7という数字の消息
俗に7.13豪雨と呼ばれていたことを昨日まで知らずにいた。
ウェブで詳細を読み、なぜこれだけの災害を記憶していないのか
そのことに驚いた。

メモを見ると、12日から奈良の実験場に行っている。
36.5℃を連日記録していて、そのさなかに−5℃の冷温実験室で
撮影していた。別班は古河で施工シーンを撮っていた。

このロケの間に、
構法実験場の裏手で数本の電話でのやりとりを経て
想定していたKの降板が決まった。

同じ頃、東山魁夷のシナリオを書き上げ
魁夷夫人の元に凸版GALAの担当者が向かっていた。

2年間、通い詰めた
なつかしいたくさんの場所が今年同様に被災していたことを
どうしてまったく記憶していなかったのか。

「ある秋のクリスマス」というタイトルのプランを
書き上げた直後だった。
書いたのはプラン、構想だけで
構成案にさえなっていない段階だった。

もっとも構成案も台本も最後まで書かれることはなく
撮影のつど、目の前の撮影プランだけを一所懸命に書いていた。

台風が十度、本土を襲い
秋の編集の真っ最中には新潟で大地震。
その記憶はいずれもあざやかに残っているのに
7.13豪雨だけが欠落している。

昼前からの中継を見た。

南会津や只見の
この十年、なんども現場を踏み
撮影してきたなじみ深い土地が
3日で1000mmごえという化け物のような
大雨に埋められ流されていくのを見た。

3月の震災と人災の逃げ場となったはずの
奥会津の村々が水に埋まっていく。

うつくしまという美称を自らに冠した
その、追憶の土地が。

今年2月14日。
雪の夜。
「千年相聞【うつくしま】篇/十六夜」を
DVDにし、県の関係者に手渡した。

そのとき3.11も7.13も
夢想することもなかった。

7月1日新月の夜につなぎ七日七夕に開いた
【日はまた、昇る】seriesの第1弾
7年前の7月に生まれた一本を母胎とする
この新seriesは
こういう年に生まれ変わることになった。