2011年07月の記事


「シベーレス広場」
<<スペイン>>--マドリッド--


プラド通りと、アルカラ通りが交差する所に有る広場。

マドリッドには、この様な交差点が沢山有るので、そこにある噴水や銅像を憶えておけば、道に迷うことは無いとの事である。

雲ひとつ無い青い空が広がる朝の広場は、まだ早朝なので噴水の水が出ていなかった。

中央に有る彫刻のモチーフは、ライオンの戦車に乗る女神、シベーレスである。

交差点からずっと続く通りの脇の建物群は、歴史を感じさせる建物と近代的な建物が渾然一体となって、妙な調和を醸していた。

バスはこれからマヨール広場へと向かうのだが、車窓から周囲の景観を眺めたり、カメラを向けたりで時間の経つのを忘れていた。
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「朝日の当る家々」
<<スペイン>>--マドリッド--


街路の周辺は、まだ早朝なのでひんやりとしているが、マンション群には朝日が当り、この日の暑さを予感している。

マドリッドの市街地も、我々の住む住環境と同じで、これらの家々には住民が居て、我々の日常と同じように、仕事に出掛け、一日が終わるとまた家族の居る家庭へと戻ってくるのだろう。

こんな光景を見ていると、国は違っても、同じ人間の営みが有るんだなと思うと、旅に出ている事を忘れ、妙な実感が湧いてくる。

陽はまた昇る、という小説が有ったが、人間は毎日毎日繰り返す生活の中に、喜怒哀楽を篭めながら年老いて行くのだろうか。

観光地でないマドリッドの朝に、そんな感傷をちょっと思い起こす時間帯であった。
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「ホテル・アルトゥ-ロ・ソリア・スィート」
<<スペイン>>--マドリッド--


マドリッドの住宅街の中に有るこのホテルは、周りの建物に合わせた形で、近代的なホテルである。

もうちょっとクラシカルなホテルに泊まりたいと思ったが、前夜が遅くまでフラメンコ鑑賞であったし、一泊だけなので、快適に宿泊出来れば、十分と言ったところだろうか。

街の喧騒も無く、静かな街路樹がふんだんな場所にあったので、睡眠時間は少なかったが、熟睡出来たようで爽やかな朝を迎えることが出来た。

スペイン国旗は分かるが、後は何処の旗なのだろうか、マドリッドの州旗や、ホテルの旗であろうか。

随分長くスペインを旅したようだが、まだ4日目の朝である。
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「マドリッドの朝」
<<スペイン>>--マドリッド--


マドリッドで宿泊したホテル前の朝の光景。

ホテルは住宅街のど真ん中にあり、朝の喧騒からは開放されていた。

沢山の住人達の自家用車が、道の両脇に駐車されている。

相棒と二人、ホテルの付近を散策したが、前夜のフラメンコが遅かったため、寝たのは午前二時ごろだったため、ちょっと寝不足で、散策もそこそこに引き上げたのであった。

今日の予定はマドリッドにあるプラド美術館などの見学などである。
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「フラメンコ⑫」
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長く続いたフラメンコの画像も、最後の一枚を載せて終わりとしたい。

今まで載せた画像の中でも、私の一番のお気に入りのワンショットである。

全身全霊で踊るフラメンコダンサーの動作に合わせて、ギタリストが真剣にその踊りを盛り上げるために、彼女の踊りを見据えながら、ギターを弾いている様子が良くわかる。

話は変わるが、バリ島の伝統舞踊も、一流の踊り手に合わせてガムラン奏者達が、曲目を演奏するのと似ている。

その点、欧米のバレーや、ダンスなどは、演奏する楽団の曲に合わせて、ダンサー達が踊るのと、フラメンコは大きく違う点であると思う。
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「フラメンコ⑪」
<<スペイン>>--マドリッド--


スカートをたくし上げ、足技を見せるパタ・デ・コラの技法を披露するダンサーの姿。

敢えて、足に注目せず、一点を見据えて踊る彼女の顔の表情を捉えてみた。

踊りも20分以上踊り続けると、ダンサーも一種の無我の境地に入るようで、何かに取り付かれたような放心状態になる。

全ての情熱を踊りに傾注出来るのは、ある意味羨ましい感じもする。

踊りはかなりハードだが、踊り終えた時の満足感や、充実感は、他人には言い尽くせない物があるのではないだろうか。

どんな踊りでも、踊りを踊るというのは、技術的な上下などを無視した、人間の本能に近いもののような気がする。
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「フラメンコ⑩」
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トップダンサーの激しいサパテアード(タップ)の連続する足技の演技。

床を靴で打ち鳴らすリズムは、そのもの自体が、ドラムのように強烈なビートを醸し出す。

こんなに強く激しく連続して、床を靴で打ち鳴らして、足が負傷しないのかと気になるほどである。

タップダンスも、軽やかにステップを踏んで、足でリズムを刻むのは同じだが、フラメンコの場合は、床を蹴る強さが、桁違いに強烈である。

恐らく我々が同じようなことをしようとすると、足首を痛めるに違いないでろう。

この技は、フラメンコが、情熱の踊りであると言われる理由の一つであろう。
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「フラメンコ⑨」
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ダンサーの中では、多分一番若いであろう彼女の踊りは、激しさより優雅さが目立った。

ギターの音色も、彼女の踊りに合わせた静かな曲目のようであった。

同じフラメンコでも、踊り手によって、こうも違うものかと思ったほどである。

彼女の踊りは、アレグリアス、喜びを主体とした踊りである。

私もフラメンコギターを習った者の一人として、演奏方法は、此処のギタリストとは比較にならないが、どの部類に属する曲かは分かる積りである。

しかし残念ながら、こんなダンサーを躍らせた経験は無い。
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「フラメンコ⑧」
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歌とギターと踊りの競演。

フラメンコの歌は綺麗な声より、しわがれた声が良いとされる。

歌詞は決まっておらず、その場の踊り手の雰囲気によって、即興で歌われる事が多いとのことである。

ダンサーの上に挙げた、すらりと伸びた指先が綺麗である。

後で写真を整理してみて、彼女の写真が一番多いことに気付いた。

それだけ彼女の踊りが、情感豊かであったと言えようか。
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「フラメンコ⑦」
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男性の踊りが最後になった時の、観衆への挨拶のポーズ。

流石に30分も絶え間なく踊り続けると、ご覧のような汗まみれの顔になる。

大体15分くらい踊りが続くと、あまりフラメンコに感心のない観衆は、飽きて居眠りが出るようである。

見る方は、お腹も満腹になったし、アルコールの飲酒も手伝って、昼間の疲れが出て眠くなるのも致し方の無いことだろう。

流石にフラメンコ好きの私は、まじろぎもせずに、ビデオやデジカメを撮り続けているのであった。
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「フラメンコ⑥」
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今度は男性フラメンコダンサーのソロ舞踊。

矢張り男性の踊りは、女性よりひときは動きが活動的である。

最初は静かな踊りから始まったが、段々とその踊りは激しさを増し、舞台の上を所狭しと縦横に激しく動き回り、そして目が廻るのではないかと思うくらい、ぐるぐると回り、ピタリと止まる。

とてもカメラではその姿を捉え切れず、このように、一瞬停止した姿しか撮影出来ない。

これだけ激しく踊っても、呼吸は乱れず、汗もさほど掻かないのは、日頃の訓練の賜物ではないだろうか。

どんな世界でも、その道を極めるのには、たゆまぬ日頃の訓練が必要なのであろう。
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「フラメンコ⑤」
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ダンサーが変わり、正面を向いた時の、手の激しい動きをスローシャッターで撮った。

同じような踊りでも、それぞれの踊り手の特徴が有るようで、自分の得意とする動きをフルに披露する。

長身の彼女は、長い手やしなやかな体の動きが綺麗である。

後ろに控える他のダンサー達も、彼女の動きに合わせて手拍子(パルマ)で、彼女の踊りを盛り上げるのに真剣である。

衣装も自分の気に入った物を身に着けるのであろうか。

背景の暗い舞台では、彼女の緑色の衣装が鮮やかであった。

顔の表情も、彼女の顔が一番穏やかで現代的な顔をしているが、それでも踊りの内容によって、かなり厳しい表情になる。

彼女の踊った曲は、ソレアと言う悲しみと怒りを基本にした曲の踊りであった。
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「フラメンコ④」
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踊りとギターとカンテ(歌)が一体となった迫真の踊り。

ギタリストや歌手は、ダンサーの踊りに合わせて演奏し、歌うのである。

通常フラメンコの曲や歌には、楽譜が有る訳ではなく、その場の雰囲気で演奏し、歌うのが常である。

だからダンサーが迫真の演技で踊ると、それに連れてギターや歌も熱気を帯びるのである。

フラメンコを踊る人々は、嘗てはヒターノと呼ばれる貧しい遊牧民が、生計を立てるために大道で日銭を稼ぐために踊られたのである。

しかし今では、スペインのアンダルシア地方の代表的な舞踊となった。

それらの遊牧民の人々をジプシーと呼ぶ人も居るが、現地ではヒターノ(女性はヒターナ)を卑下する言葉として、禁句である。


(注)
BGMは嘗て一年間放映されたBSスペインテレビ映画「カサンドラ」(愛と運命の果てに)の主題歌である。
主人公は、ヒターナである若くて美しいフラメンコダンサー、カサンドラの逆境の中で悲しくも強く生きていく姿を描いた大作である。
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「フラメンコ③」
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踊りの躍動感を出すために、少しカメラを意識的に流してみた。

彼女のパタ・デ・コラ(スカートの裾をたくし上げて踊る)も長く綺麗な足が眩しく、靴で床を蹴る音が迫力を盛り上げる。

タップダンスのように、靴で強弱を付けながらリズムを刻む踊り方を、サパテアードと言う。

踊りとギターと、歌声に掛け声が一体となって、迫力は頂点に達するのだ。

フラメンコを踊る人々は、嘗てはヒターノと呼ばれる遊牧民が、生計を立てるために大道で踊り始めたのが起源とされる悲しい経緯が有る。

しかし今では、アンダルシア地方では、一般の人々も小さい時からフラメンコを習う事が常識になってきた。

それらの遊牧民の人々をジプシーと呼ぶ人も居るが、この言葉は現地ではヒターノ(女性はヒターナ)を卑下する言葉として、禁句である。
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「フラメンコ②」
<<スペイン>>--マドリッド--


踊りは徐々に激しさを増し、熱を帯びて来た。

裾の長いスカートをたくし上げて、足技を見せる踊り方を、パタ・デ・コラと言う。

後ろに控える踊り手の中でも、今踊っているダンサーは、プリ・マ・ドンナ(女性トップダンサー)かもしれない。

彼女の迫真の踊りは、後ろの踊り手たちの手拍子や掛け声で、更に迫力を増す。

ソロのダンサーの踊る時間は、20~30分に及ぶのだから、その体力も半端ではない。

フラメンコにあまり関心のない、見ている方のツアーメンバーが疲れて居眠りが出るのも、無理からぬ話かもしれない。

私はずっと此処に居る間、ビデオを廻し続け、時々デジカメで写真を撮るのだが、激しく踊るダンサーの決まったポーズを撮るのが、如何に難しいかを実感したのであった。
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「フラメンコ」
<<スペイン>>--マドリッド--


3人の女性フラメンコダンサーの競演から始まった踊りは、ソロのバイレ(踊り)へと変わった。

最初は静かな踊りから、徐々に激しい踊りへと変わっていく。

夜の9時から始まったフラメンコは、途中の休憩を挟んで午前1時頃まで延々と続くのだ。

私はまばたきもせず、最後まで踊りや演奏を堪能したいと思ったが、ツアーメンバの中には、あまりフラメンコに興味の無い人も居るらしい。

最初は踊りや演奏の激しさに興味を示していた人も、後半は何人かの人たちが飽きてしまい居眠りを始め、12時ごろに、ガイドが帰りましょうと言ったのには、がっかりした。

パックツアーだと、自分の思うようにならないのが、極めて残念である。

この場の雰囲気に合うフラメンコのBGMを用意したが、警告が出て音が出ないケースも有るらしく、曲を変更し、ギターだけの演奏になったのが残念である。
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「開演」
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いよいよフラメンコ・ショーが始まった、最初は3人のフラメンコ・ダンサーのバイレ(踊り)競演である。

開演前に、突然舞台やレストランの中の電気が消えた、灯りは非常灯だけの暗闇である。

と、突然ギターの演奏と、しわがれた男性歌手のカンテ(歌声)が部屋中に響き渡った。

やがて舞台に照明が点くと、ご覧のような3人の女性ダンサーの踊りが始まった。

まさに演出効果満点といった感じだ。

残念なのは、我々の席が中二階の最前列なので、一階の観客席に陣取った大きな外人たちが邪魔なことである。

しかし、レストランと舞台の雰囲気が分かるかと思い、最初は舞台だけのズームアップをせずに、全体の光景を紹介するが、後はフラメンコ舞踊のアップだけにしようと思う。
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「ディナー」
<<スペイン>>--マドリッド--


ディナーとして出てきたスペイン料理。

アンダルシア料理の一つであるラボ・デ・トロと言う、オックステールの煮込みである。

肉はじっくりと煮込んであるので、とても柔らかくジューシーで美味しかった。

スペイン独特の果実酒サングリアは飲み放題であるので、アルコール好きの私には有難い。

しかし、フラメンコショーが始まると、客席の照明が消えてしまうので、ショーが始まる前に、ディナーは全て平らげた。

後はサングリアを飲みながら、じっくりとフラメンコを楽しむ事になる。

此処のタブラオ(小劇場)は地下に有り、私は中二階にある席の最前列に陣取り、ショーが始まるのを今や遅しと、ビデオカメラとデジカメをテーブルに載せて待ち構えていたのである。
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「タブラオへ」
<<スペイン>>--マドリッド--


フラメンコの夕べを楽しむための、タブラオ(小劇場)の入り口の光景。

マドリッドのホテルに着くやいなや、着替えもそこそこに、ディナーを摂りながらフラメンコを鑑賞するためのレストランに向かった。

今回のスペイン旅行の私の大きな目的の一つに、本場のフラメンコを鑑賞する事が有る。

私は嘗て学生時代に、フラメンコ・ギターを習っており、そのために第二外国語にスペイン語を専攻した経緯が有る。

どんな演奏と踊りが見れるのか、最もわくわくした瞬間であった。

夕日がレストランの入り口を照らし、店の入場をチェックする男性が店の前に待ち構えていた。

こんな光景は、情熱の国スペインならではの情景であろう、BGMもフラメンコならではの曲目に変更した。
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「さらばトレド」
<<スペイン>>--トレド--


トレドの街を後にするのを惜しむかのように、街をカメラに収めるツアーメンバーのご夫婦の姿。

トレド散策を終えて、バスに乗り込む前のスナップである。

印象深いこの要塞都市を離れるに際し、もう二度と此処を訪れる事は無いだろうと思うだけに、一抹の寂しさを憶えたのは、私だけではなかったようだ。

スペイン最長のタホ川に囲まれた街だっただけに、その景観は見事であった。

タホ川は、トレドからずっと下って、アランフェスの街を過ぎ、海へと続くのだが、我々が目指すマドリッドは更に内陸部へと進み、スペインのほぼ中心部へと向かうのである。
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「タホ川」
<<スペイン>>--トレド--


とうとうと水を湛えて流れるタホ川の下流の光景。

タホ川も下流に来ると周りの景色も、なだらかになり、城塞都市といった感じはせず、アンダルシアの緩やかな地平へと変わる。

此処まで来ると、車両などが通れる大きな橋が架かっている。

この写真は、バスが橋の真ん中に差し掛かった時に、車窓から撮ったものだが、いよいよトレドの街に別れを告げて、スペインの首都、マドリッドへと向かう事になる。

マドリッドへは、トレドから約70キロ、バスで一時間の道程である。

スペインの主要都市は、それぞれ特徴が顕著であり、首都マドリッドがどんな所なのか、早心は新天地へと弾むのであった。
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「ある邸宅」
<<スペイン>>--トレド--


トレドの街を散策していて見掛けた豪邸。

木々に囲まれた間から、こんな素敵な邸宅が現れた。

一体どんな人が住んでいるのであろうか、屋敷の大きさからして、かなりの富豪が住んでいるのではないかと想像した。

家の周りに樹木が有るのは、涼しげで快適さを感じる。

家が明るいレンガ色なのも、いかにもスペインらしくて、こんな家に住みたいものだと、自分の家を思い浮かべて比較してしまったものだ。

ひょっとしたら、トレドでも有名な人の住処かもしれないし、説明があって撮影したのかもしれないが、既に忘れてしまった。
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「タホ川のほとり」
<<スペイン>>--トレド--


トレドの街側から見たタホ川の涼しげな光景。

この川には、何箇所かのこうした堰が設けられている。

何のためにこのような堰があるのであろうか。

素人目には、此処の堰に網を仕掛けておけば、魚が獲れるのではないだろうかと思うのだが、果たしてそのために有るのかどうかは不明である。

先日のBSテレビでは、この川を船で巡る遊覧観光が有るのを紹介していた。

街の一番低い場所である川の上から眺める街の様子は、また一味変わった光景ではないかと思うのだが、どうであろうか。

手前の街側は、川辺から直ぐに街並みが開けているが、対岸側は、ずっと高所まで断崖が続いているのである。
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「サン・マルティン橋」
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古代ローマ時代に、トレドが城塞都市として設立された時に造られた唯一の橋である。

こうして現在でも、人が渡る橋として残っているのは驚きである。

橋の袂の石の塔は、外敵がこの橋を渡って攻めて来た時に、この塔の上から、敵を迎え撃つために造られたものであろう。

現在はもっと上流に、車などが通れる鉄の橋が掛けられており、タホ川を渡って街に入るのには、そちらの橋を迂回して通らなければならない。

15世紀にエル・グレコが描いたトレドの街の風景画にも、この橋は今と同じ原型のままで描かれている。

多分、現在に至るまで、幾多の補修工事は施されたであろうが、中世のままの姿を留めているのは、歴史世界遺産の名にふさわしい光景であろう。
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「タホ川とトレドの街」
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パラドール・デ・トレドと言う、山の上にあるレストランから眺めるタホ川と街の光景。

毎日こう暑いと、つい涼しげな川のある光景を載せたくなる。

バスで移動する前に、此処の駐車場から撮った写真は、まだ載せていなかったので、再度登場させた。

現在のスペインの首都マドリッドは平地であるが、此処トレドが嘗てスペインの首都であった頃は、市民は一体どんな生活をしていたのであろうか。

中世の頃、十字軍の兵士達が、遠征に出て勝利帰還する時には、タホ川を渡って街に入って来る兵士達を、市民達が歓声を挙げて迎えたであろう光景を、この光景から思い浮かべてみた。
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「アルカサル」
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眼前で見るアルカサル城(軍事要塞)の姿。

此処は11世紀に、レコンキスタ(国土回復運動)がスペインに起こり、アルフォンソ六世によって建設された城である。

トレドは古代ローマ時代から、要塞都市として栄えて来た。

イスラム統治時代には、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教と言う3つの宗教が共存したことで、トレド独特の文化と街が栄えたのである。

このアルカサル要塞のすぐ隣りには、アルフォンソ6世と言う名のクラシカルなホテルが有るのだが、そこに泊まれば、じっくりと古都トレドの街を散策する事が出来るのだが、残念ながら此処に滞在したのは、半日だけであった。
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「居並ぶ聖人たち」
<<スペイン>>--トレド--


サンタ・マリア・デ・トレドの正面門の周辺に飾られている聖人たちの姿。

これら沢山の聖人たちは、一体どんな意味が有るのだろうか。

その謂れは分からないが、多分この大聖堂を守る守護神として、大きく貢献した人たちなのであろう。

こうして一人一人の姿を見ていると、日本の寺院などでも見られる五百羅漢の僧達を連想する。

この聖人たちの中でも、全身像が彫られているのは、特にこの聖堂に対する貢献度が高かった僧なのであろうか。

これらの聖人達の更なるアップも有るが、際限が無いので、この辺でこの聖堂の写真も終わりにしようと思う
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