商品流通を税把握&貿易収支是正 1886年「(蝦夷地)御試交易」に読む田沼重商主義政策の意味250212
 商品流通を税把握&貿易収支是正 1886年「(蝦夷地)御試交易」に読む田沼重商主義政策の意味250212

 このところ田沼時代の経済政策に二つの知見があることに気がついた。
 25年2月12日。ネットでは「払拭されつつある『賄賂政治家』の悪評」(歴史人 『田沼意次が目指した『重商主義』とその再評価」 251212)。
 https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2025144433SA000/index.html
 NHKETV「なぜ立て続けに「改革」した?(1)徳川吉宗~田沼意次」(『3か月でマスターする江戸時代 (6)』 250215再放送)
 https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2025144433SA000/index.html

 1980年頃のことだが、常設展示のシナリオを検討する過程で、<教科書などで取り上げられている田沼意次像が、日本東方史のなかでは不可欠>と考えたことがある。
 岩波書店の『日本思想体系 44 本多利明 海保青陵』を読みながら<重農主義に対する重商主義が幕政に果たした意味>を模索した。
 1885年と86年。幕府は蝦夷地を対象に最上徳内、青島俊蔵らを宗谷・択捉に送り込み、北方調査を実施している。

 その成果と言うか、その後の推移。
 蝦夷地水産物を長崎に送り、対中国輸出品として本邦から<銅輸出>を削減する施策。
 この調査で釧路炭田の石炭資源が確認され、安政期の箱館開港では提供する薪炭の対象となった。
 ウッルプ島にロシア艦船の報を得て注目。そんな報ももたらしている。

 江戸三大改革が進行中。米経済の破綻で「米価下直、諸色高直 べいかげちょく しょしきこうじき」=しなわち<米の値段が下がりつづけ、諸品の価格高騰>の推移。
 なかで年貢低迷、幕府財政悪化を立て直す。田沼はその期待を背負うことになった。
 筆者は思いのうえに、<田沼意次肖像を一点>パネルに挿入するのであるが。