2022 07/03 09:23
Category : 書評
文献史学者が『万葉集』に 注目した。
そこには「我が国の文学史上に屹立=きつりつ する民族の歌集」(397p)とするから。
そのもつ意味を「飛鳥・奈良時代の社会の様相を探ろうとするとき、欠くベからざる文献」と評価する(同)。
阿部猛著『万葉びとの生活』(東京堂書店 1995年)の「あとがき」に記載。
「(『万葉集』は)重要歴史的資料」にして、「歌という形で示された人びとの意思や感情を、私どもは貴重な財産として読み取る」が、「必要」と提起する。
戦後の歴史学の世界で、文献史学者には『万葉集』に「特別な感覚を持っているかもしれない」。そう書き出している。
実際の記載は、「(著者は昭和2年生まれ)私どもの世代は・・・」と書き始めておられる。
そうなのだが、若き日に講義を承った身には、「私どもの世代= 戦後の歴史学の世界で学んだ文献史学者」と読めるのだ。
その著者が永年、「特別な感覚」を寄せたとする『万葉集』の一首。それは。
「今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つわれは」 火長今奉部与曾布
(きょうよりは かえりみなくて おおきみの しこのみたてと いでたつわれは)=かちょういままつりべのよそふ 『万葉集・4373』)。
著書には詠歌の示す飛鳥・奈良の時代と社会が示す貴族・官人、そして防人など無名の民。
その生きた時代と社会を反映する象徴性を、解像・可視化する試みと読める。
通常、以下に解釈されるようだ。
「今日からは家をも身をも顧みすることなく、大君の強い御楯となって、私は出立するのである」。
背景に「防人の歌、大友家持に兵役の心構えを聞かれて詠んだ」と注釈が一般的。「この歌の思想は、長くわが国の軍国主義精神、愛国心として国により推奨された」とする、詠歌の機能も示される。https://ameblo.jp/sakuramitih32/entry-12572130212.html
そこに、昭和戦前期世代に<思い入れさせた>点が込められていよう。
1989年には父親の阿部萬蔵との共編による『枕詞辞典』(高階書店)を出版する。
父君の生涯学習講座に精通した成果の一でもある。