2012 01/21 10:39
Category : 日記
<<中国>>--西安--
1974年、畑の井戸掘りをしていて、偶然兵馬俑を発見した楊志発さんの姿。
今まで掲載してきた、兵馬俑の発見者である、楊さんが実在している事に驚きを覚えた。
しかもこの楊さんは、我々が二階で昼食を摂った、土産物店の階段を上る上り口で、この様に彼の書いた書物や書を販売していて、それらを買うと一緒に写真を撮ったり、サインをしたりして生計を立てているのである。
当時世紀の世界遺産の大発見者として、ニュースで騒がれた人物も、この有様なのである。
発見当時は、兵馬俑博物館の館長として、従事していたが、今は土産物店の片隅で、こんな生活をしているのである。
発見当時中国政府から、兵馬俑発見者として恩賞として与えられた金額は、僅か数百円であったと言う。
彼にそれで満足しているのかと、記者がインタビューしたら、私は名誉を与えられただけで満足していると答えたそうである。
それが中国政府の当時の処遇だと聞いて、唖然としたのであった。
日本なら、この世紀の大発見者に対して、どんな処遇をしただろうかと、しみじみ考えてみたのであった。
1974年、畑の井戸掘りをしていて、偶然兵馬俑を発見した楊志発さんの姿。
今まで掲載してきた、兵馬俑の発見者である、楊さんが実在している事に驚きを覚えた。
しかもこの楊さんは、我々が二階で昼食を摂った、土産物店の階段を上る上り口で、この様に彼の書いた書物や書を販売していて、それらを買うと一緒に写真を撮ったり、サインをしたりして生計を立てているのである。
当時世紀の世界遺産の大発見者として、ニュースで騒がれた人物も、この有様なのである。
発見当時は、兵馬俑博物館の館長として、従事していたが、今は土産物店の片隅で、こんな生活をしているのである。
発見当時中国政府から、兵馬俑発見者として恩賞として与えられた金額は、僅か数百円であったと言う。
彼にそれで満足しているのかと、記者がインタビューしたら、私は名誉を与えられただけで満足していると答えたそうである。
それが中国政府の当時の処遇だと聞いて、唖然としたのであった。
日本なら、この世紀の大発見者に対して、どんな処遇をしただろうかと、しみじみ考えてみたのであった。