資料メモ0110
■東山魁夷
(1908―99)日本画家。明治41年7月8日横浜に生まれる。本名新吉。1931年(昭和6)東京美術学校(東京芸大の前身)を卒業して研究科に進み、33年から35年までドイツに留学。47年(昭和22)の第3回日展で『残照』が特選。50年から審査員となり、第11回日展出品作『光昏(こうこん)』で56年に日本芸術院賞を受ける。65年には日本芸術院会員、日展理事となり、69年に文化勲章を受章。74年に日展理事長となった。この間、60年に東宮御所壁画『日月四季図』、68年には皇居新宮殿壁画『朝明けの潮(うしお)』を完成させ、翌年毎日芸術大賞を受ける。また73年から唐招提寺御影(とうしょうだいじみえい)堂障壁画の制作に携わり、81年にこれを完成させた。87年に所蔵していた自作を長野県に寄贈。90年(平成2)には、同県にそれらを所蔵した長野県信濃美術館・東山魁夷館が開館した。文章をよくし、『わが遍歴の山河』『風景との対話』など著書多数がある。平成11年5月6日死去。


■いわ‐えのぐ【岩絵の具】(いはヱのグ)
天然の鉱物を細粉にし、精製、乾燥させた絵の具。非水溶性。群青(ぐんじょう)類と緑青(ろくしょう)類の二系統がある。東洋画に用いる。近年、人工のものもある。


■ぐんじょう‐いろ【群青色】(グンジャウ‥)
群青1のようにあざやかで美しい藍青色。ぐんじょう。


■ろく‐しょう【緑青】(‥シャウ)
銅に生じる緑色のさびの総称。塩基性酢酸銅、塩基性炭酸銅、塩基性硫酸銅などが知られている。毒性はほとんどないことがわかった。緑色の顔料としても用いる。また、その色。




■にほん‐が【日本画】(‥グヮ)
わが国で発達した絵画。絹・紙に毛筆で描き、絵の具は多く岩絵の具を用い、独特の技法・形式・様式をもつ。特に、油絵や水彩画などの洋画に対して明治以後のものをいう場合が多い。

■とうきょう‐びじゅつがっこう【東京美術学校】(トウキャウビジュツガクカウ)
東京芸術大学美術学部の前身。明治一八年文部省に図画取調掛として発足。同二〇年改組して東京美術学校となる。

■日本画
日本の伝統的な絵画。日本画の名称が確立するのは明治10年代(19世紀末)で、西洋画=油絵に対する語として生まれ、伝統的な日本の絵画を流派・様式の区別なしに、一括して「日本画」と呼称するようになった。したがって、今日日本画とよばれている絵画領域には、広義には大和(やまと)絵(やまと絵、倭絵)、唐絵(からえ)、水墨画、南画、洋風画をはじめ、浮世絵などの風俗画まですべてを含むことになるが、狭義には、大和絵と唐絵の交流によって生まれた狩野(かのう)派や、江戸時代中期以降に発展した円山(まるやま)派、さらに明治以降流行した大和絵風な平面的で装飾的な絵画をさす。
 平安時代に中国から伝わったいわゆる唐絵は、日本の自然風土に適合した絵画表現となり、線の引き方、色の配合などに日本人の感覚を生かした繊細優美な画法が案出され、冊子(さつし)や絵巻物を彩った。これを大和絵という。鎌倉・室町時代に大陸から伝わった水墨画は、桃山時代に障屏(しようへい)画の大作となって発展した。これに大和絵の手法を取り入れて、金箔(きんぱく)や金泥(きんでい)をふんだんに使った濃絵(だみえ)の手法で、寺院や書院造のふすまを飾ったのが狩野永徳(えいとく)らの桃山の金碧(きんぺき)障屏画である。大和絵はそうした大作のほか、細密描写や風俗表現の面でいかんなく本領を発揮したが、このような大和絵のもつ装飾性も、日本画の伝統的な特色の一つにあげられる。江戸時代、狩野派は幕府の御用絵師として勢力を振るったが、江戸中期になって円山応挙(おうきよ)は西洋の透視画法と日本の大和絵の装飾的な表現を融合させて新しい様式を生み出した。この円山派の画風は、今日の京都画壇に伝えられている。
 明治以後は、岡倉天心(てんしん)が唱えた伝統的な日本絵画の再発見と認識のうえにたって、横山大観(たいかん)らが新しい日本画を打ち立てた。その中心発表機関となったのが、日本美術院(天心没後再興の日本美術院)による「院展」で、今日では「日展」と「創画会」とともに日本画三大勢力を形成している。今日の日本画は洋画と接近し、発想から表現までほとんど洋画と異ならず、絵の具を油絵のように厚塗りにする作家も出て、ただ材料と画家の出身によってのみ区別される傾向にある。→唐絵 →大和絵 →南画 →洋風画 →浮世絵 →障屏画
 日本画の絵の具は鉱物質の顔料が主で、天然の岩を砕いて粉末にした岩絵の具(群青(ぐんじよう)、緑青(ろくしよう)など)、金属粉末などの泥絵の具(黄土(おうど)、朱、丹(たん)、金銀泥など)、水に溶ける水絵の具(代赭(たいしや)、藍(あい)、臙脂(えんじ)など)の3種があり、金銀箔なども併用され、紙または絹に描かれる。その際、まえもって礬水(どうさ)(明礬(みようばん)を溶かした水に膠(にかわ)を混ぜたもの)をひき、絵の具や墨のにじみを防ぐ必要がある。技法的にも、線を引く運筆技法、色彩のぼかしの技法など、日本画独自の伝統があり、油絵技法と比べて、すぐにだれにでもできるというものではなく、かなりの修練を必要とする。
 また、旧来の日本画は軸装、屏風(びようぶ)仕立て、和額、巻物などの形が主であったが、今日では洋画と同じ額装による発表が多い。これも家屋の洋風化と、日本画が屋内の個人鑑賞から展覧会による会場芸術へと変貌(へんぼう)しつつある証左であろう。→日本美術〈中村溪男〉

■日本美術
日本美術は、先史時代から歴史時代に入って中国や朝鮮の美術を吸収し、その動向を反映しながら、独自の美の世界を展開・創造してきた。これは、日本人のもつ優れた美的感覚と、恵まれた自然環境に負うところが大きい。近世以降、海外から、限られた分野ではあるが、日本美術に関心が寄せられてきたが、いまや世界のなかで日本美術の全体像をとらえようとする動きがあり、その特質および位置づけについて深い理解がなされるようになった。こうした広い視点にたって日本美術をとらえることは今後の重要な課題となろうが、ここでは、日本美術の古代から現代に至る流れを概観し、その展開の軌跡を、彫刻、絵画、工芸などに重点を置いて述べる。
なお、「書」「陶芸」「染織」「庭園」「日本建築」「神社建築」「仏教建築」「日本刀」「仏像」「仏画」などについては、それぞれの項目に詳述してある。
■先史時代■
縄文時代、人々は竪穴(たてあな)住居に住み、生活用具としての土器、呪術(じゅじゅつ)用とみられる土面や土偶を制作した。土偶の多くは女性をかたどったもので、これらのきわめて原始的な彫刻のなかに造形感覚の萌芽(ほうが)をみることができる。
 紀元前400年ころから弥生(やよい)時代に移るが、このころから大陸文化の影響が、初めは緩慢に、しだいに急速に全国に広まっていった。大陸から稲作が伝わり、農耕を中心とした生活が営まれるようになり、土器には縄文的な粗豪性や生命力の強さという特色が失われ、穏やかな造形へと変容を遂げていく。
 北九州に大陸から青銅器、鉄器などが伝わると、わが国でも銅剣、銅矛(どうぼこ)、銅鏡などが模作されたが、わが国独特の銅鐸(どうたく)もつくられた。銅鐸は出土品から推して近畿地方を中心につくられたと思われるが、用途はさだかではない。しかし、袈裟襷(けさだすき)文や流水文、トンボ・亀(かめ)・水鳥などの小動物、狩猟や舞踊などの人物の絵画的表現は、弥生時代の鋳造技術の水準の高さを示している。
 古墳時代、一般人はまだ竪穴住居が多かったが、支配者層は高床式住居で、切妻や入母屋(いりもや)などの屋根に鰹木(かつおぎ)をのせたものが権威の象徴とされた。今日まで古式を伝える伊勢(いせ)神宮、出雲(いずも)大社などの神社建築は、こうした古墳時代の建築様式を今日に伝えるものである。また、古墳の副葬品として、粘土を輪積みにした素焼の彫刻や埴輪(はにわ)がつくられた。埴輪には家屋や生活用具、人物、動物などがあるが、いずれも素朴な表現ながら対象の特徴をよくとらえており、文献の乏しい当時の生活を伝える貴重な資料である。また九州地方の装飾古墳の原始的絵画に、大陸壁画の影響がうかがえる。
 古墳時代に目覚ましい発展をみせたのは金属工芸品で、武器、武具、装身具などに彫金の技法がみられるようになる。竜、双鳳、唐草(からくさ)文、パルメット文など外来の模様が、透(すかし)彫りや毛彫りで施されている。金銀を他の金属地にはめ込む象眼(ぞうがん)の技法や、鍍金(めっき)の技術も進み、古墳時代には金工の基本的な技術はほとんど日本に定着したと考えられる。→銅鐸 →埴輪 →装飾古墳
■飛鳥・白鳳時代■
美術史では広義の飛鳥(あすか)時代を二つに分けて、仏教公伝から大化改新(645)までを飛鳥時代、それ以後平城遷都の710年(和銅3)までを白鳳(はくほう)時代という。仏教伝来によって経典とともに易学、暦、医学の博士(はかせ)たち、僧、造仏工、造寺工、瓦(かわら)工、画工らが百済(くだら)から献上され、聖徳太子という偉大な指導者の出現で、仏教美術は6世紀から7世紀にかけて飛躍的な発展を遂げるが、その際、これら技術者が果たした役割は大きい。
■奈良時代■
美術史では天平(てんぴょう)時代ともいい、710年(和銅3)の平城京遷都から794年(延暦13)の平安遷都までの約80年間をいう。この時代は律令(りつりょう)制度が確立し、官僚機構が整備された。とくに聖武(しょうむ)天皇の天平期(729〜749)には遣唐使によって盛唐の文化が伝えられ、これを受けて日本の風土に根づいた美術があらゆる分野で大輪の花を咲かせた。752年(天平勝宝4)の東大寺の大仏開眼はまさにこの時代の象徴といえよう。
■平安時代■
平安遷都(794)から平家滅亡(1185)まで約400年にわたる貴族文化の時代である。
この時期、空海が中国からもたらした真言(しんごん)密教、最澄(さいちょう)の天台密教は、仏教界のみならず美術の分野にも大きな波紋を投げかけ、遣唐使の廃止によって大陸からの文化移入がとだえると、それまで蓄積されたエネルギーによって自力で独自の文化を形成し、王朝文化の花を咲かせた。しかし、1180年(治承4)の南都の火災は豪華優艶(ゆうえん)な貴族文化を葬り、それはまた古代の終焉(しゅうえん)を告げるものでもあった。
■鎌倉・室町時代■
鎌倉の美術は、治承(じしょう)の兵火(1180)によって焼失した南都東大寺と興福寺の復興事業から始まった。その際、範とされたのは前代の藤原期のものではなく、飛鳥・天平の古典美術であった。このような、いわば一種のルネサンス現象は、建築・彫刻の分野でもっともよくみられる。宋(そう)代の文化、ことに禅宗は精神面でも大きな刺激となり、室町時代を通じて絵画・書跡に大きな影響を及ぼした。さらに鎌倉時代に生まれた浄土真宗、時宗、日蓮(にちれん)宗などの新仏教が人々に及ぼした新興の気運は、美術の面にも反映してくる。
 続く室町時代には、応仁(おうにん)の乱(1467〜77)によって文化面にも大きな変革がもたらされ、美術面でもその前と後では著しい相違がみられる。京都五山・鎌倉五山を中心に栄えた禅宗美術は、応仁の乱によって中国風は一挙に葬り去られ、日本古来の伝統を生かした新しい美術が台頭する。その際、絵画における雪舟や雪村のように、京都から離れた諸地方で美術活動が行われるようになったこと、前代まで一部支配者のためのものであった美術がしだいに階層の幅を広げたこと、そして、次代の近世文化勃興(ぼっこう)の基礎がそれによって築かれていったことが特筆されよう。
■桃山時代■
一般史では安土(あづち)桃山時代として、織田信長が足利義昭(よしあき)を擁して岐阜から上洛(じょうらく)した1568年(永禄11)から、江戸幕府開設の1603年(慶長8)をさすが、美術史では桃山様式が華やかな展開を示した慶長(けいちょう)・元和(げんな)(1596〜1624)を含め、寛永(かんえい)末年(1644)ごろまでを桃山時代とする場合が多く、ここでもこれに従う。期間にしてわずか70余年であるが、日本美術史を通じて、支配階級のみならず庶民のエネルギーが一つの方向をもち始めた時期として注目される。建築では、それまでの社寺建築にかわって、武将が自己の権威を誇示するために築いた城郭建築が中心で、これに伴い武将の住居としての書院造が生み出された。その一方で、草庵(そうあん)風茶室の小空間に静寂の境地が求められ、軽妙な数寄屋(すきや)建築もつくられた。豪華と佗(わ)びと、この一見相反する傾向は、桃山文化のみならず、近世以後の日本美術の両面性の本質を示すものである。→城
 天正(てんしょう)から慶長にかけて豊臣秀頼(とよとみひでより)による方広寺大仏、東寺諸仏の修理造立が相次ぎ、江戸初期では江戸幕府が諸大名に命じて、日光輪王(りんのう)寺、江戸寛永(かんえい)寺の建立があった。
そして、これらの造仏には伝統仏所の仏師たちが働いたが、鎌倉期初頭にみたようなエネルギーはついによみがえることなく、いたずらに前期の仏像を模するだけの職人芸に終わり、彫刻の不振は江戸時代も続いた。
■江戸時代■
美術史では、寛永(かんえい)(1624〜44)末年以降、明治維新(1868)までを扱う。
17世紀後半まで、美術は桃山文化の余光のなかにあったが、元禄(げんろく)期(1688〜1704)になると、文化の担い手は支配階級から、富力を蓄えた上方(かみがた)や江戸の町人階級に移っていく。鎖国によって西洋への門は閉ざされていたが、明・清(しん)の絵画・工芸・書などがもてはやされ、南画や漢詩の一大隆盛をみた。江戸時代の美術は時代を反映して大衆化に特徴があり、それによって培われた庶民のエネルギーが、明治の近代化を促進する要因となったといえる。
 彫刻は前代よりさらに衰退したが、いわば専門の彫刻家でない、異端に属する遊行(ゆぎょう)僧の円空(えんくう)や木喰(もくじき)の作品が、近年になって全国から次々と発見され、現代人の関心をよんでいる。また幕末から明治にかけて牙彫(げちょう)(根付(ねつけ)など)が盛んになり、宗教的主題を離れた愛玩(あいがん)用具に細密な技術を振るった。
 しかし、建築では桂(かつら)離宮と修学院(しゅがくいん)離宮という、庭園と建築が一つに溶け合った日本美の一典型をつくりだし、これと対照的な日光東照宮のような華麗な霊廟(れいびょう)建築も行われ、今日に残るものが多い。→桂離宮 →修学院離宮 →日光東照宮
■絵画■ 仏画にはほとんどみるべきものがなく、江戸の絵画作品はやまと絵、南画、風俗画に集中している。桃山時代に永徳や山楽によってその基礎を形成した狩野派は、探幽(たんゆう)が出て水墨画の瀟洒(しょうしゃ)な新様式をたてたが、やがて江戸幕府の御用絵師の地位に安住して作風は形式化し、土佐派も宮廷の画所預(えどころあずかり)の地位にあってやまと絵の古様をなぞるのみで、新風はおこらなかった。むしろ傍流の久隅守景(くすみもりかげ)や英一蝶(はなぶさいっちょう)が個性的な画風を確立した。
 狩野派、土佐派の伝統を取り入れ、独自の画風を打ち立てたのは在野の画家たちである。俵屋宗達(たわらやそうたつ)は桃山期から活動を始め、金銀泥絵(でいえ)、色紙、扇面などの大胆な画面構成と明快な色彩で、代表作の舞楽図や風神雷神図屏風にみるような独自の絵画世界をつくりあげた。ついで近世絵画に新しい展開をもたらしたのは尾形光琳(こうりん)で、京都の呉服商生まれの彼は染織によって培われた意匠感覚で、宗達とはまた異なる装飾的な絵画世界に到達した。燕子花(かきつばた)図屏風、紅白梅図屏風は彼の代表作であると同時に江戸絵画の傑作である。光琳の弟に陶芸家の尾形乾山(けんざん)がいる。
 次に絵入版本の作者として登場したのが、浮世絵の祖といわれる菱川師宣(ひしかわもろのぶ)である。浮世絵は肉筆のほか、彫師、摺師の協力を得て開発された多色摺によって、飛躍的に豊かな表現力をもつようになった。
錦絵(にしきえ)を創案した鈴木春信(はるのぶ)、天明(てんめい)期(1781〜89)の鳥居清長(きよなが)、美人大首絵(おおくびえ)という新様式を編み出した喜多川歌麿(きたがわうたまろ)、クローズ・アップによる特異な役者絵を描いた東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)、風景画で世界的な葛飾北斎(かつしかほくさい)や歌川広重(ひろしげ)ほか多くの浮世絵画家が輩出し、江戸美術に大きなウェイトを占める。
 江戸幕府が文治政策の基本とした儒学の興隆にしたがって誕生したのが南画である。中国南宗画(なんしゅうが)の様式と文人画の理念をあわせて取り入れ、日本独特の発展を遂げた。池大雅(いけのたいが)、与謝蕪村(よさぶそん)はその代表的画家である。南画が写意的であるとすれば写生に徹したのは円山応挙(まるやまおうきょ)で、多くの弟子を育成して円山派を創始した。
 1720年(享保5)8代将軍徳川吉宗(よしむね)がキリスト教以外の洋書を解禁すると、宗教色のない洋風画にふたたび関心が高まり、平賀源内(ひらがげんない)の指導で秋田藩に和洋折衷の秋田蘭画(らんが)がおこった。
この影響を受けて司馬江漢(しばこうかん)はわが国最初の銅版画を制作している。亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)は銅版画では江漢をしのぎ、江戸名所を描くとともに、油彩の大作、浅間山真景図屏風を残している。
 このほか18世紀後半から19世紀初頭の異色ある画家に、伊藤若冲(じゃくちゅう)、曽我蕭白(そがしょうはく)、浦上玉堂(うらかみぎょくどう)、青木木米(もくべい)、田能村竹田(たのむらちくでん)らがいる。谷文晁(ぶんちょう)はいわゆる烏(からす)文晁様式を打ち立て、文晁の弟子のなかでもっとも傑出した渡辺崋山(かざん)は洋画の手法を取り入れて、鷹見泉石(たかみせんせき)像のような優れた肖像画を残した。
 1815年(文化12)酒井抱一(さかいほういつ)は光琳百年忌を営み、光琳様式の復興を目ざした。夏秋草図屏風は抱一の繊細な叙情性をよく表している。→狩野派 →土佐派 →琳派 →南画 →浮世絵 →秋田蘭画
■明治以降現代まで■
明治以降の日本美術の展開は、社会一般の近代化とほぼ軌を一にしている。明治政府は産業振興のためにしばしば博覧会を開き、美術コンクールとその展示を行った。また、世界の博覧会に伝統的な工芸美術を積極的に出品し、世界にその存在を知らせるとともに、輸出への活路をみいだそうと努めた。こうした動きはやがて美術界に対する干渉と官展の創設につながり、これに反発して在野の美術団体が結成された。大正以後は、伝統美術の継承と新美術の成立という二つの流れが拮抗(きっこう)しながら展開していく。第二次世界大戦の暗黒時代を経て、現代では伝統の今日的認識と、世界的視点にたった日本美術のあり方が求められている。
■絵画■ 明治初期来日したお雇い外国人教師フェノロサは、日本の伝統美術に魅せられて日本古来の絵画を礼賛し、これに呼応して狩野芳崖(ほうがい)は『悲母観音』(1888)によってやまと絵の命脈を示した。芳崖亡きあと、フェノロサの思想は岡倉天心によって推進され、1889年(明治22)東京美術学校が開校されると、天心の周辺には新しい日本画を目ざす横山大観(たいかん)、菱田春草(ひしだしゅんそう)、下村観山(しもむらかんざん)らが集まり、それは次の世代の今村紫紅(しこう)、速水御舟(はやみぎょしゅう)、安田靫彦(ゆきひこ)、小林古径(こけい)、前田青邨(せいそん)らに引き継がれていった。一方、長い伝統のうえにたつ京都の日本画壇は竹内栖鳳(せいほう)を中心に近代化が進められ、上村松園(うえむらしょうえん)は典雅な色調の女性風俗によって閨秀(けいしゅう)画家の第一人者となった。官展系では鏑木清方(かぶらききよかた)が江戸中期浮世絵の伝統から独自の風俗画を完成し、平福百穂(ひらふくひゃくすい)は詩情ある画風を達成した。土田麦僊(つちだばくせん)、村上華岳(かがく)らは官展で認められず、離反してヨーロッパの後期印象派からの影響も受けながら、個性ある作風を展開した。こうした近代化の一方で、文人画の伝統を追求した者に富岡鉄斎(てっさい)、小川芋錢(うせん)がいる。また新古典主義ややまと絵に反発して、会場芸術を標榜(ひょうぼう)して大作主義を貫いたのが川端龍子(りゅうし)の青龍社であった。
 洋画は、江戸末期の洋風画にその萌芽(ほうが)をみせてはいたが、本格的な洋画の出現は明治10年前後であり、高橋由一(ゆいち)は明治初期の代表作家である。1876年工部美術学校が創設されてアントニオ・フォンタネージが指導にあたり、浅井忠(ちゅう)、小山正太郎(こやましょうたろう)、山本芳翠(ほうすい)らが学んだ。93年にフランスから帰国した黒田清輝(せいき)、久米桂一郎(くめけいいちろう)がもたらした外光派とよばれる印象派風な絵画は新鮮さをもって迎えられ、そこから藤島武二(たけじ)、青木繁(しげる)らのロマン主義的な絵画が生まれた。
 1912年(大正1)9月に印象派・後期印象派の傾向をもつフュウザン会が誕生、14年には官展に対する不満から二科会が創立され、以後、群立する在野集団の先駆けとなった。こうして大正期の絵画は、岸田劉生(りゅうせい)、萬鉄五郎(よろずてつごろう)、関根正二(しょうじ)、村山槐多(かいた)、熊谷守一(くまがいもりかず)、竹久夢二(ゆめじ)などきわめて個性的な画家たちによって彩られる。
大正から昭和にかけて、里見勝蔵(かつぞう)、佐伯祐三(ゆうぞう)、林武(たけし)、鳥海青児(ちょうかいせいじ)らによってフォービスム絵画が日本に定着した。シュルレアリスムは昭和初年に福沢一郎によって紹介され、三岸好太郎(みぎしこうたろう)や古賀春江(はるえ)に影響を及ぼした。官展系のなかでも大正から昭和にかけて自己様式の完成を示した画家に、坂本繁二郎(はんじろう)、安井曽太郎(そうたろう)、梅原龍三郎(りゅうざぶろう)がいる。安井・梅原は昭和前期の洋画界を二分する代表作家といわれた。
 第二次大戦後の画壇は各美術団体の展覧会によって活気を帯びてくる。国際的な視野が開けてくるのは1950年代からで、各種国際展への参加によって、世界美術の傾向が日本美術にも反映し、藤田嗣治(つぐはる)、荻須高徳(おぎすたかのり)のように活動の場を海外に求め、そこで高く評価される画家も多くなった。
 1951年(昭和26)神奈川県立近代美術館を皮切りに、近代的設備を整えた美術館の創設が相次ぎ、昭和50年代には地方での公立、私立の美術館設立ラッシュが続いたが、これも一般の美術愛好熱と理解を高めるうえで大きな役割を果たしている。

1868(明治元)
御一新 だんぶくろ 治まるめい(明治をもじる)
1869(明治2)
飛脚船
1870(明治3)
テリガラフ(電信=テレグラフ) 四民平等
1871(明治4)
ドン(正午をしらせる空砲=午砲) 邏卒(見回りの兵卒) 勝手(散髪、脱刀、制服の勝手など)
1872(明治5)
文明開化の七つ道具(新聞、郵便、瓦斯灯、蒸気船、写真絵、博覧会、軽気球) ポリス 陸蒸気
1873(明治6)
血税(徴兵の比喩として)(血税一揆) 検査(徴兵検査)
1874(明治7)
富国強兵 有司専制 天賦人権(天賦人権論) 炊きころび
1875(明治8)
社会(「ソサエチー」の訳語) 巡査 おまわりさん
1876(明治9)
半どん(どんたく) ダンナハイケナイ、ワタシハテキズ
1877(明治10)
なまず(官員、巡査のひげ)
1878(明治11)
猫(芸者、三味線など) 自由民権(自由民権運動) 起死回生
1879(明治12)
賄征伐 ペケ 官員ひげ
1880(明治13)
ヘナチョコ ヨカチョロ 紳商 民権熱 密偵 ランプ亡国論(佐田介石)
1881(明治14)
自由(自由党結成以後、自由亭など) パア 海坊主
1882(明治15)
雪隠演説 板垣死すとも自由は死なず(板垣退助) 女権拡張 月給鳥
1883(明治16)
壮士
1884(明治17)
改良(改良〜) 非職 六区(浅草をさして)
1885(明治18)
馬鹿車(自転車) 一銭蒸気 こりゃなんだい
1886(明治19)
ワルス(ワルツ) 西洋フハッション(ファッション)
1887(明治20)
鹿鳴館時代 エープリル・フール
1888(明治21)
帝国(会社名などに) 〜です(遊郭ことばの一般化)
1889(明治22)
万歳三唱 千石不磨の大典
1890(明治23)
エレベートル 十二階(陵雲閣) パノラマ インフルエンザ 醜議員(衆議院、大量の選挙違反で)
1891(明治24)
縁かいな 敵は幾万 民法出デテ、忠孝亡ブ
1892(明治25)
院外団 博愛 ありがたや 〜でがんす
1893(明治26)
速記術
1894(明治27)
金鵄勲章うけあいだね 日本大勝利 伏兵 ちゃちゃらかちゃん
1895(明治28)
臥薪嘗胆 バリカン カツレツ
1896(明治29)
いばりやんす スキ駆ケ
1897(明治30)
ハイカラ、バンカラ
1899(明治32)
ビヤホール 弁士 かかあ天下
1900(明治33)
自由廃業 ストライキ 心機一転
1901(明治34)
二十世紀 社会主義 七重の膝を八重に折り
1902(明治35)
〜てよ、〜だわ、〜のよ(女学生ことば)
1903(明治36)
人生不可解(藤村操「厳頭之感」) アジアは一つなり 恐露病
1904(明治37)
露探 紺屋の明後日、旅順の数日後 天に代わりて不義を討つ 軍神
1905(明治38)
皇国の興廃この一戦にあり 天気晴朗なれど波高し
1906(明治39)
廃兵 いちれつ談判、破談して(お手玉唄)
1907(明治40)
自然主義 美顔術 増税 女学生の隠語「ビューブル」(詰まらぬ男が美男ぶる)、「シューサイ」(醜哉)、「須磨の浦」(マスターベーションのマスを逆さにしたもの)
1908(明治41)
浮華軽佻 出歯る(出歯亀より) ああわからない
1909(明治42)
なんて間がいいんでしょ 馬鹿なやつじゃ
1910(明治43)
逆徒 八百長
1911(明治44)
新しい女 元祖女性は太陽であった 千里眼 高等遊民
1912(大正元)
諒闇(りょうあん)不景気(天皇喪中の不景気) 大正維新 オリンピック
1913(大正2)
玉座を胸壁、詔勅を弾丸(尾崎行雄の桂太郎内閣批判)
1914(大正3)
流行歌 まっくろけのけ 大正景気
1915(大正4)
銀ブラ 宙返り
1916(大正5)
民本主義(デモクラシー) 是々非々 缶詰爆弾
1917(大正6)
人道主義(ヒューマニズム) きょうは帝劇、明日は三越 映画(活動写真から呼び名が変わる) インフレーション
1918(大正7)
過激派 平民宰相(原敬) 女一揆(米騒動)
1919(大正8)
サボ(サボタージュ) ビール党 ペラゴロ(浅草オペラの常連)
1920(大正9)
示威運動(デモンストレーション) 溶鉱炉の火は消えたり
1921(大正10)
プロレタリアート 二枚舌 軍縮 一蓮托生
1922(大正11)
恋愛の自由 赤化(赤化防止団) 民衆芸術
1923(大正12)
流言蜚語 この際だから(関東大震災被害者から) アナーキスト
1924(大正13)
のんとう(漫画「ノンキナトウサン」) 綱紀粛正
1925(大正14)
軍教 トロッキスト(トロツキズム) 寄らば斬るぞ 猟奇
1926(昭和元)
モガ・モボ(モダンボーイ、モダンガール) 銀ブラ犯罪 ラジオ(無線から無銭飲食) 神出鬼没 福本イズム(福本和夫) 文化〜(文化なべ、文化住宅など)
1927(昭和2)
イット(性的魅力) シャン 何が彼女をそうさせたか 大衆 どん底
1928(昭和3)
人民の名において 怪文書 狭いながらも楽しい我が家
1929(昭和4)
大学は出たけれど 緊縮 モダンライフ
1930(昭和5)
ルンペン アチャラカ エロ・グロ・ナンセンス OK シック 男子の本懐
1931(昭和6)
いいじゃありませんか アメション 生命線 電光石火 減俸 テクシー メンタルテスト
1932(昭和7)
話せばわかる 問答無用 欠食児童 自力更正 挙国一致 時局 青年将校 赤色ギャング 特高(特別高等警察) 認識不足 ファッション 王道楽土 非常時
1933(昭和8)
ヅカガール(宝塚歌劇団) 転向 ナンセンス
1934(昭和9)
司法ファッショ(帝人事件) 明鏡止水 昭和維新 日本人ここにあり
1935(昭和10)
二人は若い ソシアル・ダンピング 弥栄(いやさか) 豊作貧乏 国体明徴
1936(昭和11)
今からでも遅くない 前畑ガンバレ!!(前畑秀子) サダイズム お宅の旦那は大丈夫? とんがらがっちゃ駄目よ ああそれなのに 尊皇討奸 準戦時体制
1937(昭和12)
トーチカ 持てる国と持たざる国 馬鹿は死ななきゃなおらない 日陰の村 国民精神総動員 千人針 挙国一致 尽忠報国 腹切り問答(広田弘毅内閣) 食い逃げ解散(林銑十郎内閣) 恋の逃避行
1938(昭和13)
〜を相手とせず 新秩序 代用品 統制 大陸の花嫁 抱き合わせ 没法子(メイファーズ) マル公 黙れ!
1939(昭和14)
複雑怪奇 日の丸弁当 総親和 鍬の戦士 産めよ殖やせよ国のため 靖国の母 一日戦死 一汁一菜 オカアサン、カチマシタ
1940(昭和15)
舌の新体制 耐乏生活 バスに乗り遅れるな 千載一遇論 紀元二六〇〇年 八紘一宇 南進(南進政策) 聖戦 科学する心 一億一心 節米 臣道実践 万世一系 祝い終わった さあ働こう 大政翼賛(大政翼賛会)
1941(昭和16)
子宝報告 月月火水木金金 ABCD対日包囲陣(ABCDライン) 産業戦士 徒食は恥だ 勤務秩序確立 勤労総動員 生産力増強 ニイタカヤマノボレ 幽霊人口 あの旗を撃て! 進め!一億火の玉だ
1942(昭和17)
職域奉公 敵性語 非国民 欲しがりません勝つまでは 見えざる敵を防げ イエスかノーか 軍神 空襲なんぞ恐るべき ご同慶の至り
1943(昭和18)
トンネル会社 タマネギ生活 撃ちてし止まん 買い出し 物々交換 国民相場 元帥の仇は増産で
1944(昭和19)
鬼畜米英 大和一致 戦争かぜ 疎開 代用食 特配 特攻(特攻隊) 勝ち抜くためにカボチャを作りましょう イースト菌
1945(昭和20)
本土決戦 一億玉砕 ピカドン 虚脱状態 一億総懺悔 進駐軍 四等国 ギブ・ミー・チョコレート 洋モク
1946(昭和21)
タケノコ生活 あ、そう 五〇〇円生活 カムカム英語 赤バット、青バット(川上哲治) バクダン焼酎 かすとり パンパン アメちゃん
1947(昭和22)
裏口営業 そのものずばり 陰の声 土曜婦人 アプレゲール ブギブギ 世直し 乱闘国会 不逞の輩 ゼネスト GIベイビー 青空教室 尋ね人
1948(昭和23)
てんやわんや 老いらくの恋 鉄のカーテン 冷たい戦争(冷戦) 斜陽族 こんな女に誰がした 個人として ノルマ バタフライ、全スト(ストリップショー)
1949(昭和24)
アジャパー 筋金入り 吊し上げ 駅弁大学(大宅壮一) 竹馬経済 ギョッ 暁に祈る ワンマン(吉田茂) トイチ ノー・モア・ヒロシマ(原水爆禁止運動) ガチャ万コラ千 夜バイト 厳粛な事実 人生は劇場だ 自転車操業 フジヤマのトビウオ(古橋広之進)
1950(昭和25)
とんでもハップン 金へん・糸へん 特需景気 レッド・パージ エチケット ナイター BG ニコヨン アルサロ 曲学阿世 自己批判 ネバー好き わてほんまによういわんわ 一辺倒 ディスインテリ 二五時 三八度線朝鮮戦争 零号(ゼロゴウ)
1951(昭和26)
アナタハン 社用族 ノーコメント 三等重役 折伏 三越にはストもございます エントツタクシー 逆コース(吉田茂) 天野勅語 老兵は死なず(マッカーサー) 親指族 プーバイ(符売) 戸締まり論
1952(昭和27)
黄変米 復古調 ヤンキー・ゴー・ホーム 火炎びん さかさくらげ 赤線・青線 アメション パンマ 恐妻 言うてみてみ、聞いてみてみ エッチ プー太郎 PR
1953(昭和28)
電化元年 八頭身 コネ さいざんす 家庭の事情 バッカじゃなかろうか クルクルパー 三十娘 戦後強くなったのは女と靴下 プラス・アルファ バカヤロー解散(吉田茂内閣) さんずい(汚職) キセルモノ(インチキ商品)
1954(昭和29)
えらいことになりにけり わたしはどうしましょう むちゃくちゃでござりまするがな ロマンスグレー 〜章もの  空手チョップ(力道山) 死の灰 流言蜚語 吉田デフレ 台風手形 燗頭の急務 リベート 戦力なき軍隊(自衛隊)
1955(昭和30)
ノイローゼ 最低ネ、最高ネ 頼りにしてしまっせ 抵抗族 ソーラー族 兵隊の位 お手伝いさん タレント マスコミ CM オールドリベラリスト 数量景気 春闘 オランコリー 特出し(ストリップショー)
1956(昭和31)
マネービル 戦中派 ドライ ウェット デラックス エレガント 一億総白痴化(大宅壮一) 太陽族(太陽の季節) 黒線 あなた買います キングサイズ ちょっとピンぼけ シスターボーイ
1957(昭和32)
カリプソ 三種の神器(白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫) グラマー ファニーフェイス ケ・セラ・セラ 団地 決定的瞬間 神武景気 永すぎた春 よろめき 何と申しましょうか 低姿勢 ストレス
1958(昭和33)
いかす ハイティーン ローティーン シビれる イヤーな感じ 団地族 ながら族 ビジネス特急 圧力団体 低音の魅力 ベッドタウン 神様・仏様・稲尾様 私は貝になりたい
1959(昭和34)
パパは何でも知っている タフガイ 岩戸景気 〜ルック アフターサービス がめつい 消費革命 曲がり角 マダムキラー セクシー
1960(昭和35)
安保反対(安保闘争) 私はウソを申しません 所得倍増 声なき声 トップ屋 異議なし 全学連 ナンセンス 高姿勢 インスタント(インスタント食品) 金の卵 家つきカーつき婆抜き
1961(昭和36)
レジャー プライバシー わかっちゃいるけどやめられない 申し訳ない 不快指数 六本木族 ムード 高度成長(高度成長政策) インスタント トサカにくる 渋滞 地球は青かった(ガガーリン) ありがたや 何でも見てやろう(小田実) 銀行よさようなら、証券よこんにちは トリスを飲んでハワイに行こう!(サントリー)
1962(昭和37)
人づくり 無責任時代 ハイそれまでよ(青島幸男) 吹けば飛ぶような スイスイ 総会屋 当たり屋 青田買い スモッグ 交通戦争 産業スパイ スカッとさわやか(コカ・コーラ) 現代っ子 ビジョン 残酷物語 いっぱいやっか 流通革命
1963(昭和38)
バカンス 押し屋 番長 ハッスル カワイコちゃん いいからいいから 三ちゃん農業 SF お呼びでない ガチョーン かっこいい 気にしない かもね 公害 ちーとも知らなかった なんである、アイデアル 巨人・大鵬(大鵬幸喜)・卵焼き
1964(昭和39)
根性 俺についてこい ウルトラC  コンパニオン いいと思うよ トップレス カギっ子 アイビー族 OL 録勉 不定愁訴 みゆき族 前がん症状
1965(昭和40)
期待される人間像 しごき マジメ人間 ベ平連 007(フレミング) 過密都市 夢の島 エスカレート 団地サイズ ファイトでいこう マイホーム モーレツ社員 やったるで
1966(昭和41)
黒い霧 びっくりしたなーもう いいじゃなーい ダヨーン ゴマする 遺憾に存じます クロヨン(9.6.4) トウゴサン(10.5.3) 核の傘 交通戦争 ボカァしあわせだなあ マッチポンプ 原宿族
1967(昭和42)
対話 かっこいい フリーセックス ボイン ハプニング 未来学 核家族 蒸発 戦無派 シンナー遊び 順法闘争
1968(昭和43)
昭和元禄 ハレハレ ハレンチ ズッコケる 失神 サイケデリック 大衆団交 とめてくれるな、おっかさん ゲバルト ゲバ棒 ノンポリ ノンセクト タレント候補 構造汚職 太平ムード ピーコック革命 ポップ ライフサイクル 拒絶反応
1969(昭和44)
はっぱふみふみ あっと驚くタメゴロー ニャロメ 造反有理 やったぜ、ベイビー オーッ、モーレツ!! エコノミックアニマル 欠陥車 告発 しこしこ 疎外 ちんたら ナンセンスドジカル フォークゲリラ 悪のり
1970(昭和45)
怨 ハイジャック ウーマン・リブ スキンシップ 鼻血ブー ドバッ へどろ シラケ 内ゲバ おぬしやるな 生活かかってる 人間性の追求 ppm やったぜセニョール モーレツからビューティフルへ 隣の車が小さく見えます
1971(昭和46)
脱〜 ニアミス がんばらなくっちゃ フィーリング 〜もあるでよう ゴミ戦争 ディスカバージャパン 日本株式会社 アンノン族 ヘンシーン
1972(昭和47)
恥ずかしながら 三角大福(三木武夫・田中角栄・大平正芳・福田赳夫) 日本列島改造(田中角栄) 総括(連合赤軍事件) あっしにはかかわりのねえことでござんす 知る権利 ナウい 未婚の母 同棲時代 恍惚の人(有吉佐和子) のんびりゆこうよ バイコロジー 若さだよ、やまちゃん
1973(昭和48)
石油ショック(オイル・ショック) 省エネ じっと我慢の子であった 日本沈没(小松左京) ちょっとだけよ あんたも好きねえ いまなんどきですか ユックリズム 週末ぐうたら モノ不足 終末
1974(昭和49)
便乗値上げ 狂乱物価 千載一遇 超能力 それはいえる 晴天のヘキレキ ゼロ成長 諸悪の根元 節約は美徳 日曜大工 ベルばら 金脈と人脈(田中金脈問題)
1975(昭和50)
赤ヘル 乱塾 オヨヨ あんたあのこのなんなのさ ワタシ作る人、ボク食べる人 中ピ連 おじゃま虫 自宅待機 ちかれたびー ひと味ちがいます 複合汚染(有吉佐和子) ライフサイクル 植物人間(植物状態) 落ちこぼれ
1976(昭和51)
灰色高官(ロッキード事件) 記憶にございません 揺れるまなざし はしゃぎすぎ 〜さんちの〜君 構造汚職
1977(昭和52)
円高 魚ころがし 翔んでる たたりじゃー シルバー族 よっしゃよっしゃ ルーツ(ヘイリー) 飛んでれら、死んでれら デノミ
1978(昭和53)
サラ金(サラリーマン金融) ナンチャッテ アーウー 不確実性の時代 嫌煙権 家庭内暴力 試験管ベビー(体外受精) 足切り 田中軍団
1979(昭和54)
ウサギ小屋 口裂け女 ワンパターン 夕暮れ族 激〜 エガワる 地方の時代 天中殺 インベーダー オジン・オバン ダサイ M資金 電話っ子 ギャル 熟年
1980(昭和55)
カラスの勝手でしょ クレーマー家族 五無主義 昭和ひとけた病 竹の子族 それなりに クリスタル族 低成長 赤信号みんなで渡れば怖くない
1981(昭和56)
デリーシャス フルムーン ウッソー・ホント・カワイイ(三語族) ロリコン ぶりっ子 エレファントマン なめんなよ バイチャ えぐい 人寄せパンダ
1982(昭和57)
気持ちンよか ほとんどビョーキ 気配り ネアカ・ネクラ なめたらいかんぜよ 逆噴射 タケちゃんマン ひょうきん族 ルンルン まいっちんぐ 〜倍楽しむ法
1983(昭和58)
いいとも おしん タコがいうのよ 〜の輪 発展途上人 不沈空母(中曽根康弘内閣) 平常心 やるっきゃない ニャンニャン 軽薄短小 義理チョコ 戸塚る いわゆる、ひとつの いかにも一般大衆の喜びそうな ダサイタマ 積木くずし
1984(昭和59)
いっきいっき パフォーマンス 教官! キャピキャピ スキゾ、パラノ 疑惑の銃弾 かい人21面相 くれない族 ピーターパン・シンドローム 国易私難
1985(昭和60)
金髪 カエルコール おニャン子 私はこれで会社をやめました ダッチロール 奇跡の生還 うざったい やらせ 新人類 マニュアル人間
1986(昭和61)
究極 プッツン マジ オチャメ とらばーゆ 亭主元気で留守がいい ヤリガイ 知的水準 レトロ
1987(昭和62)
私を〜に連れてって マルサ(伊丹十三) 地上げ屋 懲りない〜 グルメ フリーアルバイター 美少女 サラダ記念日 ワンフィンガー 朝シャン
1988(昭和63)
しょうゆ顔、ソース顔 DINKS くうねるあそぶ ぬれ落ち葉 自粛 ドーピング ペレストロイカ
1989(平成元)
オバタリアン マドンナ セクハラ(セクシュアル・ハラスメント) おたく族 山が動いた おじさん改造講座 三過ぎ家族 マスオさん現象 逆タマ コクーン人間 ツーショット イタメシ
1990(平成2)
ボーダーレス バブル崩壊 成田離婚 オヤジギャル アッシーくん ミツグくん ぶっとびー
1991(平成3)
PKO(平和維持活動) 若・貴(若乃花・貴乃花) 管理野球 火砕流 結婚しないかもしれない症候群 テレクラ族 目がハート 逆タマ婚 おやじキッズ
1992(平成4)
ほめ殺し(東京佐川急便事件) ミンボー(伊丹十三) 冬彦さん現象 リクルート難民
1993(平成5)
規制緩和 リストラ(リストラクチャリング) シカト ねえ、チューして ジュリアナ現象 〜系 Jリーグ(日本プロサッカーリーグ) サポーター 清貧
1994(平成6)
価格破壊 すったもんだがありました イチロー 同情するなら金をくれ 就職氷河期 ドリカム現象 コギャル ゴーマニズム ヤンママ チョー(超)言葉「チョームカツク」
1995(平成7)
ボランティア元年 ポア(オウム真理教事件) がんばろうKOBE(阪神・淡路大震災) 無党派 変わらなきゃ マインドコントロール 官官接待 ライフライン
1996(平成8)
援助交際 シャネラー ゲーマー ジミ婚 自分をほめてあげたい メークドラマ ストーカー
1997(平成9)
チャイドル 複雑系 パパラッチ 個人ぐるみ イケてる 失楽園 透明な存在であり続けるボク