「その人の都合っちゅうもん」「話さんものを、どうして、他人のウチが訊いてよか」 思想的、哲学的深淵の一語
山崎朋子筆『サンダカン八番娼館~底辺女性史~』 筑摩書房 1972年。本書で、もっとも象徴的一文。
そう受け止める記載を「さらば天草」の、以下の記載に見つけ出しておく。

「(こんどは別な猫を膝に抱きあげながら)---けどな、おまえ、人にはその人、その人の都合っちゅうもんがある」
「話して良かことなら、わざわざ訊かんでも自分から話しとるじゃろうし、当人が話さんのは、話せんわけがあるからじゃ」
「お前が何も話さんものを、どうして、他人のウチが訊いてよかもんね」(p241-242)。

 このことばを耳にして、わたしは、おサキさんの小柄な体がからだが急に、10倍も大きくなったように感じた。

 作者は承ける。
 「円熟した人間のことばであり、思想的、哲学的な深みにまで達しているということ」。
「(学校にも行けぬ文盲、片仮名も数字も読むことできす、書物とは縁がない)彼女であるにもかかわらず」
「なおかつ人間として最高度に円熟したことばを口にし得たということ」
「(彼女が)ほかならぬからゆきさん生活をとおしてそのような境地に到達したとする以外に、解釈の道はない」。

「その人の都合っちゅうもん」「話さんものを、どうして、他人のウチが訊いてよか」 思想的、哲学的深淵の一語.