2011 04/09 16:26
Category : 日記
<<日本>>--自宅付近--
此処も毎日数回は通る、我が家の近くの辻である。
昔から六道の辻と呼ばれ、6本の小道が交差する交差点に、お地蔵様が数体置かれており、道行く人の安全を見守っている。
私が学生の頃は、見渡す限りの畑の真ん中に、この辻は有ったものである。
しかし今は、住宅街とマンション群の中に有り、町内の住人達が、浄財を寄付して、ご覧のような地蔵様の安置場所が造られている。
他界した母も、何がしかの寄付をし、小屋の脇には今でも母の名前が刻まれている。
此処に安置されている地蔵群の古い物は、江戸時代初期から存在しており、顔などは風化して良く分からないが、ずっと此処で時の流れを見続けているのである。
今回の大震災に会った東北地方の街々にも、古から存在する思い出の場所は数々有っただろうが、津波に流されてしまい、跡形も無くなってしまっただろうが、いつの日かそれらの物を地元民が探し出し、また安住の場所を得るであろうことを願って止まない。
此処も毎日数回は通る、我が家の近くの辻である。
昔から六道の辻と呼ばれ、6本の小道が交差する交差点に、お地蔵様が数体置かれており、道行く人の安全を見守っている。
私が学生の頃は、見渡す限りの畑の真ん中に、この辻は有ったものである。
しかし今は、住宅街とマンション群の中に有り、町内の住人達が、浄財を寄付して、ご覧のような地蔵様の安置場所が造られている。
他界した母も、何がしかの寄付をし、小屋の脇には今でも母の名前が刻まれている。
此処に安置されている地蔵群の古い物は、江戸時代初期から存在しており、顔などは風化して良く分からないが、ずっと此処で時の流れを見続けているのである。
今回の大震災に会った東北地方の街々にも、古から存在する思い出の場所は数々有っただろうが、津波に流されてしまい、跡形も無くなってしまっただろうが、いつの日かそれらの物を地元民が探し出し、また安住の場所を得るであろうことを願って止まない。