メモ/生命樹関連
「ゆらぎの話」 安藤栄作

みなさんの心は、ゆらいでいますか。

彫刻を続けて見えてきたことがある。
命の輝きのライン、ゆらぎだ。

古今東西を問わず、
素晴らしい彫刻は皆、生命感に満ちている。
彫刻が工業製品やオブジェと明らかに違うのは、
それが生き生きと、そして、みずみずしい点だ。
いい彫刻は外側でなく内側を作っている。

大地の形が地球内部のエネルギーの現れであるように、
彫刻の形もその内側のエネルギーを
見続けた結果現れた形だ。
それがなければ彫刻は魂を失ったのと同じだ。

その内部のエネルギーは、
ただポンとあるのではない。
それはゆったりとゆらいで流れている。
一見ストンと立っている彫刻でも、
いい彫刻であれば必ずこのゆらぎを宿している。

この宇宙が生まれる時、
無の中に唯一あったのが、ゆらぎだという。
ビッグバンの後、
ゆらぎはこの宇宙すべてのものの中に
スピリットとなって受け継がれている。

空間の一番近い距離を走る稲妻でさえ、
大きくゆらいだラインを描く。
大地の低い所を選んで流れる河川は
山奥の水源から海に出るまでに、
とても美しいゆらいだラインを引く。
大地の形を変えることなく、
歩きやすい所、安全な所を通ることで
自然にできた昔の街道は、
うねうねとゆらいでいて心がほっとする。
山脈の稜線や空に伸びる樹木にも
心地よいゆらぎのラインがある。

みなさんの手を眺めてほしい。
そこには、あの稲妻や河川と同じゆらぎのラインが
血管や神経となって走っている。

私たちの体は、夜空に横たわる、あの天の川と同じように、
宇宙の始まりのゆらぎのスピリットで満ちている。
それは命がキラキラと輝いている証なのだ。
そして野山が風でゆれるように、
私たちの心も絶え間なくゆらいでいていいのだ。
それは心がキラキラと輝いている証なのだから。
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◎「光の子」 安藤栄作

私たちはいったい何をやっているのだろう。
光のようにこの世に生まれてきて、
「さあ思いっきり世界を愛しなさい」と神様から、
きれいな水と空気と太陽の光を与えられて、
歩み始めたはずなのに、
水は飲めなくしてしまい、
空気は汚してしまい、
空には巨大な穴まであけて、
体に悪い光を浴びて、
揚げ句の果ては人の上に爆弾をバラバラばらまいて、
人の歩く道に爆発物を無数に埋めて。
本当にこんなことをしようと思って
生まれてきたのだろうか。

雨上がりの朝に、
水蒸気と水滴で光輝く草原を見た時の
胸の震えを忘れないでほしい。
突然吹いてきた風に洗われて悩みが体からはがれていく
あの心地よさを忘れないでほしい。
夕日を受けて輝くあなたのその頬が
世界にやすらぎと、ときめきを与えていることを
忘れないでほしい。

この手は
土をほじくって地雷を埋めるために
与えられたのではないし、
人の上に爆弾をまくために与えられたのでもない。
この口は人をののしるために与えられたのでもなければ、
食べきれないほどの食物をガツガツむさぼるために
与えられたものでもない。
この心は人をさげすんだり、
出し抜くために与えられたのではない。

自分は自分以外の世界のすべてのためにある。
この宇宙が生まれた時、その創造のスピリットは
すべての空間や物質の内に受け継がれている。
宇宙の一部でもある私たち一人ひとりの中にも
それは宿っている。
世界をいとおしいと思い、祝福することは
自分自身をいとおしみ祝福していることなのだ。
すべては宇宙の一部であり一体だ。
一つの命を抹殺することは宇宙を抹殺することなのだ。
それを見聞きして私たちの魂が沈むのは
私たちの内にある宇宙の創造のスピリットに
逆行するからだ。

その手も口も心も世界を愛するために与えられた道具だ。
互いの魂を救いあったり、
風や光の中にあるスピリットが
自分の中にもあることを感じること。
世界を思いっきり愛すること。
私は宗教家でもなんでもない。
ただ山の中で地球を回って吹く風にあたって、
宇宙を旅してやって来た光をあびながら
彫刻を彫っていると、どうしてもそう思えるのだ。