2010 09/10 23:17
Category : 日記
が、すぐ近くにあった。神主は死んでしまい、その息子もいなくなったので祀る人が居なくなったのだ、とご近所の方。色麻町、深いな。
9.11
ワタナベが知らせてくれた由来によると
「<磯良神社の由来>
延暦23年(804)、坂上田村麻呂が常陸国鹿島郡から磯良明神を勧請して祀ったもので、阿度目神・河童明神ともいい、「おかっぱ様」という名前で広く知られています。古くはここから南方にある真山三十郎(大崎氏の家臣)の屋敷の氏神として祀られていましたが、後に現在地に移されたといわれています。
全国でも磯良神社だけと思われる、河童の像を御神体としており、縁結び、子宝に御利益があると言われています。ご神体は60年に一度、開帳されます。また、代々、宮司の名前には河童と名づけられています。
例年7月の第四・土・日曜日に行われる例祭「河童祭り」には遠くからも多くの人が訪れ、河童太鼓や河童踊りが奉納されます。特に前夜祭は夜を徹して賑わいます」
9.12夜
かっばさまだよりで見聞記を書きはじめたら
かなりおもしろくなりそうなので提案書にチェンジ。
百聞は一見に如かず、とはよく言ったもの。
9.11
ワタナベが知らせてくれた由来によると
「<磯良神社の由来>
延暦23年(804)、坂上田村麻呂が常陸国鹿島郡から磯良明神を勧請して祀ったもので、阿度目神・河童明神ともいい、「おかっぱ様」という名前で広く知られています。古くはここから南方にある真山三十郎(大崎氏の家臣)の屋敷の氏神として祀られていましたが、後に現在地に移されたといわれています。
全国でも磯良神社だけと思われる、河童の像を御神体としており、縁結び、子宝に御利益があると言われています。ご神体は60年に一度、開帳されます。また、代々、宮司の名前には河童と名づけられています。
例年7月の第四・土・日曜日に行われる例祭「河童祭り」には遠くからも多くの人が訪れ、河童太鼓や河童踊りが奉納されます。特に前夜祭は夜を徹して賑わいます」
9.12夜
かっばさまだよりで見聞記を書きはじめたら
かなりおもしろくなりそうなので提案書にチェンジ。
百聞は一見に如かず、とはよく言ったもの。