2006年08月の記事


「アルテミス神殿」
--セルチュク--


エフェス都市遺跡に程近い場所に在る、セルチュクのアルテミス神殿跡の光景。

嘗て世界の七不思議の一つに数えられたこの神殿は、7回破壊され7回再建されたと言う。

紀元前356年にはただ自分の名前を歴史に残したいだけの男によって放火され、炎上した事も有ったと言う。

最盛期には直径1m20cm、高さ19mの大理石の円柱127本の上に聳える神殿は、アテネのパルテノン神殿よりも大きく、中には黄金や宝石に覆われた高さ15mのアルテミス像が置かれていたと言うから驚きである。

此処で使用されていた石材の多くは、イスタンブールのアヤソフィア建築などで持ち去られ、今では修復された石柱一本を残すのみであるから、歴史の変遷も恐ろしいものがある。

遠くに見える宮殿や城塞を入れ、石柱の天辺に巣を構えているコウノトリが飛び立つ瞬間を狙ってシャッターを切った。

偶然とは言え此処に巣が有る事が、歴史の寂寥感と、迫る夕暮れを併せて、胸に刻まれたものである。
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「商業アゴラ」
--エフェソス--


国営の集会場の跡。

紀元前一世紀後半に造られたという国家管理化の集会場が有った場所である。

国営商業アゴラと呼ばれ、政治や文化、宗教などの重要な重要な行事が行われたという。

中央には皇帝アウグストスを祭った神殿なども有ったとされている。
商取引は北西にあるアゴラ(取引所)で行われた。

今は草いきれの中に、神殿跡の石垣や、石柱を残すのみで、昔日の感を強く醸し出していた。
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「クレティア通り」
--エフェソス--


巨大な図書館に続くクレティア通りを下から眺めた光景。

今まで載せていたメインストリートをずっと下って来て、坂の下から丘の上を撮ってみた。

大勢の観光客が通りのあちこちを見学しながらやってくる。
崩れそうな石柱を、支え棒で押さえている所などがあるが、果たしてこれで支え切れているのかどうか疑わしい。

此処でも、これらの遺跡が完全に修復されるまでには、果たしてどれくらいの年月が掛かるのだろうかと思ってしまった。

この地方は地震などは無いのであろうか、地震国日本ではちょっとした揺れでも崩壊してしまうのではないかと、余計な心配をしたものである。
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「栄華の墓所」
--エフェソス--


この表題はこのページのBGMを提供してもらっているTAMさんのMIDIの題名である。

正にこの写真にぴったりの表現に思えて、そのまま題を使わせてもらった。

嘗て太古の昔に、賑わったであろうこのクレティア通りの家並みの廃墟は、栄華を誇ったエフェス人達の墓所のような気がする。

平家物語の序章ではないが、栄えるものは必ずいつかは滅びる。
栄枯盛衰の世の中を、この都市遺跡は我々現代人に語りかけているような気がしてならない。

この通りを歩き、一つ一つの家並みに残された遺跡を見る時、数千年前の時代に、間違いなく此処に生活の場が有り、先達たちの息使いを感じて、しばし瞑想に耽った事を忘れる事が出来ない。
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「プリタネイオン」
--エフェソス--

紀元前三世紀に建てられたプリタネイオンの柱。

エフェスの象徴である女神ヘスタの聖火が、数世紀にわたり日夜灯り続けた場所。

ギリシャ語とラテン語でその経緯が書かれていると言う。
この聖火を守るのは、ブリタンと呼ばれる名家出の高官であり、その職は名誉職であったと言われている。

オリンピックの聖火がギリシャ・オリンピアで灯されていたのと同じように、絶やす事のない聖火は、古人にとって神聖なものであったに違いない。

小高い丘の手前に聳え立つこの石柱が、今は昔の寂寥感を現しているようであった。
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「メミウスの碑」
--エフェソス--


地中海文明の中では最重要遺跡に数えられるエフェス遺跡群の一つ。

これは今まで載せていた、紀元前一世紀に建てられたメミウスの碑と呼ばれる三体の像のアップである。

ローマの悪政に対する民衆の抵抗運動「ポントスの乱」を指揮し、エフェスを守ったローマの独裁官、スラと息子のガイウス、そして孫のメミウスと言う三代にわたってエフェスを統治した偉大な先達たちの像なのだ。

三体とも余りに古いために、顔を削られたり、胴の一部が欠けていたり、まともな像をなしていないものだったりと、様々である。

しかし雨曝しの中に立つこれらの像が、私には却って作り物でない現実感を持って迫ってくるようで、感慨を新たにしたものである。

欠けている部分が、まだ発見されていないのか、誰かが持ち去ったのかは知る由もない。

私は余りにも膨大な遺跡群のために、未だに修復されていないのではないかと、善意に解釈した。
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