3.道内各地の職業訓練校 集団就職その3 221218
3.道内各地の職業訓練校 集団就職その3 221218
 集団就職のヒアリングの最後に、「あれはまさに、集団就職そのものでした」。
 そう語ってくださったのは高等学校を昭和41年卒業の方と面談した折のことでありました。
 
 高校卒業式は3月の月初めに挙行される。3月のみ一日だけ登校するならいで、おおむね朔日に式典がある。
 進路先に選んだのは職業訓練所の無線科コースであった、と言うことです。
 職業訓練校所は無線科のみ高卒者から受け入れており、その要因は英語の習熟レベルにあったとされています。

 訓練所修了後、東京に本社をもつ会社に内容が内定し、赴任することになった。
 そのシステムが集団就職。赴任の方法は「集団就職列車」、そのミニチュア版と回想する。
 説明のポイントは、当時の釧路公共職業安定所は首都圏の安定署の示した要綱にそって、乗車する列車日時が指定された。

 北海道内各地に設置された職業訓練所の修了者をまとめたものであったかどうか。それはさらに聞いてみなければいけない点です。
 また、当時の北海道釧路職業訓練所にはまず、機械科か電気科、ほかに建築科のうち二かと、それに無線科の三科で構成されていたはずです。
 そこで三科からともに、それぞれ上京する訓練修了者が居たのかどうかも、次の紹介事項です。

 ここまでの話を聴いてみて、考えていた点があるのです。
 それまで先行する職業補導所、後継の訓練所は地元企業のための技術者確保が主流。
 そう考えてはいたものの実態は首都圏、中部圏、関西圏などの職業安定署とのネットワークのもとに北九州を含めて<四大経済圏の労働者不足>を補完するシステムであったのでしょうか。

 職業訓練所は現在でこそ北海道経済部高等技術専門学校に継承されています。
 その前身が、職業訓練所、職業補導所ですね。昭和22年11月30日に職業安定法(昭和二十二年法律第百四十一号)が施行されています。
 この法律で「失業者対策として、失業者に生計をたてるのに必要な知識・技能を授ける目的で設けられた施設」とされ、釧路職業補導所が設置されたのは法施行4年後のことでした。
 
 筆者が高校を卒業して学部に進学した時、訓練所の無線科2年課程?。
 2年であったようでもあるし、半年であったか不詳ながら、確かに水産高等学校卒業者が2人ほど通学していたですよ。
 大型漁船の無線通信士をめざす学生であったか定かではありませんが、同期の学部二年生とは友人であったはず。それで承知していると記憶してきました。
 大型の漁船や貨客船をめざすなら、四大経済圏での就職は当然にもありうる点です。

 訓練所の時代。昭和34年―同53年はほぼ「集団就職」が言われる時期と重なるではありませんか。
 北海道では「稀 マレ」ということになる、集団就職。その枠組みの貴重なケースなのかも知れません。