2025 02/20 14:18
Category : 日記
目も口も開いていられない吹雪、屋根に上がれが身長ほどの高さの雪、屋根雪が路上に落とされ家屋とほぼ同じ高さに、そして雁木の中をゆく橇、集落を繋ぐ道はただ一本、人一人が通れるだけの幅だった。
昭和100年の初めの3〜40年まではこういう状況も珍しくなかった。屋根の除雪は朝から夕刻までの労働だった。黙々とシャベルなり木鋤を振るい続けながら、弱音を吐くでもなかった。
我と我がみを省みれば、いささかの除雪でも愚痴が出たり、休んでみたり、作業を切り上げたりと、なんとも意気地のない有様になった。体力だけのことではなく、淡々と耐えることを忘れたのかという思いもある。
昭和100年の初めの3〜40年まではこういう状況も珍しくなかった。屋根の除雪は朝から夕刻までの労働だった。黙々とシャベルなり木鋤を振るい続けながら、弱音を吐くでもなかった。
我と我がみを省みれば、いささかの除雪でも愚痴が出たり、休んでみたり、作業を切り上げたりと、なんとも意気地のない有様になった。体力だけのことではなく、淡々と耐えることを忘れたのかという思いもある。