“永遠の宿題”return
『何かが終わっていくのは、さびしいしかなしい。
その哀切を感じる心は、人生歳(とし)を経るほどに増してくる
と考えられるが、じつはぼくはそうでもないのではないか、と思う。
子どもの頃の方が、もっとさびしかったし、もっとかなしかった…(略)』

『子どもはどんどん成長していく。
夏休みが終わって学校へ行くと、先生も、教室の机も、運動場も、
まるで見知らぬもののように小さくなっている。そこは未知の世界だ。
未知の世界に向かって一歩を踏み出すのは恐ろしい。
だから彼らは、いつも世界に向かって緊張している。
これが大人になれば、ひと夏の前も後もそんなに変わりはない。
さびしさやかなしさを忘れ、生きる意味さえも失っていく。
夏休みの終りを考えることは、だからこの人生において、
無くしてはならないものだと思う。
その哀切は、じつは来るべきあしたを創造する力なのだ。
さびしさやかなしさの向こうからこそ、新しい何かが、
生まれてくるのである。それは伝えるべきものの
大切さを学ぶからでもあるだろう』 
       2001.8.28朝日新聞夕刊「永遠の宿題」大林宣彦より