2008年12月の記事


「人力車」
<<インド>>--ヴァラナシ--


同じ人力車の光景でも、こちらは和気藹々の状況。

乗る人も漕ぐ人も、同じレベルの階級の人たちのようである。

お互いに談笑しながら、道行を楽しんでいるようだ。

一口にインド人といっても、人さまざまである。
どうせ乗るなら、楽しく話しながら行った方が良いと言ったところだろうか。

我々がタクシーに乗る時も、長距離なら、お互い運転手と談笑しながら乗った方が、道程が短く感じるものである。

最近はタクシーに乗る機会も少なくなったが、午前様で帰宅する時には、寝過ごしてしまう事のないように、良く運ちゃんと話をしたものである。
コメント (0)

「険しい顔」
<<インド>>--ヴァラナシ--


この人力車の二人は、漕ぐ男性も、乗客の女性も厳しい顔をしている。

中級層の人間と下級層の人間の違いがはっきりと出ているような映像である。

背景の建物は下級層の人たちの住居だろうが、まだ家がある人々は幸せな方だろう。

のんびりと放し飼いの鶏が餌をついばみ、少女が水道で洗濯をしている。
ベランダには洗濯物がたくさん乾してある。

何気ないスナップ・ショットだが、インドの実態を垣間見る事が出来るだろう。

それにしても、綺麗なサリーを着た若い女性の乗客の無愛想な表情は、容姿に似合わないような気がしてならない。
コメント (0)

「ある作業」
<<インド>>--ヴァラナシ--


一体この男達は何をやっているのだろうか。

長い帯のような物を纏めているのだが、それを何に使うのかが、皆目分からない。

彼等の傍には、痩せた牛が陣取っていて、動く気配を見せない。

インドでは、こうした少年たちも、重要な働き手である。

日本ではまだこの年代の子供達は、遊びやスポーツに夢中になっている年頃だろう。

こんな場面一つ取っても、国の生活の差が伺える。

何はともあれ年の瀬を迎えて、私も暮の大掃除に、重い腰をそろそろ上げなければならないだろう。
コメント (0)

「街角寸景」
<<インド>>--ヴァラナシ--


インドなのに、何となく懐かしさを覚える風景である。

昔の日本の街角を見るような雰囲気がするからだ。

マツダのミゼットが走り、舗装されていない道路の両脇に建つ粗末な家々の外には、生活臭が充満している。

団塊の世代以前の人々は、皆同じような体験をし、現代に至っているのではないだろうか。

巷ではこの不景気が、100年に一度の厳しさだと言われている。

しかし、戦中戦後の幾多の困難を乗り越えてきた我々には、この難局を乗り越えていくだけの力が有る筈である。

そんな事をこの光景を見ながら、漠然とそんな事を考えている年の瀬である。
コメント (0)

「露店商②」
<<インド>>--ヴァラナシ--


これは一体何を売っている店なのだろうか。

サリーを着た女性が鍋の中を覗いているが、どんな食べ物なのか分からない。

店の中もさっぱりしたもので、材料などが見当たらないから、判断のしようが無い。

ちょっとイケメンの若い男性は、俳優気取りで俺を撮ってくれと言わんばかりのポーズである。

この男性はパンツではなく、バリのサロンのような派手な腰巻を捲いている。
暑いインドでは、パンツより、この方が涼しいかもしれない。

インド男性は、髭を生やした人が圧倒的に多いのも、この国の特長であろう。
コメント (0)

「朝の祈り」
<<インド>>--ヴァラナシ--


この場面は、ガンジス河のほとりの祈祷場の光景である。

ガンジスの沐浴風景に行き着くにはまだちょっと早いが、今日はクリスマスなので、敢て載せた。

朝の4時に起床し、ガンジス河に徒歩で向かった。

河が白々と明け始めた5時に、突然鐘の音が響き渡った。

祈祷場で僧侶が、鐘を付き始めたのである。
2本の綱の先に鐘が有り、この綱を引くことによって鐘が鳴るのだ。

奥に居る裸の高僧が、灯明を灯し祈りが始まった。

今日一日の世界が平穏であることを願って、聖なる河、ガンジスに祈るのである。
コメント (0)

「職人②」
<<インド>>--ヴァラナシ--


何でも修理してしまう職人のおじさんのポートレート。

彼は暗くて狭い部屋の中で、バイクの修理をしていた。

私が覗き込んで声を掛けると、気さくに問い掛けに応じてくれた。

話をすることしばし、彼が何処から来たのかと聞いたので、日本からだと言ったら、わざわざ手を休めて出て来てくれた。

日本の様々な製品にとても興味が有るらしく、日本の国の事は知らないが、物を作る技術がすばらしいと褒めてくれた。

写真を撮っても良いかと聞いたら、OKと言ってこんなポーズで応えてくれた。

古タイヤの上に座ってこちらを見る、人の良さそうなおじさんの笑顔が素敵である。
こうして知らない国の人同士が、心を通じ合う事が出来るのはすばらしい事だと思った。
コメント (0)

「職人」
<<インド>>--ヴァラナシ--


間口が1間ぐらいしかない狭い部屋で一心に物を編む職人の姿。

彼は一体何を編んでいるのだろうか。

良く見ると、様々な椅子が置かれているので、どうやら椅子の座席の部分をこしらえているようである。

日本では今では椅子を修理して使うなどという人は、ほとんど居なくなってしまった。
壊れた椅子は、粗大ゴミで出してしまうのが当たり前になっている。

しかしインドでは、自転車、オートリキシャ、家具、そしてさまざまな物が、原形を留めなくなるまで、修理して使い切るのが当たり前のようである。

だからこうした修理屋さんの姿を、あちこちで見ることが出来るのだ。

貧富の差がそうさせるのだろうが、物を大切に使う国と使い捨てが当たり前の国…昔の日本を思い出させるシーンであった。
コメント (0)

「街角⑤」
<<インド>>--ヴァラナシ--


アンマッチな街の風景が興味深い。

建物の上に飾られた広告と、泥の道や屋台の下に野良犬がたむろす街の実態が、いかにも掛け離れているからだ。

広告だけを見れば、近代化の最先端を行っている光景だが、雑然とした街の様子とは、随分アンバランスな様に感じられる。

しかしこれが正に現代インドの実態であり、その乖離が面白い。

やがてはインドも、この広告の女性のように、街からサリー姿の女性が消え、オートリキシャが無くり、高層ビルが建ち並ぶ、何処の国でも見られる姿に変貌してしまうのかと思うと、ちょっと寂しい気もする。
コメント (0)

「去り行く牛君②」
<<インド>>--ヴァラナシ--


更に遠くに歩いて行ったこの牛君、完全に街の中に同化してしまった。

こうして人間と一緒に共存している放し飼いの牛は、自分も人間だと思っているのではないだろうか。

私の目の前で、獲得したリンゴを誇らしげに、食べていたパフォーマンスを見て、どうもそんな気がしたものである。

インドでは、ペットのように人間に愛されている牛は、働く道具ではなく、牛乳や燃料用の糞を提供してくれる、有難い生き物なのである。

日本でも江戸時代、犬を生類憐みの令、で虐待禁止の布令がなされたことがあるが、それとは意味が違うようである。
コメント (0)

「去り行く牛君」
<<インド>>--ヴァラナシ--


リンゴを食べた後、何処とも無く通りを歩き去る牛の姿。

憶えているだろうか、私の眼前で、店から失敬したリンゴを食べていた牛のアップを。

彼は、いや彼女かな…リンゴをむしゃむしゃ食べた後、私の前を離れていった。
また当て所も無く大通りを人間と共に牛歩して行く。

こうして見ていると、人間より牛の方が人生を謳歌しているようである。
いや、人生でなく牛生であろうか。

右上には、このヴァラナシの街の発展に寄与した人間の銅像が飾られているが、誰だったか忘れてしまった。
コメント (0)

「大通り」
<<インド>>--ヴァラナシ--


こちらは水が引いた後の通りの様子。

舗装されていない道路は、水が引くとご覧のように、でこぼこに固まる。

日本の土のように黒くなく、赤土である。
これが更に乾くと、今度は埃となって車などが通ると、舞い上がるから大変である。

住めば都なのだろうが、此処でずっと暮らしている人たちは、大変だろうなと同情してしまう。

再度述べるが、まるで西部劇に出てくる街の雰囲気のようである。
コメント (0)

「街角④」
<<インド>>--ヴァラナシ--


ロータリーからちょっと横道に入ると、こんな光景が広がっていた。

ちょっと昔の日本の村の様子を見るようである。

差し詰め、日本映画「三丁目の夕日」に出てくる昭和30年代の頃と言った所だろうか。

昨晩従弟と早目の忘年会をやった。

彼も17年前にインド一人旅を体験したのだが、その頃とほとんど変わっていないと、ページを見ながら感想を述べていた。

発展目覚しいインドとは言え、一般庶民の暮らしの歩みは、牛と同様のんびりとしたものであるらしい。
コメント (0)

「街角③」
<<インド>>--ヴァラナシ--


リアカーを漕ぐ男の姿。

昔は日本でも、自転車の後ろにリアカーを付けて走る姿を良く見掛けたものである。

しかしインドのリアカーは、少し様子が違う。

自転車の部分と、荷台が一体になった三輪車なのである。

最近は、日本でも女性が買い物をするための、小さな三輪自転車を見掛けることが有るが、それの大型版と言ったところだろうか。

インドの現在の状況は、戦前戦後の日本の様子に良く似ているような感じである。

この場面でも、サリーを着た女性の姿が、一際鮮やかである。
コメント (0)

「街角②」
<<インド>>--ヴァラナシ--


ロータリーの中央を行く自転車の男の姿。

これはまた何とも奇妙な自転車である。

ハンドルの前に大きなスピーカーを付けているが、物売りにしては商品が何もない。

後ろの荷台に括り付けてあるのは、バッテリーであろうか。

廃品を利用して、自分で作り上げた拡声器のようである。
一体この拡声器を利用して、彼はどんな宣伝をするのか興味深いが、この時はただ通り過ぎただけであった。

戦後の日本では、こうして自分で工夫した道具を利用して、様々な物売りが来たものであるが、最近はせいぜい石焼芋屋や廃品回収の小型トラックが来るくらいである。

インドでは、嘗ての日本の街の光景を見るような場面を、随所で見ることが出来るから、私には興味が尽きないのである。
コメント (0)

「街角」
<<インド>>--ヴァラナシ--


2つの大通りが交叉する交差点に差し掛かった。

此処はメインの交差点のようで、ロータリーになっている。

道端で、二人の男の子を連れた女性が居た。
オートリキシャから降りて、目的の場所に向かう前の準備でもしているのだろうか。

浅黄色のサリーが、街の景観に一段と冴えて綺麗だったので、カメラを向けた。

男性は誰でもあまりパッとした服装の人は見かけないが、女性のサリー姿は美しい。

上の男の子は、珍しく靴を履いている。
子供は、ほとんどが裸足かサンダル履きであるが、この子は確りした靴である。

子供達の服装もさっぱりとした物を着ている。

この母子は、インドではきっと中流階級の子女なのであろう。
コメント (0)

「歩み②」
<<インド>>--ヴァラナシ--


この男性はヒンズー教の信者なのであろうか。

定かではないが、ガンジス川の沐浴を済ませた後、ヨガなどをした帰りなのではないかと、勝手に想像してみた。

額に貼ってあるものは一体何なのであろうか。
大きなマットと風呂敷の中身は、何に使用するものなのであろう。

見るからに強面で、裸足で歩く彼の傍には、ちょっと近寄りがたいものを感じた。

それにしても、とても道とは言えない泥の水溜りである。

我ながら、良くこんな街の中を散策したものだと感心する。
しかし、それなりにこの街の生活の実態に触れた感じで、得がたい体験であったような気がする。

この街と、そこに住む人との触れ合いは、まだまだ続く。
コメント (0)

「歩み」
<<インド>>--ヴァラナシ--


足元を気にしながらやってくる、サリーを着た女性の姿。

この劣悪な道路とは、およそ掛け離れたサリーの美しさである。

一枚の長い布を、実に器用に見に纏う事の出来るサリーは、何と言ってもインド女性の誇りであろう。
さりげなく、足元を気遣ってサリーをたくし上げる手元が奥ゆかしい。

手に持っているのは、目的地に着いた時に足を洗って拭くタオルであろうか。

インドの女性は、貧富の差に関係なく、美に対する関心の高さはかなり高い。
年齢や、容姿は敢て顔を隠したので、ご想像にお任せしたい。

背景には、裸足で歩く少女の姿が散見出来る。

ちなみに、靴を履いて歩いて行く男性二人は、私の旅仲間である。
生活の知恵とは言え、此処では靴は無用の長物となる。
コメント (0)

「脱出」
<<インド>>--ヴァラナシ--


泥濘の中に嵌まってしまった人力車を脱出させようと、渾身の力で引っ張る車夫の姿。

正に泥濘との格闘である。

客を乗せたままでの脱出は、かなりの力が要ることであろうと、同情せざるを得ない。

しかしこれも生活の糧を得るための作業だから、止むを得ない光景なのだろう。

人力車に乗っている男性は、この車夫の努力を、どんな気持ちで見ているのだろうか。

毎日続けられるこんな光景は、日本の観光地を巡る人力車とは、同じ人力車でも大違いである。
コメント (0)

「足を洗う少女」
<<インド>>--ヴァラナシ--


道端の水道で、足を洗っている少女の姿。

彼女はこの水道の有る場所で、洗濯をした後、汚れた自分の足を洗っていた。

日本では恐らくこうして水道や井戸で、洗濯をする姿は、ホームレス以外は無くなってしまったであろう。

しかしインドでは富裕層でない限り、洗濯機を持っている家はほとんど見掛けない。
当然洗濯をするのは、女性の仕事となる。

それにしてもこの少女のスタイルの何と良いことであろうか。
インドの女性は、まだ小さい子でも、ほとんどがイヤリングや腕輪をしている。

スタイルや容姿も、目が大きく、ハッとするような美人が多い。

彼女にしても、すらりと伸びた手足は眩しいほどで、きっと大人になったら、素敵な女性になることであろう。
コメント (0)

「露店商」
<<インド>>--ヴァラナシ--


此処でも2軒ばかり、お店を出している露店商が居た。

自家製のコンロの上では一体何を焼いているのだろう。

買いもしないのに、聞くのもはばかられて、結局この食べ物が何なのか、分からず仕舞いであった。

それにしても、こんな所で食べ物を売っているなんて、壮絶としか言いようが無い。

行き過ぎるオートリキシャの水しぶきから言っても、食べ物を売る環境ではないような気がするが、売れなければまた別の所に簡単に移動出来るのも、この店の特徴だろう。

カメラを向けたら、おじさんに睨まれてしまったが、撮影した後ちょっと手を上げたら、にこりと笑顔が返ってきた。
コメント (0)

「泥濘の中を」
<<インド>>--ヴァラナシ--


こんな露天商の姿を見ると、思わずご苦労さんと言いたくなる。

泥水を物ともせず、屋台を移動させるのは大変な作業であろう。

この国では、ほとんどの人が靴を履かずに、サンダル履きである事は、あながち暑いからだとは言えず、こんな場面にも対応出来るからであろう。

お陰で、私のウォーキングシューズは泥だらけとなってしまい、ホテルに戻ってから、泥を洗い落とすのに苦労したものである。

生活を取り巻く環境がこんなだから仕方が無いが、それにしてもインドの人々の生活力の逞しさには、目を見張るものが有ると言わざるを得ない。

こうして、毎日生きるための努力が繰り返されているのである。
コメント (0)

「露店」
<<インド>>--ヴァラナシ--


またまた泥濘に遭遇してしまった。

唯一この露店のおじさんが陣取っている所が泥水が無いのだが、道を塞いでしまっているので通り抜けられない。

こんな所で店を張っていて、果たしてお客が足を止めて果物を買うのかと、疑問に感じる。

私は此処に留まっていても埒が明かないので、結局おじさんの後ろを通って、意を決して泥水の中を恐る恐る歩くことになるのだ。

兎に角街の中には、こうした引き売りの露天商がたくさん居る。

前方からも他の露店商が、良い場所を求めてやって来るのが見える。
此処では、生きるための活動があちこちで続いている。
コメント (0)

「やったね」
<<インド>>--ヴァラナシ--


せめて週末くらいユーモアの有る写真を載せよう。

この牛君の口の中にご注目。
何とこの綺麗な牛君、近くの果物屋の店先に陳列してある、売り物の大きなリンゴをパクリと失敬。

店番をしている親父が、アッと叫んだが後の祭り…

そのリンゴを口に咥えたまま、私の傍にやって来た。
彼はこの戦利品を「やったね」とばかり、私にガッツ・ポーズをして見せているのだ。

この後彼はそのリンゴを、私の前でむしゃむしゃ食べた後、また通りの方へと去って行った。

今でもインドでは、牛は神聖な動物だから、街中を我が物顔に彷徨しているのである。

店の親父さん、やられたとばかり、私の方を見て、頭を掻いて苦笑いしていた。
コメント (0)

「裏通り」
<<インド>>--ヴァラナシ--


メインの通りから横道に入った裏通りの光景。

これでもれっきとした家である。
どの家も、レンガを積み重ねただけの家の、入り口と思しき隙間から、人が出てくるとギョッとする。

コンクリート造りの家の様に見えるが、これもレンガを積み上げた上に、モルタルを塗っただけのようであり、更に屋上にもレンガを重ねただけの部屋がある。

これでは日本のように、ちょっとした地震が発生したら、レンガの下敷きになって大変な事になるであろう。

二階に居る男は、洗濯物でも乾しているのだろうか。
とても危なっかしくて、正視に耐えないが、それでも鉢植えの花が置いてあるのが生活観を感じさせる。

小さな小屋の中に、何か並べてあるが、これでも物を売る店の積りなのであろうか。
こうして街を散策すると、驚きの連続である。
コメント (0)

「店先③」
<<インド>>--ヴァラナシ--


たくさんの男達が、店先に座り込んでいる。

しかし料理を作っているのは一人だけである。

あとの男達は、一体何をやっているのだろうか。

ナンの素材でも作っているのか、それともただ店先に座り込んで、ナンが出来上がるのを待っているお客なのであろうか。

いずれにせよ、異様な光景としか言いようが無い。
これでは我々にはちょっと怖くて、店に立ち寄る気が起こらない。

インドの男達は、一様に眼の鋭い人が多い。
これは生活環境から来るものなのか、それとも骨相的に、生まれ付き鋭いのか、判然としないが…
コメント (0)

「修理屋さん」
<<インド>>--ヴァラナシ--


この店は物を売る店ではなく、修理を請け負う店のようである。

店の外で作業をしている少年は、こんな若い時から、家の手伝いをしているのだろうか。

何か部品らしきものをいじっているが、手前のフライパンみたいなものの中には、油が入っているようで、刷毛で油を塗って、滑りを良くするようである。

薄暗い家の中でも、男性が何か作業をしているようだが、電灯も無いこんな暗い家の中で、良く仕事が出来るものだと感心する。

仕事を依頼する方も、される方も、貧しさが感じられるのは拭い去れない。

しかし、日本では使い捨てが当たり前になっている現代に、古いものを大切に修理して長く使おうという、節約観念は、ある意味学ぶべきものが有るような気がする。
コメント (0)

「店先②」
<<インド>>--ヴァラナシ--


街の商店街の店先の光景その二。

この男性は一体何をやっているのだろうか。
どうやら後ろの店はバイク用品を売る店のようだが、それとは関係の無い物を売っているようである。

果たして、物を売っているのかどうかも定かではない。

どぶの上に、自分で工夫して作ったと思われる台を上手い具合に橋渡しして、その上に腰掛けている様は、滑稽味さえ感じる。

彼の茶髪は染めたのではなく、元々自分の髪の色であるようだ。

それにしてもゴミだらけの周囲からして、もし食べ物を売っているのだとしたら、ちょっと二の足を踏みそうである。
コメント (0)

「店先」
<<インド>>--ヴァラナシ--


街の商店街の店先の光景。

8人の人々がそれぞれ皆、思い思いの事をやっている。
何とも愉快な光景である。

一番傑作なのは、箒を持ったお婆さん、店先を掃こうにも皆が慌しく動いているので、掃く事も出来ず、ただ黙然とつっ立っているのみ。

ビニールをもって怒鳴っているおじさん、座り込んで、碁盤のようなものの上で何かをしているおじさん、チャイでも売っているのか、湯を沸かそうとしている若者、とそれぞれがばらばらに動き回っている。

若者の一人が、カメラに気付きこちらを向いた。

この画面一つを取っても、矢張りインドはパワーに溢れている。
コメント (0)

「散策」
<<インド>>--ヴァラナシ--


前を行く二人は我々の仲間である。

こうして舗装されていない街中を、ぶらぶらするのは、ある種の懐かしさを憶えて楽しいものである。

この光景は、西部劇に出てくる決闘場面のような街の様子に似ている。

時間に制限されずに、あてどもなく好きな所を散策するのも、旅の醍醐味と言えるだろう。

兎に角インドと言う国はどこへ行っても、エネルギーが満ち溢れているようで、興味が尽きない。

新旧の店が渾然一体となって存在しているのに、妙な調和が感じられる。

これから出会う、様々な街の様子に、乞うご期待というところだろう。
コメント (0)