鉱脈は尽きる、それが自分たちの時代に・・・・。「閉山の里〜愛媛県・別子山村〜」nhk4K
 鉱脈は尽きる、それが自分たちの時代に・・・・。「閉山の里〜愛媛県・別子山村〜」nhk4K

 1973年3月の閉山を前に、日本有数の銅山=現在の新居浜市別子山村にカメラが。
 1972年秋のことではないか。鉱山で残る二坑道のうち「端立坑 はてばこう」の閉山が近い。残るは「キサラギ坑」のみ、と。
 「鉱脈は尽きる、それが自分たちの時代に」「江戸から三百年、一万人が住んでいたことも」。

 「最後の村民運動会」「(五キロを30分かけて結ぶ)鉱山電車」「ヤマの安全祈願してきた神社の祭典」
 従業員たちは山元を去る。「江戸から三百年」と「鉱脈は尽きる」の間に「別子山は故郷、家と思って帰ってきたい」
 従業員は新居浜市の「ニッケイ工場」に配置転換。

 残る「石を建築資材に」。村長は懸命な陳情を続ける。
 「あれから51年」。山守って残った一軒、83歳の女性。蕎麦栽培し、美しい星空&野菜つくる。
 春夏に繁る落ち葉が<腐葉土>を育て、ムラの名産をささえる。

(以下、番組案内)
閉山の里〜愛媛県・別子山村〜 初回放送日:2024年10月26日
昭和47年、翌年に銅山が閉山する愛媛県別子山を訪ねた新日本紀行を4Kで!新たな仕事を求めて鉱山を去る人、そして残る人。転機を迎えた山里の暮らしが描かれている。

新日本紀行から52年。銅山のあった新居浜市・別子山地区は100人余りまで人口が減少した。そうした中、地区には英語や理数系の学習に力を入れる中学校「グローバル・ジュニア・ハイスクール」が発足し域外からも含め20人ほどの生徒が学んでいる。若い世代とともに地域を守っていこうという市の事業だ。寮生活を送り住民と親密になった中学生たち。過疎の問題への関心も深まっている。