2011 02/28 15:22
Category : 日記
<<日本>>--自宅付近--
墓前祭が終了した後、我が家の墓の前で、記念撮影をした。
ごく近い親族だけが集まっての、一年祭であった。
暖かな良い天気であったので、今年1月1日に誕生した孫娘が参加出来たのは幸運であった。
残念だったのは、今年小学1年生になった孫娘と次女が、インフルエンザに罹ってしまい参加出来ず、婿さんだけが次女家族代表での参加となってしまったことである。
向かって右端の私の隣りの髭の男が、私の4才下の実弟である。
50日祭は、セレモニーホールに依頼しての神事であったが、今回は全て私が段取りをしたので、天気も良く無事終了したので、ほっと一段落と言う所であった。
私と同年で3年前に他界した、大学教授であった従兄弟の奥さんが、雪深い山形からわざわざ駆け付けてくれたのには、恐縮した。
月日の経つのは早いもの、母没後早一年が経とうとしている。
墓前祭が終了した後、我が家の墓の前で、記念撮影をした。
ごく近い親族だけが集まっての、一年祭であった。
暖かな良い天気であったので、今年1月1日に誕生した孫娘が参加出来たのは幸運であった。
残念だったのは、今年小学1年生になった孫娘と次女が、インフルエンザに罹ってしまい参加出来ず、婿さんだけが次女家族代表での参加となってしまったことである。
向かって右端の私の隣りの髭の男が、私の4才下の実弟である。
50日祭は、セレモニーホールに依頼しての神事であったが、今回は全て私が段取りをしたので、天気も良く無事終了したので、ほっと一段落と言う所であった。
私と同年で3年前に他界した、大学教授であった従兄弟の奥さんが、雪深い山形からわざわざ駆け付けてくれたのには、恐縮した。
月日の経つのは早いもの、母没後早一年が経とうとしている。