感動を呼んだ記念講演 橋畔随想
感動を呼んだ記念講演 橋畔随想
 
信頼 確実に書いてくださる、しかも深淵の意図をくんで.
 「感動を呼んだ記念講演 橋畔随想」は、同窓会報に投稿されたコラム欄.しかも「平成27年6月号」という、最新のご至稿を頂戴した.傘寿をこえたお方に、寄稿依頼が届く.そこに即座の一筆.論点が、鋭い.



「聞く力」「聞きわける力」. 珠玉の記念講演を紹介.
 母校の入学式に、出かけてゆくということなのだ.楽しみにしているのは、毎年おこなわれる識者の記念講演.
本稿では、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのクレイグ・カルボーン教授の講演.短文のなかに、「(大学で学ぶ意義を)到来する社会のため」とする、講演主題を明確に示して、講演の意義と論者の関心を伝える.
案内があると、出席する来賓は多い.「なぜ、入学式に」と自問して、「記念講演を聴くため」という点に、戦後教育のある意味<穽陥 せいかん 落とし穴>を埋めて、余りある気がする.戦後教育は自己主張することをすすめ、<主権者の意思に聞く耳もつこと>を軽視している、ではないか、

「目立つため」ではなく 聞く席は父母席の最前列.
 そういうことかと.得心.教育機関の入学式、卒業式に列席される方は多い.母校では同窓生用の席も用意されているが、着座はいつも「父母席の最前列」.
入学式、卒業式の列席は、「自分が目立つ」.しかも、「挨拶もあるかどうか」の関心を大事にする政治家もおるではないか.
メディアは学長・総長がいかなる「式辞」を述べた、か.そこを報じる.記念講演など記事にもならぬ.しかしあるのですねー、高等教育機関の見識と、同窓生の知性.「次にまた」.執筆を頼む方も、読者を「次を待つ」はず.下さった方の真意を、ゆがめるものでないかと案ずるが.(150719稿)