2017 05/27 06:06
Category : 書評
開教&初等教育・厚岸郡西部 佐藤暁善ー前ー
釧路国尾幌の佐藤暁善師もまた忘れてはならぬ人である.
おさない時から仏教に興味をもち、一六歳で仏門に入った.彼はまた北海道の開発問題に関心をよせ、その移民の教育と信教が大切であることをかんがえ、新天地で理想の実現につくそうと決心した.
はじめ厚岸にいたが、尾幌農場の小作人が自然の悪条件におそれをなして、次々に離散していくのを見て、自らここに入地する気になった.
作物の生育期に濃霧がおそうことが多く、日照がすくなく、土地は低湿で、営農には最悪の状況であり、これを克服していくのには農業技術ばかりではなく、精神的ささえがなければ成功はしないとみたからである.
彼は農民をはげまし、農場主をたすけ、造材事務所を借りて住み込み、真宗本願寺派尾幌教会所の看板をかかげた.一八九九年のことである.
説教のかたわら寺小(ママ)屋式の教育をはじめた.のちには八㎞離れた苫多にも出張所をもうけて両所を往来して、子弟の公民教育をした.のちには農業補習教育もやった.
経費は信徒の喜捨.厚岸の篤志家の助力によったが、のちには支庁からの給付金があった.
(若林功著・加納一郎改定『北海道開拓秘録 (3)』 134~135p 1968年).