2007年11月の記事


「仏塔群」
--タマン・アユン--


タマン・アユン寺院の仏塔が建ち並ぶ光景。

此処の神殿には、メングウィ王国時代の歴代の王を祀った仏塔が建ち並んでいる。

サトウキビの黒い茎で葺いた屋根を持つ仏塔群(メル)は、三層から十二層まで合計十基が有り、王の位によってその規模が違うのだと言う。

此処にじっと佇んでいると、何か不思議な世界に入って行くような感じがして、国によって神殿も随分違う物だと思わざるを得ない。

これらのメルや石像はバリ・ヒンズー建築の粋を集めた物だとされている。
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「社内」
--タマン・アユン--


タマン・アユン寺院の内部の光景。

様々な彫像が所狭しと配置されている。

これらの像や建物は、全てバリ島の神聖な山であるアグン山の方角に向けて建てられているのだと聞く。

手前に有るのはガルーダに乗ったラーマ王の姿だと言う。
ガルーダはインドネシアの国営航空会社の名前でもご存知だろう。

下半身が鳥で上半身が神である、ヒンズー教の数ある神々の中の一つである。

此処の場所は寺の神官だけが入る事の出来る神聖な場所なのだ。
我々一般人はこの寺院を取り巻く、石塀の外からしか社内を見る事が出来ない。
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「寺院の前で」
--タマン・アユン--


タマン・アユン寺院の前でのワヤン君とのツーショット。

私の息子のような年齢のワヤン君は、とても優しくて面倒見の良い青年である。

荷物を持ってくれたり、写真を撮ってくれたり、とても親切に私の世話をしてくれたものだ。

此処の古刹は、前に見える石壁の外をぐるりと廻って見学をするだけだから、ラフな格好でも構わないのだ。

Tシャツに短パンだけで済むのは実に快適で、全く暑さを感じないから行動も楽であった。

仲間に撮ってもらった一枚だが、我々の顔の間に、スキンヘッドのおっさんの顔が入っているのが面白い。
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「不思議な光景」
--サヌール--


街を歩いていて見付けた水が吹き出る不思議な壷。

道端の小さな祭壇の前にこんな巨大な壷が有った。

不思議なのは壷の真ん中から綺麗な水が湧き出ていて、壷の脇から水が溢れて絶えず下にこぼれているのだ。

大きい壷なので上から覗く事が出来ないが、水が豊富なバリ島ならではの光景だと思って撮ってみた。

残念ながら、水の吹き出る様が、背景の祭壇の白い紙と重なってしまい、良く見えない。

これも一種の芸術品のような物だろう。
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「笑顔」
--サヌール--


何時も笑顔を絶やす事の無い素敵な女性の笑顔。

作り笑いでない彼女の笑顔は喫茶コーナーの準備をしながらでも、何時も輝いていた。

明るい朝の太陽を背に受けて、爽やかさが周りに漂っている。

ジューサーの中に一杯入っている実は一体何なのだろう。
どんな味がするのか試飲してみたかったが、食後の満腹感で、これ以上は飲めそうも無かった。

彼女の笑顔だけで、満足であった。
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「タマン・アユン寺院�A」
--タマン・アユン--


寺院の山門を通した参道の光景。

広大な寺院を巡らす堀を渡るとこの山門が有る。

これはバリ島に数ある寺院の典型的な山門で、「割れ門」と言う。

左右対称のこの門は、悪人が此処を潜ろうとすると、閉じてしまって入れなくなると言う、バリ・ヒンズー教の伝説に基いているのだ。

それにしても欧米人の服装や、行動は何とも大胆で、圧倒されてしまう。

此処の寺院は、社殿の中に入れないからこんな服装でも通用するが、他の寺院ではサルン(腰巻)などを纏わないと社殿に入る事は出来ない。
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「タマン・アユン寺院」
--タマン・アユン--


バリ島の数ある寺院の中でも、その美しさが際立つ寺院の光景。

バリ島中南部に位置するこの寺院は、1634年に建立されたメングウィ王国の国寺である。

堀に囲まれた庭園のような敷地を進み、参道の行き着く所が、バリで二番目に大きい神殿である。

寺院の中には一般人は入る事が出来無いが、石塀を通して見る10基の塔(メル)が整然と建ち並ぶ光景は、ヒンドゥー建築の粋を感じさせる。

手前に欧米人の女性を配して、画面に奥行きを出してみた。
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「日の出前�B」
--サヌール--


やっと明け始めたサヌールの海辺の光景。

まだこの時間だと、浜辺には人影が無い。
砂浜には前日ここで遊んだであろう、無数の足跡が残っているだけである。

潮風に煽られてはためく、社の幟旗の音と、夜明けを待ち侘びた鳥のさえずりが聞こえるだけの静かさだ。

東の空の茜色を受けて、砂浜が赤く染まっている。

昨夜の遅くまでの深酒の火照った顔を、海風が心地良く冷ましてくれるようであった。
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「日の出前�A」
--サヌール--


シーサイドに鎮座するホテルの社の祭壇の光景。

どんな家やホテルにも必ずこのような祭壇が有るのが、バリの特徴だろう。

東の空が白み始め、ホテルの従業員がこの社の掃除をしている。

顔を合わせると、両手を合わせて朝の挨拶をする。
此処では全ての人々が感謝の挨拶をする事から一日が始まるのだ。

神への奉仕はその日の最初に行う仕事のようである。
社の周りや、石像にこんな布を巻くのもこの島の習慣のである。
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「日の出前」
--サヌール--


赤みを帯びた東の空を眺めるシーサイドからの光景。

朝のサヌール、夕のジンバランと言われるほど、日の出前と日没時のバリの海岸は美しい。

幸い今回の旅行で、東と西のこのビュースポットが快晴で眺められたのは幸いであった。

日の出の光景も美しいが、茜色が段々と濃くなる日の出前の光景も私は好きだ。

南国の鳥達のさえずりが徐々に賑やかになり、朝の喜びを歌っているようだ。
釣り人の船だろうか、小船が一艘静かな海に漂っいた。

ワヤン君が送ってくれた、今バリで流行しているDegungのCDの静かなメロディーに合わせて、この写真を載せてみた。
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「朝の気配」
--サヌール--


海から昇った朝日に照らされて、黄金色に輝く大木の様子。

何の木だか分からないが、大木の割には余り背が高くない木である。

すべすべした幹の表面が、木の皮の質感を繊細に浮き立たせている。

南国で良く見掛ける木だが、花と同様植物音痴の私には、ただ珍しい木だなと思うだけである。

背景の小さな祠や幟旗が、如何にもバリ島らしい情景を醸していた。

南国なのに朝のひんやりとした透明感が伝わって来て、思わず深呼吸をしたくなる雰囲気であった。
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「マスコット」
--サヌール--


朝日に輝くホテルの素焼きのマスコット。

バリ・ハイアットの広大な庭内のあちこちに置かれている、このホテルのマスコット。

まるで埴輪のような一体何をモチーフにしたものか分からないが、実に様々な形をしたものが、庭のあちこちに置かれている。

何だかひょうきんで、可愛らしく、朝日を浴びて気持ち良さそうなので、記念に一枚撮っておいた。

背景の自然が一杯のひなびた光景と実に良くマッチしているようであった。
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「海原�A」
--サヌール--


海の中から見たシーサイドの光景。

今まで載せていた写真の同じ位置から、カメラを90度移動して海浜の光景を撮ってみた。

今度は順光なので、波頭は光らずに海底の海草が良く見える。

遠くに見える白浜と、海辺で戯れる人影や、ボートの船影が、のどかである。

波の無い浅瀬の海底だからこんなに海草が茂るのだろうかと、いささか驚きであった。

この写真も、海面すれすれから撮った一枚である。
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「海原」
--サヌール--


広々としたバリ島の海の光景。

昔バリハイと言う名の映画が有ったような気がする。

海の先に噴煙を上げる火山が有ったが、あれは架空の島をセットで造り上げたとの事であったが、バリハイは正しくバリ島を舞台にした映画であった。

その映画を少年の頃に見て以来、私の心の中では南国の夢の島、と言うイメージが大きく膨らんでいた。

はるか彼方には、二本マストの大型ヨットが二艘ゆったりとたゆとうている。

こんな景色を眺めながら、少年時代の懐かしい夢を思い起こしていたものである。
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「シーサイド�B」
--サヌール--


砂浜でのんびり本を読む男性の姿。

欧米人のシーサイドでの過ごし方の典型的なスタイルと言えるだろう。

潮風に吹かれて日光浴をしながら、本を読む。
ゆっくりと時が流れて行く癒しの時間なのだろう。

せっかちな我々日本人には、折角バリまで来て、日がな一日こうして過ごすのは勿体無いような気がして仕方が無いのだ。

これも長年体に染み付いた働き蜂のようなサラリーマン根性の成せる業なのだろうか。

海外に行ったら極力あちこち見て歩きたい私と、心身を癒しに来たのだからのんびりと一日を過ごしたいと言う考えの違いだろうか。

さて皆さんはどちらの部類かな。
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「シーサイド�A」
--サヌール--


砂浜で寝転んでのんびり本を読むお二人。

トップレスの女性の白い肌が、南国の日差しを浴びて眩しい。

別にヌーディスト村ではないのに、あちこちでこんな姿を見掛けるから、こんなシーンに慣れていない我々には度肝を抜かれる。

しかし決していやらしい感じはせず、むしろこれが自然なのだと、思えてくるから不思議である。

プライベートビーチだから、ホテルの清掃員が絶えず砂浜を見回って、ゴミを回収して行くから、砂浜が綺麗なのも、気持ちが良い。

バリ島ではちょっと前まで、女性は上半身裸でサロン一枚を纏っているだけの生活だったのだと、ワヤン君から貰ったDVDを見ながら分かった次第である。
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