弁財天信仰に出会う空間 「弁天ケ浜」の由緒220507
弁財天信仰に出会う空間 「弁天ケ浜」の由緒220507
  
 洲崎町に在住の佐々木米太郎氏は申した。「(釧路厳島神社が)近く鶴ヶ岱公園地之還座の計画あるに依り敬神の名残りを地名に止むる」と、この名を選んだ。

 市民にとって「弁天ケ浜」は、「弁財天信仰に『自分を見せに行く」&『自分を見てもらいに行く」の地」。弁天ケ浜で「祖父母の母郷土思いを馳せ、愉しむを豊富化する」。
 市民が愉しんでいる姿を見せることで、外来の観光客をして、「在住地の繁栄を祈る」の地点に止揚する。

 昭和8年8月のことである。佐々木は記載。
 「(厳島神社を、市民は)弁天様と呼び明治前より産土鎮守として崇敬し来りしも」と続けた。大正期に主唱された厳島神社の移設計画は、昭和14年に断念された。
 来る歳、<紀元2600年記念を前に、財政事情>が壁となった。すでに整地と前庭の池は完成していた、が。

 佐々木は「字地番改正要旨」に2つの点を書いている。
 【命名理由】旧名鬼呼と称し港外海岸長蛇の蟠れる如き地形にして時としては太平洋の荒浪岩盤を洗って打寄する壮観真に神秘的光景を呈す此北方厳島神社は俗に之を弁天様と呼び明治前より産土鎮守として崇敬し来りしも近く鶴ヶ岱公園地之還座の計画あるに依り敬神の名残りを地名に止むるの意を以て弁天ヶ浜と名付く。
 【此区地名】「オニヨプ」(小川の口詰まりて急に破るの義)と呼び沿岸は採藻に適す。

 永田方正編『北海道蝦夷語地名解』によると「オ・ニ・オプ o・ni・opu」の地は、北海道内に3地点ある。
 1)十勝国十勝郡 「オニオプ oniopu 樹林・多キ・処」(前掲書 328p)
 2)釧路国釧路郡 「オニオプ oniopu 寄木・アル・処。小川の名。槍・アリシ処ト云フハ非ナリ」(同   363p)
 3)釧路国厚岸郡 「オニオプ oniopu 樹林・多キ・処」(同   395p) 
 
 2)の「釧路郡」はのち「釧路市」となった。永田が記載の「小川」に該当する水路は、国土地理院図を参照しても確認できない。しかし、往時は存在したのかも知れない。