小和田哲男著「直江兼続 〝愛〟を掲げた忠臣」
 小和田哲男著「直江兼続 〝愛〟を掲げた忠臣」。兜の部分=眉庇(まなざし)でアピール「愛」を、愛染明王か愛宕権現かと考えたが、「人間愛」なり「博愛の愛では?」と考える(88p)。

 「軍配型軍師」から「参謀型軍師」へというのが、本論の特質。直江については、そのシフトの時期を天正17年6月12日、16日に行われた佐渡で河原田城、羽茂城を攻撃し、領主・本間氏平定の戦いに求める(97p)。

 足利学校に「軍師養成の役割をしていた」(95p)とある。卒業生が戦国大名に軍師として迎えられ、兼続も二人の卒業生をかかえるのだという。

 上洛を上杉氏にうながす家康に、兼続が16ヶ条からなる上洛延引の訳を述べる。120万石の旧領にかえ30万石で山形に転封ですんだこととの関係?。説明はしにくいのかも(107p)

閻魔大王への手紙に似せた高札(103p)。「親類ども嘆き候て、呼び返しくれ候へと様々申し候に付、すなわち三人迎えにまいらせ候。彼死人御返し下さるべく候 恐惶謹言」。たまったものではないが。読ませてくれる。