敗訴 武家政権
 敗訴 武家政権 日宋貿易をめぐる鎌倉幕府御家人と公家の近衛家の利害。将軍・頼朝は御家人の行為を「停止」する判断。

 東京大学史料編纂所所蔵の島津家文書に記載があるそうで。訴訟への経緯はなにか?。

 平家は日綜貿易を独占。絹、高木、などなどの奢侈品輸入。利益は政権の基盤として魅力があったが、公家との対立を深め、「平家追討令」。

 政権移行後、頼朝は九条兼実と接近しているが、その親族にあたる≪九州・大宰府≫近郊に荘園をもつ近衛氏の既得権を御家人が侵害し、訴訟に発展。

 頼朝の判断は、御家人の行為を「停止」。学者は「複雑にして苦渋の判断」とする。先例無視の武家政権、先例踏襲の公家政権。頼朝政権誕生後、早くも貿易を間に公武政権が覇権。

 武家は配慮したとされる。一に武家武力(公家の要する武士団、検非違使、近衛兵)との対比のほか、外交の国際ルールの理解(文書・手続き理解に教養主義 一の記載を読んで十の意味合いが常識)に、経験不足。

 訴訟は武家政権の外交担当の行使。頼朝は清盛と異なり」、≪先例踏襲≫の「正しい判断=冷静な判断、冷徹な決断(身内の御家人敗訴)」を選択し、「武家政権の長期化」を切り開いたと言うことである、が。(『さかのぼり日本史 頼朝の外交』)。