感傷こそ、春。
福島県南会津舘岩村2005年12月25日。
吹雪と吹雪の間に一日だけ晴れあがったその朝
雪だるまづくりに向かった照明、美術チームと別に
宿で待機していた渡辺と倉持さんたちが、
陽光に誘われ水引に向かった。
そのときおれは寝坊しゆっくりと朝飯を食い
朝風呂につかっていたのだ。

末廣の玄関でパルと並んで満面に笑みを浮かべた彼らを迎え
あれもこれも大成功だなと、
笑いが止まらなかったことを、よく覚えている。

その日の午前中の素材を2本にまとめる。
さらに勢いあまって、5年前の館岩の朝の光だけで1本。
30タイトル目になったこともあり、
福島さんの絶叫をあててみた。
再生しながら、涙が止まらなくなった。

賢明さんと小石川の編集室で
これいけるね、と肩たたきあいながら
千倉の夕日に絶叫をあてた。
8ヶ月後に、実現したのが“光の日本”。
エピローグの約7分に、そのときの興奮が生きた。

あくる春のさかりに賢明さんは去った。
それ以来、消息は知れないままだ。

「天然の日本」4本がすべてでき上がった早春
「もうおまえはダイジョウブだよ」
と寂しく笑いかけられたことが忘れられない。

遅かれ早かれ
彼は消えようとしていたのだと
数ヶ月して思い知らされることになる。

どこでどう生きているのか。
十代の過激派時代の頃のように
あの笑顔が消えていなければいい。
どうあろうとぶじで元気でいてくれたら
生きていてくれたら、
なにも言うことはない。

あれもこれもぜんぶまとめて
福島さんの一首を添えた。

 何も願わず何も望まずわれと我が貧しき夢と君のほかには

四月一日から二十八日までで
27タイトルを荒編集。
倉持さん、鈴木さん、長岡君と撮りだめた世界は
5年の時間経過にもかかわらず、
まったく揺るぎのない視線で貫かれていることに
あらためて驚かされた。
レガシイ“風と走る”東北ロケからはじまった
野の花と温泉三昧の湯治部の本領発揮だなと、
しみじみ実感もさせられた。

つなぎながら、
賢明を失ったけど
おれはいい出会いもしているのだと、
あらためて納得。

過激から星やスミレの世界に。
星もスミレも、
また荒ぶる世界ではありますが…
ま、いいじゃねえか。


春宵、まさしく値千金なり。
去来する思い、降る花のごとし、ではある。ね(゜〇゜;)



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