DJ4タイトル目は“風の息”
使えそうもないなと思っていた素材が、思いがけない力感のある世界となって甦った。正直、撮影中にモニターを見ながら、これはムリだなと思い、スタッフにもそう伝えたた古河の豚カツ屋・勝太郎駐車場裏の草地の映像。時間勝負のスタジオに持ち込んでいたら、まちがいなく没にしていた。一昔前のリニアでの荒編だったら、絶対にありえなかった。時間を好きなときに好きなだけ消費できたこと、プロ用ではなくアマチュア用と見なされているアプリケーションが予想をはるかに越え素晴らしい使いがってを備えていたこと。使ったのはバージョンアップしたばかりのiMovie6。PCはデスクトップがpowerMacG4とノートがpowerbookG4いずれも数世代前のマックにすぎない。この段階では当然のことながら手前みそではあるが、到達しようとしている内容に、目をみひらく思いが強い。刺激してくるのだ。刺さってくるのだ。素材の充実が、なによりの根拠ではあるのだが、プロとアマチュアのボーダーなど、もうどこにも存在していないのだと実感させられている。進化の袋小路で針千本状態となってしまった毒魚・フグの姿が、あちこちに散見しはじめた馴れきったスタッフたちのうす笑いに重なっていく。満を持したというつもりはない。ただ、状況が整わなかったことに尽きるのだ。この数日、とりかかってしまって以後、新宿はおろか古河すらも刻々と遠くなっていく。誰がどんな家族構成になろうと、どんな暮らしぶりを演じてくれようと、もうどうでもいいよ、と思いはじめている自分がいる。どうでもいいのだ。あそこには、おれがいない。どんなにごまかそうと、いられるはずもないのだ。そういうことが1本仕上げるごとにあからさまになっていく。手がけなかった、手がけられなかった、ほんとうのわけは、このあたりだったのかもしれない。いずれにせよ、“風”に指を触れてしまった。“風の息”に、頬をなぜられ、まどろみから目覚めさせられてしまった。そういう思いが強い。仮あてに菊地さんの“光の日本”に使った“子らの丘”を。風の子が笛の音に合わせかろやかに踊っているような、そんな世界をつくれたと思う。うれしい。