2010 03/27 20:54
Category : 日記
From: 益子自宅
Date: Sat, 27 Mar 2010 20:47:21 +0900
To: 夢工場ml東京WG
Subject: [yumekoujou:02894] 夢の、2つのカタチ
夢の中で小鳥のさえずりを聴いているような一日。
夢テアトルmovie中国語版の仕上げは
そんなふうに過ぎていきました。
15時間爆睡し、目覚めたあとも、まだあの
夢のような中国語の音韻の中にいる気がします。
卓にむかう武田たちの背中を眺めながら
後ろで川田とここ数年の夢工場の来し方を話していました。
「ひとことで言ったら、この映像のタイトルって何?」
と、川田。「ないんだよ」と答えてからしばし考え
「わがまち、かな」と答えました。
そんなことを2005年の暮れから正月にかけて
岡部さんや桑田さんと話したことを思い出し
さっきメーリングリストをチェック。
⤵こんな岡部さん宛のメールが出てきました。
このときはまだサウンドスケープも5.1サラウンドも
頭の中の産物に過ぎなかった、と思うと
ちよっと感傷的に(T_T)
思い描いてきたことがカタチになって
移ろって、壊されて、再生していく…
わが夕日の町は
そういう場所なんだなぁ。
………春なので。ちよっとセンチメンタル(*⌒O⌒*)
++++++4年前、岡部さんに宛てたメール+++++++++
From: 益子自宅
Date: Wed, 18 Jan 2006 00:09:32 +0900
To: 岡部さん
Subject: ありがとうございました
岡部さん
銀座は、それにしても寒かったですね。
おつかれさまでした。
岡部さんのお話を聞きながら、
夢工場の“町”の顔が具体的に浮かんでいました。
北風の強い午後に、ほのぼのとした春を思いながら
プレゼンが楽しみになってきました。
夢は、地に足がついてこそ、意味をもつはず。
家も町も社会もこの星も、
男と女が半数ずつ生きているのだから
サウンドスケープだけではなく
今日お聞かせいただいたような
しなやかな発想で、これからもぼくたちを刺激してください。
「私自身がそこで暮らしてみたくなる町」
という呟きを聞いて、膝打つ思いを強くしました。
体感は「共感」あってこその仕掛けです。
駐車場でクルマから降り、巨大な落水装置を通過した瞬間から
「夢工場」がはじまり。さまざまな体験・体感を通じ
出口を通って巨大な落水装置を通過し駐車場に戻る瞬間まで
来場者を「夢」の世界から解き放さないこと。
そのために夢工場next!という今年のチャレンジがあります。
ひとは二通りの夢を見る。
一つは存在しない空想そのものとしての夢。
もうひとつは、実現することを前提とした夢。
関東夢工場の「夢」は後者です。
すべては明日につながる今日という現実の上に構築される「夢」。
どこまでもリアルで自分の現在の「よき明日」の姿を思い描ける
希望・願望の総称としての「夢」。つまり限りなく現実に近い「夢」。
映像も音の環境も庭木のあり方もさりげなく置かれたベンチも
植えられた花も流れている空気もそこにあるすべてのモノとコトが
かぎりなく「あるべき自らの明日」を想像させること。
どうせ帰るなら、どうせ暮らすなら
こんな家で、こんな町で…
来場者がそう思い、関わったぼくたちもそう感じられる
そういう気配をカタチにできたら…
これがぼくの「夢」。
サラウンドもサウンドスケープも
すべてはそのための手がかりにすぎないと考えています。
「夢」には、しかし正解はひとつではない、とも考えています。
ひとがひとと出会い暮らしやがて家族が増えていくように
夢もまた変化し進化し深化し拡大つづけていくはず。
ひとの暮らしを歳月として受けとめる「家」の集まった「町」の夢は
だからひとつの色ではありえない。
その色を、その変化を、ともに考え探れたら
「実現することを前提とした夢」を生きる、ということになる。はず。
いっしょにたのしんでいきましょう。
ともに夢をみていきましょう。
よろしくお願いします。
なお、参考までに資料を数点添付しておきます。
ご参照ください。
データが重いので複数にわけて出します。
Date: Sat, 27 Mar 2010 20:47:21 +0900
To: 夢工場ml東京WG
Subject: [yumekoujou:02894] 夢の、2つのカタチ
夢の中で小鳥のさえずりを聴いているような一日。
夢テアトルmovie中国語版の仕上げは
そんなふうに過ぎていきました。
15時間爆睡し、目覚めたあとも、まだあの
夢のような中国語の音韻の中にいる気がします。
卓にむかう武田たちの背中を眺めながら
後ろで川田とここ数年の夢工場の来し方を話していました。
「ひとことで言ったら、この映像のタイトルって何?」
と、川田。「ないんだよ」と答えてからしばし考え
「わがまち、かな」と答えました。
そんなことを2005年の暮れから正月にかけて
岡部さんや桑田さんと話したことを思い出し
さっきメーリングリストをチェック。
⤵こんな岡部さん宛のメールが出てきました。
このときはまだサウンドスケープも5.1サラウンドも
頭の中の産物に過ぎなかった、と思うと
ちよっと感傷的に(T_T)
思い描いてきたことがカタチになって
移ろって、壊されて、再生していく…
わが夕日の町は
そういう場所なんだなぁ。
………春なので。ちよっとセンチメンタル(*⌒O⌒*)
++++++4年前、岡部さんに宛てたメール+++++++++
From: 益子自宅
Date: Wed, 18 Jan 2006 00:09:32 +0900
To: 岡部さん
Subject: ありがとうございました
岡部さん
銀座は、それにしても寒かったですね。
おつかれさまでした。
岡部さんのお話を聞きながら、
夢工場の“町”の顔が具体的に浮かんでいました。
北風の強い午後に、ほのぼのとした春を思いながら
プレゼンが楽しみになってきました。
夢は、地に足がついてこそ、意味をもつはず。
家も町も社会もこの星も、
男と女が半数ずつ生きているのだから
サウンドスケープだけではなく
今日お聞かせいただいたような
しなやかな発想で、これからもぼくたちを刺激してください。
「私自身がそこで暮らしてみたくなる町」
という呟きを聞いて、膝打つ思いを強くしました。
体感は「共感」あってこその仕掛けです。
駐車場でクルマから降り、巨大な落水装置を通過した瞬間から
「夢工場」がはじまり。さまざまな体験・体感を通じ
出口を通って巨大な落水装置を通過し駐車場に戻る瞬間まで
来場者を「夢」の世界から解き放さないこと。
そのために夢工場next!という今年のチャレンジがあります。
ひとは二通りの夢を見る。
一つは存在しない空想そのものとしての夢。
もうひとつは、実現することを前提とした夢。
関東夢工場の「夢」は後者です。
すべては明日につながる今日という現実の上に構築される「夢」。
どこまでもリアルで自分の現在の「よき明日」の姿を思い描ける
希望・願望の総称としての「夢」。つまり限りなく現実に近い「夢」。
映像も音の環境も庭木のあり方もさりげなく置かれたベンチも
植えられた花も流れている空気もそこにあるすべてのモノとコトが
かぎりなく「あるべき自らの明日」を想像させること。
どうせ帰るなら、どうせ暮らすなら
こんな家で、こんな町で…
来場者がそう思い、関わったぼくたちもそう感じられる
そういう気配をカタチにできたら…
これがぼくの「夢」。
サラウンドもサウンドスケープも
すべてはそのための手がかりにすぎないと考えています。
「夢」には、しかし正解はひとつではない、とも考えています。
ひとがひとと出会い暮らしやがて家族が増えていくように
夢もまた変化し進化し深化し拡大つづけていくはず。
ひとの暮らしを歳月として受けとめる「家」の集まった「町」の夢は
だからひとつの色ではありえない。
その色を、その変化を、ともに考え探れたら
「実現することを前提とした夢」を生きる、ということになる。はず。
いっしょにたのしんでいきましょう。
ともに夢をみていきましょう。
よろしくお願いします。
なお、参考までに資料を数点添付しておきます。
ご参照ください。
データが重いので複数にわけて出します。