しかった。

さて、ウェイトレスの彼女とワヤン君が、一生懸命やっているのは、このアラックの栓が中々抜けずに、苦労している様子である。

栓を抜くのにちょっとした工夫が有るらしく、暫く彼女があれこれやっている内に、見事に開いて皆で拍手した後、お神酒にあり付いた次第である。

ワヤン君の真剣な顔付きと、彼女の照れたような笑顔が対照的である。
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「レストランのムード」
<<インドシナ>>--バリ島--


海に向かって吹き抜けの、レストラン室内の佇まい。

この写真を撮った反対側が、中庭を通して海を遥かに見渡せる席である。

最初ここに入った時に、我々が一斉に発した言葉は、此処は我々男性だけで来る所ではないな、と言う感想である。

部屋の向こうには、昔のバリを思わせる大きな絵が、仕切りのように部屋を区切っている。

照明は少し暗めで、テーブルの上のキャンドルライトが、ムードを醸している。

ワヤン君が高級レストランと言うだけあって、料理も上品だし、値段も他のバリのレストランと比べると高めであった。
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「ヘルシー・フーズ」
<<インドシナ>>--バリ島--


最初に出てきた、前菜の数々。

流石にバリの高級レストランだけあって、出てきた前菜類も、体に優しい野菜中心のヘルシーな物ばかりである。

これなら朝早く日本の自宅を出た我々にも、抵抗無く口に出来るものばかりである。

この後、様々な料理が出てきたが、写真を撮るのを忘れてしまい、何を食べたか記憶に無い。

矢張り旅の初日は、日常の環境から変って、意識はしていないが、かなり疲労しているようである。

数年前までは、そんな疲労感も感じられず、これからの旅の始まりに期待を膨らませたものだが、矢張り年齢は隠せないようである。
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「ウェルカム・パーティ」
<<インドシナ>>--バリ島--


デンパサール空港に程近い、高級レストランでの、バリ島到着最初の夜の歓迎パーティ。

ワヤン君が、無事到着を祝って、此処のレストラン「マジョリィ」を予約しておいてくれて、先ずはウェルカム・パーティとなった。

時間が早いと、この席から、海を通してサンセットを楽しみながら、ディナーを摂る事が出来るのだという。

残念ながら、飛行機の到着が1時間遅れたために、すっかり夜の戸張が降りてしまい、夜の海さえ見ることが出来なかった。

時節も月が出ない暗夜であったので、吹き抜けのこの席からは、爽やかな夜風が吹き渡るだけで、外は真っ暗であった。

しかしこのレストランの中の光景は実にすばらしく、到着した時には皆が一斉に驚きの歓声を挙げたほどであった。
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「デンパサール空港」
<<インドシナ>>--バリ島--


チェックアウトを済ませた、デンパサール空港内の光景。

先ず諸々の入国手続きを終えて、到着ロビーに出て見て驚いた。

空港内の光景が、6年前に来た時とまるで一新されていて、昔の印象が全く思い出せない。

それほど大幅な改造が成されているのである。

久々に再会したワヤン君の話だと、エイペックの開催に合わせて、空港内の大幅な改装が成されたのだそうである。

こうした館内の光景は、正に近未来を思わせるモダンなものである。
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「着陸」
<<インドシナ>>--バリ島--


すっかり暗くなったデンパサール空港に、搭乗機は着陸した。

機内からタラップを降りてバスで空港館内に向かうまでの寸暇に、我々の乗って来た飛行機、ご苦労さんの意味を込めて一枚撮った。

到着が1時間遅れたので、さぞかしワヤン君は痺れを切らして到着ロビーで待っていることだろうと推測しながら、6年振りの再会に胸が躍った。

さて、折角の情感豊かなBGMが、聞ける人と聞けない人がいるようであり、パソコンの複雑さを痛感している次第。

原因を教えていただいた方に、心から感謝する次第である。
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「夕空の中を」
<<インドシナ>>--太平洋上--


夕闇が迫りつつある夕空の中を、フライトは続く。

成田発午前11:00の予定が、滑走路混雑のため、1時間遅れたことにより、本来ならこの時間にはデンパサールに着く予定であったが、まだ飛行機は上空に居た。

機内のアナウンスでは、バリ島デンパサールの気候は良好で、気温は28度とのことであった。

あと1時間余りで、常夏の島バリ島に着くかと思うと、三度目とは言いながら心は踊った。

今回も宿泊ホテルや、訪問中のスケジュール、予算などを、一体何度くらいワヤン君とメールで遣り取りしたことか。

勿論私も楽しみだが、特に今回は初めてバリを訪れる旅友が2人居たので、兎に角彼等に満足したバリの旅を味わってもらうために、様々な点で苦労した。

お蔭で、帰国後の彼等の満足度は上々で、また機会を見て訪れたいとのお墨付きを貰った。

ちなみに今ページで流れているBGMは、ワヤン君に貰った現在バリで新進気鋭の作曲家兼フルート奏者、Gus TejaのCDの中の一曲である。
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「くつろぐ」
<<インドシナ>>--太平洋上--


ゆったりした機内でモニターで、お気に入りの映画を見ながら寛ぐ様を、相棒が撮ってくれた。

出発したのが、バリ島でTPPやエイペックの会議が開かれる前日だったので、かなり機内が混んでいると思いきや、予想に反し座席は空席が目立った。

逆にこれらの国際会議が開かれるのを嫌って、この期間に旅行するのを敬遠した観光客が、多かったのかもしれない。

お蔭で我々はそれぞれ空席に移動して、ゆったりと座席を専有出来たのである。

ここで機内で起きた、一つのエピソードをご紹介しよう。

フライト・アテンダントの女性が、飲み物のオーダーを取りに来た時、私は赤ワインとスナック(つまみ)を注文したが、今手元にスナックが無いので、後でお持ちしますとの事。

暫くして担当の彼女は、スナックを持ってやって来たが、私の前に座っている男性に渡したしまった。

その男性、私よりちょっと若い感じだが、同じようにメガネを掛けているので間違えたらしい、その男性も当然のように、そのスナックを黙って受け取ってしまった。

私がちょっと合図をしたら、彼女ハッと気が付いて、私の横に座って平謝り…直ぐにお持ちしますといって、何とおつまみの袋を4つも持って来てくれた。

それ以降、彼女は通り過ぎる度に私に笑顔で会釈し、食事の時も他に飲み物をお持ちしましょうか、などサービス満点であった。
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「機内」
<<インドシナ>>--太平洋上--


搭乗したガルーダ・インドネシア航空の機内。

今ではエコノミー・クラスでも、座席の前にモニターが設置されていて、フライトの状況や映画などを、お好みによって選択し、フライト中の退屈さを凌げるようになっている。

フライト・アテンダントも、2名の日本人女性の他は、全てインドネシア女性である。

ガルーダの良さは、エコノミークラスでも、座席の前が意外と広く、私の膝が前の席にくっつくことが無く、ゆったり出来ることである。

それに、何よりも有難いことは、この飛行機だと、ジャカルタなどのトランジット無しに、7.5時間のフライト時間で、デンパサールまで直行で行けることであろう。
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「チェックイン・カウンターの美女」
<<日本>>--成田--


ガルーダ・インドネシア航空の、チェックイン・カウンターで我々の搭乗手続きをしてくれた女性。

航空会社が、インドネシア国営の会社だが、どう見ても東南アジアとは縁の無い顔立ちの、美女である。

彼女は流暢な日本語で、てきぱきと我々の要望を聞いて、希望通りの座席を手配してくれた。

私の撮影を見ていたもう一人白人女性係官も、申し訳ついでに撮影したが、彼女は此処では写真を撮ってはいけませんと言ったので、すかさず私が「貴女がとても美人なので…」と英語で言ったら、彼女もチェックインを待っていた外人も笑ったので、事無きを得た。

そんなちょっとしたエピソードも、旅の始まりとしては楽しいものである。

私くらいの年齢になると、相手もこの爺さんを相手に、怒ってもしょうがないといったエクスキューズが許されるのかもしれない。
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「ホテル前にて」
<<インドネシア>>--バリ島--


最初に宿泊した、バリ・ハイアット・ホテル玄関前での記念撮影。

夕日に映える、海の中に有るタナ・ロット寺院の見学に出掛ける前の、今回旅行をした我々全員のスナップである。

ワヤン君を真ん中に入れ、皆寺院参詣の前のバリ島独特の、儀式用の帽子を被っている。

私が最年長で、次は5才下から始まり、最年少は11才年下の、ずっと10年も海外旅行を共にしている相棒である。

ワヤン君は今年40才の働き盛りとなり、9月には第二子の男子、カデック君が誕生した。

私の顔や手足は週一のゴルフのお蔭で、ワヤン君に負けないくらい、日焼けしているのがお分かりだろう。

年齢差を越えて、こうして気楽に旅が出来る仲間の居ることは有難い事である。

今回の旅行では、ワヤン君のお蔭で、単なる観光旅行でなく、一歩バリ島の生活環境の中に足を踏み入れた旅行だったと言えるだろう。
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「サヌールの朝」
<<インドネシア>>--バリ島--


最初に宿泊した、バリ・ハイアット・ホテルの夜明けの光景。

再びバリに来てしまった、これでこの島を訪れるのは、三度目である。

この島のウブドに住んでいるワヤンさんとの長年にわたる交流もさることながら、僅か7.5時間の直行便で訪れる事の出来る気安さがこの島には有る。

しかも同じ東南アジアの中では、バリ・ヒンズー教を主体とした全く異文化の匂いがする癒しの島であることが、飽く事無く私が何度も此処を訪れる理由であるような気がする。

最初の二泊は、前回訪れた時と同じ、サヌールのバリ・ハイアット・ホテルにした。

広大な花の咲き乱れる敷地の中には、プライベート・ビーチ有り、幾つかのプールも有りで、ただ滞在して一日をホテルで過ごしても飽きないことであろう。

そして何よりも、従業員のマナーが良く、宿泊費もリーズナブルな価格である事が魅力であると言えるだろう。

今回は我々が訪問している最中、TPPの会合や、エイペックの会合が重なってしまい、飛行機やホテルの確保にとても苦労したが、ワヤンさんのお蔭で、再度の訪問が実現出来た事を、書き加えておきたい。
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「日本橋からの眺め」
<<ベトナム>>--ホイアン--


来遠橋の中央から、トゥボン川を介して、外の様子を撮ってみた。

こうして見ると、ホイアンが運河の街である事が、良く分かるであろう。

16世紀当初、日本とベトナムは御朱印船によって、盛んに交易が行われていた。

その証拠は、ベトナムの安南焼やバッチャン焼が日本で発見され、逆にベトナムでは、日本の伊万里焼が発見されている事などから知ることが出来る。

こうした当時の歴史に思いを馳せながら、この景色を見ていると、高層ビルの無い広々とした光景に、思わず昔にタイムスリップしたかのような感慨に浸るのである。
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「仏の間」
<<ベトナム>>--ホイアン--


日本橋の中央に有る、仏を祀った部屋の様子。

橋の真ん中に、このような仏間が有るのも、実に珍しい事であろう。

橋の量補記には、同じように戌亥を祀った小さな部屋が有り、極めて興味深い。

前にも記したが、この中国寺は、日本人が徳川幕府の鎖国令で引き上げてしまった後、中国人がこの橋を守るために祈って作られた仏間であると言う。

今でも線香や花などが供えられており、受け継がれる歴史の重みが感じられる。
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「日本橋の中」
<<ベトナム>>--ホイアン--


日本人が作った通称日本橋、正式名は「遠来橋」の中の様子。

これは、丁度橋の真ん中辺りの光景である。

ホイアンの名所にもなっているこの橋は、観光客なら誰でも訪れる所のようで、左端のガイド嬢は、欧米人の観光客に、英語でこの橋の由来を説明していた。

今では日本でも、このように屋根付きの丸い木橋は珍しく、希少価値が有るのではないだろうか。

17世紀にホイアンに渡来した日本人の手に依るこの橋が、未だに健在で日本人街と、中国人街の橋渡しをしている様を、ギクシャクしている日中関係の要人に渡って貰い、橋の中央で握手をして欲しいものである。
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「カフェの女の子達」
<<ベトナム>>--ホイアン--


昼食を摂ったレストランの中にあるカフェの様子。

食後のコーヒーや、ちょっと一杯の飲酒は、ここで摂る事が出来る。

それにしても、こんな小さなカフェに、沢山の若い女性が働いて居るのには驚く。

此処だけでなく、どこのお店でも沢山の女店員が居るのは、何故なのだろうか。

ベトナムの経済発展は目覚しいが、こんなに多くの若い人たちの就労で、経済が潤っているのだろうか。
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