佐々木家
 山林から搾乳牧場 別保原野から緑ケ岡の進化230310

 『釧勝根北 せんしょこんぽく 写真帳』に掲載の一枚の写真。
 「釧路國白糠郡庶路村 牧畜酪農 佐々木牧場」と「場主 佐々木輿兵衛」が左右の行に書かれている。
 図の下には「釧路町字茂尻矢 もしりや 牛乳搾取佐々木牧場釧路分場ノ景」の記載。

 今日、釧路市緑ケ岡一丁目&三丁目の地は、「別保原野南28線」「別保原野南27線」に相当する。
 丘陵の凹地をぬって「サルウシナイ川」が流れ、下流部には「茂尻矢 モシリヤ」の地が広がる。その流域の丘陵一帯には原始林がおおっていた。
 そこを明治16年に佐々木輿兵衛家が払い下げをうけ、山林経営の後、搾乳牧場を開設した。
 
 『釧勝根北 せんしょこんぽく 写真帳』は大正4(1915)年の発行である。
 当時の釧路町は人口が3万人に迫っており、欧米からの酪農、生乳に象徴される飲用牛乳はヒットしたようだ。
 別保原野の地ではおさまらず、西の白糠郡にも乳牛飼育地を開設したようで。

 掲載の図にある「釧路町字茂尻矢 牛乳搾取佐々木牧場釧路分場」の説明の背景となる事柄。
 二代目は牧場の拡大を背景に旧制函館中学校から東京帝国大学農学部にすすむ。
 緑ケ岡学園理事長を務め、その人脈で短期女子高等教育機関を築きあげた。
 
 建学の思いは「18歳女子教育間口の確保」にあった。
 その施業対象地こそ「茂尻矢 牛乳搾取佐々木牧場」、そのものなのだ。 
 開学には資金を自ら調達しなければならなかった。牧場隣接地を宅地造成し資金を調達した。

 「分譲地が高すぎないか」。しかし、佐々木はゆるがなかった、とされる。
 「気持ちは、わかる!!」。
 「しかし、それを聞いていると女子短期大学を開学できない」。かく叫んだと言う。
 
 共学となった釧路短期大学。西暦2024年に開学60周年を迎える。本年は「開学60年」ということ。