2008 10/16 01:54
Category : 日記
地下に降りる前の習慣でスタジオのスケジュールプレートをふと眺めた。グミの名前が、あった。スタジオで聞いたら、小山が来ていたのだという。一昨日の吐竜のこともあり電話。小山が出た。いつもと変わらない口調で知らされた。一瞬、言葉を失った。ダイジョウブです、という声に、バカ野郎と返すしかなかった。近いうちに会うことを約束し切った。誰にも何も知らされていなかった。そしてみんな、知っていた。知っていておれに何ができたかといえば、なにもない。なにもないが、しかし、知らなかったことが、知らずに過ごしてしまっていたことが口惜しかった。腹立たしかった。誰に向かった怒りでもなく、苛立ちだけが濃くなっていった。会おうと言われ、うんと答えた。おれはなにをしてやれるのか。何年かして笑っていることができるのか。39歳になったと笑っていた。出会ったその日に他人とは思えなかった。弟のように感じていた。近すぎたその気分が、独立してからすぐに訪ねればよかったのに、またいつかと時間だけが過ぎていた。なんでもいい何か一本、はなむけに手伝うつもりだった。HD900の2回目の自主撮影をしたのは2002年だったか翌年だったか。吐竜の滝。小淵沢の里。アフガンのカレー。買い出しに行った元気甲斐弁当。きらめくような谷川の水しぶきのもとで食べた小山たちとの昼飯。あのときの素材を使おうと思う。まっとうにジャパネスクの仕事として解禁したいと、痛切に思う。ずいぶん見ていない小山の笑顔が、今夜はずっと浮かんだままだ。南天に、十七夜。しばらく見上げていたら首が痛くなった。いつか小山と湯治部で月を撮ってみたい。夜にはその撮りたての月を愛でながら、旨酒を酌み交わしてみたい。できることならこの命、換えてやりたいと、今夜は思う。バカやろの小山を抱きしめてやりたいと、しみじみ思う。おれはあいつと会えるのだろうか。あいつが会社を立ち上げたときにムリにでも一緒になってやればよかった。こうすれば、という無数のifが止むことがない。知りたくはなし。知るほかはなし。
2002.8.6のwebメモから
2002 08/06 20:26
温泉で汗を流した湯治部を待っていた
ジャパネスク暮色、ここにあり。
音楽は菱沼コレクションより
渥美清《遠くへ行きたい》を借用
撮影日時は2002年8月5日午後5時-午後6時30分
カメラ■SONY DHD-F900
カメラマン■倉持正美
VE■長岡茂樹
CA■有本竜
ストリップ版編集■渡辺登紀夫
なおストリップ版はHD収録素材をDVCにコンバート
DVCを素材としMacG4/Final Cut Pro3で編集
記念すべきスタートとなる第一回目のロケには
小山 欣紹 が参加したことを付け加えておく。
小山は我が同胞である。7年の歳月の後に
共に歩めることになったことをあらためて悦びたい。
再会と出発は、吐竜の身を切るように冷たい
谷川の水に沈めた缶ビールと
小淵沢駅まで買い出しに行った元気甲斐弁当で祝った。
佳きかな。佳きかな
2002.8.6のwebメモから
2002 08/06 20:26
温泉で汗を流した湯治部を待っていた
ジャパネスク暮色、ここにあり。
音楽は菱沼コレクションより
渥美清《遠くへ行きたい》を借用
撮影日時は2002年8月5日午後5時-午後6時30分
カメラ■SONY DHD-F900
カメラマン■倉持正美
VE■長岡茂樹
CA■有本竜
ストリップ版編集■渡辺登紀夫
なおストリップ版はHD収録素材をDVCにコンバート
DVCを素材としMacG4/Final Cut Pro3で編集
記念すべきスタートとなる第一回目のロケには
小山 欣紹 が参加したことを付け加えておく。
小山は我が同胞である。7年の歳月の後に
共に歩めることになったことをあらためて悦びたい。
再会と出発は、吐竜の身を切るように冷たい
谷川の水に沈めた缶ビールと
小淵沢駅まで買い出しに行った元気甲斐弁当で祝った。
佳きかな。佳きかな