信。不信
ま、おれの実行能力が信頼されていない、ということなのだろう。あるいは、そろそろ身を引いて欲しいというシグナルでもあるのか。マキノ雅弘の70年前後の仁侠ものを二本続けてみた。藤純子も高倉健も若く凛々しく気高くて、こんなものがプログラムピクチャーであったことが信じられない。かくあるべし、というテーゼが生きていた時代は、ヤクザ映画ですら香しさがある。あたりまえとも、不思議とも思う。

それにしても、なんともスジの悪い話ばかりで、あそこはもう終わりにするしか術がない。そういう思いが深くなるばかりだ。