メモ
松岡正剛「花鳥風月の科学」中央公論社より抜粋

この本は花鳥風月を中心とした日本文化のなかの重要な十のテーマをとりあげ、それをいろいろな角度から照明をあててみようというものです。
それとともに、日本文化のなかのいくつかのイメージの起源と変遷を探り、そのイメージが分母と分子に分かれていく多様なプロセスを追いかける目的をもっています。また、花鳥風月にちなんだ科学的なイメージのアリバイについても、多少の応援団を繰り出します。
なぜこのようなことを試みるかというと、われわれ自身が日本の歴史文化がつくってきたイメージの発生現場がわからなくなっているように思われるからです。また、その使い方がわからない。そこで多少の筋道をつけてみたい。それが第一の理由です。
第二には、日本について、われわれは適切な言葉で説明する勇気を失ってしまっている。とくに海外に向けて卑屈になりすぎたり、居丈高になりすぎている。これは日本文化の特色を説明できるグローバルで鮮明な論理が極度に不足しているためだと思われます。
一方でグローバルなイメージが氾濫し、他方ではローカルなイメージが不足する。むろん、その逆のこともある。この調整はなんとも難儀なことなのですが、何かひとつながりの手がかりがあれば試みられないこと出もないような気がします。私は、その手がかりを「花鳥風月」という、いかにも日本的で一般的な言葉に求めてみたのです。


花鳥風月とは日本人のコミュニケーション様式のためのソフトプログラム、あるいはユーザーインターフェイスだったのではないか。いったい何のための花鳥風月のコミュニケーションで、何をあらわす花鳥風月のソフトウェアかというと、たいていは人々が「景気」を盛りあうためでした。
しかし、昨今は、「景気」という言葉がもっぱら経済用語としてしか通用しなくなっている。もともと景気という概念は山水画などでもつかわれていた用語です。
景気は自然や世間のうねりにも日々の生き方にも見え隠れしていた動詞であって、それを丹念に掬ってみるとき、花鳥風月のしくみが有効なプログラムとしてつかわれてきたわけでした。どうしたら景気を感じられるのか、それを工夫することが花鳥風月を重視する本質だったのです。

日本の社会制度や風俗文化あるいは言葉づかいに、海外の要素がどのように混入しているかという研究もむろん大事です。しかし、万葉集の言葉づかいに大陸半島からの影響を指摘できたとしても、それだけでは万葉社会文化の意味の説明にはならないように、海外要素指摘主義というのも、どうもしっくりしない。だいたい日本のみならず、どんな国の社会文化だって海外からの文物導入と影響をうまく生かしてきたのです。
観音菩薩は古代ペルシャの、万葉集は古代朝鮮「郷歌」の、初期修道院のしくみは東ゴート王国の、千夜一夜物語はインドの「パンチャタントラ」の、株式会社の前身コンパニアはイスラム経済システムの、マイセンの陶器は中国や九州の、新聞連載小説はトルコの、ピカソのキュビズムはアフリカの、アメリカの百貨店にティールームができたのは東京の百貨店の、それぞれ文化混入によって成立したのです。ゲーテにとってのドイツは、それ以前のプチ・フランス主義からの脱却を師のヘルダーや友のシラーとともに成しとげることでした。
そんなぐあいだから、いちいちお里を調べあうだけでは社会文化の本質は見えてはきません。とくに日本はコードを輸入してモードに編集するのがたくみな歴史をもってきたので、日本の問題はおおむね「氏より育ち」にあります。日本はいま国際的にさまざまな《問われる時代》というものを迎えていますが、それは必ずしも「氏=コード」が問われているのではなく、「育ち=モード」が問われているのです。