2004 01/08 21:22
Category : 日記
年が明けてはじめて読んだ新聞に船橋のこんな四文字で結ばれるコラムが載っていた。
船橋の屈託のなさすぎる国際情勢分析はともかくも
あらためて思い知らされたのは、この国が海洋国家なのだという事実。
時差2時間。国土の10倍の海洋面積。
年明けの気分に浸れないままに新聞もテレビのニュースも閉じて
小説だけを読みながら過ごしてきた正月休みだが
ここらで年明けとしたい。
夜と昼を逆にして10日。
さすがに昼の光が恋しくなってきた。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
以下は
http://www.asahi.com/column/funabashi/ja/TKY200401080129.html
からの転載。
南鳥島。「153°59’11”E 24°
16’59”N」
午前5時27分。
東の海から太陽が昇った。
オーッ、浜の上のどよめきが、ザーッ、波の
音に吸い込まれた。
お日様はなかなかの役者だ。演出家だ。ま
ず、空を茜(あかね)色に染め、それから橙
(だいだい)色に焦がす。カーテンを開けるの
はそれからだ。出た、と思ったらそれは雲に反
射した光だった。気を持たせる術も心得てい
る。それから徐々に頭をもたげるが、右に揺れ
たり左に膨らんだり、忍術まで操る。最後は思
い切りよく、赤光の火の玉、尻まで全部丸裸で
お出ましだ。この間、2分。
島民の半分近くが浜辺に繰り出し、日本で一
番早い元旦の日の出を拝んだ。ここは日本で一
番東の端の島である。島に5度も所長として勤
務し、元旦の日の出を何回も見てきた気象庁南
鳥島気象観測所の前田光喜所長が隣で言った。
「ここでこんな完璧な日の出を見たのは初め
てです」
顔は朝陽(あさひ)で火照っている。そんな
風に年賀の言祝(ことほぎ)が交わされる。
厳密には島民はいない。交代勤務の政府職員
のみである。海上自衛隊12人、海上保安庁
10人、気象庁14人、全員男性の計36人。
ケータイもインターネットも通じない。それ
がいまでは最果て、なのかもしれない。
◆◇◆◇◆
午前7時。海上自衛隊(南鳥島航空派遣隊)の隊員が飛行場滑走路で清掃作
業を始めた。
石ころやカタツムリのようなアフリカマイマイを一つ一つつまんでいく。
パチンコ玉をエンジンが吸い込めば飛行機が落ちる、と隊員は教わる。飛行
機の離着陸の日には必ずこの作業を行う。根気の要る仕事だ。
午前8時。国旗掲揚。
隊員が隊舎前に整列した。隊長の宇野憲弘3佐の「あげっ」の合図で「ラッ
パ譜君が代」吹奏と合わせてゆっくりと掲揚。ラッパ手はいない。音はカ
セットテープからだ。毎朝、この時刻に行う。快晴。気温23.3℃。
終戦後、先の戦争でここを哨戒基地としていた日本軍は米駆逐艦上で降伏
調印した。1968年、小笠原諸島返還。この島も日本に還ってきた。
午前8時半。
気象庁職員が、水素ガスを込めた高層気象観測ゾンデを上げた。毎日朝夜2
回、欠かさない。空高く上がり、ほぼ2時間後に破裂する。その間、気温、
気圧、風速、風向きなど情報を地上に送信してくる。
二酸化炭素、地上オキシダント濃度の大気汚染観測は地上測量である。こ
こは一番近い小笠原諸島からも1千キロメートル以上離れている太平洋上の
絶海の孤島だ。人間社会の色と匂(にお)いの影響を受けない地球データが
得られる。それは全世界にあまねく提供される。「気象に国境はありませ
ん」と気象官の一人は言った。「気象官にも国境はありません」と付け加える。
島の中央に、海上保安庁のロランCサービス用アンテナがそびえ立ってい
る。高さ220メートル。電波を使って漁船や商船に自分の位置を知らせる
航行支援システムである。1日24時間、継ぎ目のない勤務態勢だ。衛星に
よるGPS(全地球測位システム)時代になったが、日本の漁船5万隻、商
船5千隻がなお利用している。この航行支援電波網にすき間をあけないよ
う、日本は中国、韓国、ロシアと協力している。
週1便、月1隻、必需品や生鮮食料品が運び込まれる。問題は水である。
天水貯水池と海水淡水化装置が命綱だ。戦前、駐屯した日本兵はスコールが
来そうになると体にせっけんを塗りたくって待ったという。風呂には入れな
いためだ。島では海上保安庁の宿舎に泊めてもらった。これも礼儀かと思
い、持参したペットボトルの水を飲み、夜、シャワーを使うのは遠慮した。
◆◇◆◇◆
南鳥島へは朝日新聞社機「あすか」で羽田から直接、飛んだ。沖の方から中
へと、インク、コバルトブルー、紺、藍(あい)、空色、ターコイズブ
ルー、薄緑と、光や背景の具合で海の色は青色の虹のように変化(へんげ)
して見えた。島のまわりを真珠の首飾りのようにサンゴ礁の白波が縁取って
いる。
午後、出発。硫黄島へ1100キロメートル飛び、そこから沖ノ鳥島ま
で、南西へ600キロメートル、足を延ばした。北回帰線より南にある日本
唯一の領土である。
そこだけぽっかりと口を開いた青緑の海にドーナツ状の円盤が浮かび上
がっている。サンゴ礁の上の凸型に突き出た二つの島が浸食されたため、そ
れを鉄板の消波ブロックで囲い、コンクリを流し込み、保護するとりでをこ
しらえた。そうしないと広大な排他的経済水域(EEZ)を失うおそれがあ
る。10年以上前の工事の際に使ったヘリポートと作業棟はそのまま残して
あった。
沖ノ鳥島は、南鳥島と違い無人島だが、どちらもサンゴ礁が隆起して太平
洋のど真ん中にひょっこり首を出した孤島である。サンゴ礁のおかげで日本
はこんなにも広い海域を手にしている。サンゴ礁をもっと大切にしなきゃ、
それから時々は島に声をかけてやらなくちゃ、と何かとても済まない気持ち
になった。
こんなことも考えた。
日本中みな同じ時間であるのは不自然だ。最東端の南鳥島は内地より1時
間早くていい。その逆に、最西端の与那国島は1時間遅くていい。この両者
の間の距離は3千キロメートルを優に超えている。2時間の時差を導入して
はどうだろう。日本の海域の広がりとたくらみをもっと認識するためにも。
◆海を拓き、守り、繋ぐことの大切さ
実際、日本は広い。
地図をながめ、南鳥島、礼文島、波照間島、沖ノ鳥島、与那国島の島々を
線でつないでみる。日本は東西、南北、ともに長い。南鳥島も沖ノ鳥島も小
笠原諸島、つまり東京都に属するが、前者は亜熱帯、後者は熱帯である。
国土の面積は37万平方キロメートルだが、領海・経済水域は447万平
方キロメートル、国土の10倍以上もある。世界で6、7番目の海域大国
だ。その経済水域の3分の1を小笠原諸島の海域が占める。南鳥島は半径
200海里の円形分、まるまる稼ぎ出す。沖ノ鳥島は一部他の水域と重なる
が、ここもしっかり貢いでいる。ところが、そうした視点は政策でも教育でも
希薄だ。日本の多くの地図はこれらの島々を「分図」で扱っている。
日本から浜辺がなくなり、海岸線が消えていく。どんな小さな港も消波ブ
ロックで岸壁を塗り固める。海をゴミで冒涜(ぼうとく)し続ける。親は子
供を海で泳がせなくなった、海辺で遊んだことのない子供たちが増えてい
る、とある調査報告は指摘している。
日本の漁獲量はここ20年で、近海もの、遠洋ものいずれも半分に減ってし
まった。水産物自給率は53%に過ぎない。私たちの祖先が海から得てきた
恵みと知恵、海と育んできた伝統と文化が失われつつある。
90年代に新たな国際海洋法秩序が現れたのに、日本は海で生産する資源
と海上の輸送についての総合的な海洋政策も国内体制も大幅に遅れている。
もう一度、四海に幸を求める「四海開国」の海洋戦略を打ち立てる時であ
る。
まず、海を開くことだ。
◆◇◆◇◆
日本海もオホーツク海も魚たちはアムール川から運ばれてくる栄養を糧に
して成長する。その源はシベリアの森である。東シナ海の魚は、長江がもた
らす低塩分の真水に潤される。その源はチベットの大雪である。日本近海の
魚の多くは東シナ海で産卵する。ここは魚の揺りかごなのである。海と森
と、人間と魚とプランクトンとの共生、それによる漁業資源の持続的な利用
と開発、そして、周辺国すべてに海の幸が行き渡るための海の平和と安定。そ
れらを作り出し、海を開く。
次に、海を守る気概を持つことだ。
米国との同盟関係を維持し、米国とともにアジア太平洋の平和と安定に寄
与する。太平洋の平和は日本の平和にほかならない。南鳥島も硫黄島も、助
けを求める漁船、漁民の救難、小笠原諸島島民の急患対応などを重要な任務
としている。「例年、正月、餅がのどにつかえた父島のお年寄りをヘリでこ
こまで運び、厚木からの飛行機に乗せて東京の病院に担ぎ込む。幸い今年は
平穏な元旦でした」と海上自衛隊の硫黄島駐在幹部は言った。日本の東と南、
外敵の心配はまずない。日米同盟故である。
しかし、他の海では、ミサイル、工作船、環境破壊、領土紛争などが日本の
安全を脅かしている。拉致もあった。密輸と密航と麻薬、いずれも海から
入ってくる。海上保安庁の仕事も「救難から治安」へと力点を移さざるを得
ない。
ただ、一つ忘れてならないのは、日本の島々に日本人が住み続けることが
もっとも確実な海の守りだということだ。それでこそ海域を守ることもでき
る。
最後に、海をつなぐ構想を描くことだ。
日本は戦後の出直しに当たって、島国根性を反省し、海洋国家として再び開
国するとの誓いを新たにした。島国から海洋国家への視座の転換を行った。
こうした考えは、大平内閣の環太平洋構想へとつながり、さらにはAPEC
(アジア太平洋経済協力会議)として実を結んだ。アジアと太平洋の融合
は、今後とも日本の歴史的な役割であり続けるだろう。
同時に、アジア、なかでも東アジアの地域主義を育てる機会が広がってき
た。日本海と東シナ海のそれぞれの周辺国の経済と文化の文明的交差を促す
ために日本は大きく貢献できるはずだ。
日本とアジアの文明形成の上で海はかけがえのない要素となるに違いな
い。台頭する陸の大国、中国に対して、日本は海の大国としての「違い」と
「強み」を打ち出すことがこれまで以上に求められるだろう。「航海の自
由」を維持し、海のアジアの平和と安定をつくりだし、中国もそこに組み入
れる。海を自らの文明の糧とし、平和と繁栄の礎とし、戦略と外交の軸とす
る。
2004年。そうした「四海開国」の幕開けである。
(2004/01/08)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
船橋の屈託のなさすぎる国際情勢分析はともかくも
あらためて思い知らされたのは、この国が海洋国家なのだという事実。
時差2時間。国土の10倍の海洋面積。
年明けの気分に浸れないままに新聞もテレビのニュースも閉じて
小説だけを読みながら過ごしてきた正月休みだが
ここらで年明けとしたい。
夜と昼を逆にして10日。
さすがに昼の光が恋しくなってきた。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
以下は
http://www.asahi.com/column/funabashi/ja/TKY200401080129.html
からの転載。
南鳥島。「153°59’11”E 24°
16’59”N」
午前5時27分。
東の海から太陽が昇った。
オーッ、浜の上のどよめきが、ザーッ、波の
音に吸い込まれた。
お日様はなかなかの役者だ。演出家だ。ま
ず、空を茜(あかね)色に染め、それから橙
(だいだい)色に焦がす。カーテンを開けるの
はそれからだ。出た、と思ったらそれは雲に反
射した光だった。気を持たせる術も心得てい
る。それから徐々に頭をもたげるが、右に揺れ
たり左に膨らんだり、忍術まで操る。最後は思
い切りよく、赤光の火の玉、尻まで全部丸裸で
お出ましだ。この間、2分。
島民の半分近くが浜辺に繰り出し、日本で一
番早い元旦の日の出を拝んだ。ここは日本で一
番東の端の島である。島に5度も所長として勤
務し、元旦の日の出を何回も見てきた気象庁南
鳥島気象観測所の前田光喜所長が隣で言った。
「ここでこんな完璧な日の出を見たのは初め
てです」
顔は朝陽(あさひ)で火照っている。そんな
風に年賀の言祝(ことほぎ)が交わされる。
厳密には島民はいない。交代勤務の政府職員
のみである。海上自衛隊12人、海上保安庁
10人、気象庁14人、全員男性の計36人。
ケータイもインターネットも通じない。それ
がいまでは最果て、なのかもしれない。
◆◇◆◇◆
午前7時。海上自衛隊(南鳥島航空派遣隊)の隊員が飛行場滑走路で清掃作
業を始めた。
石ころやカタツムリのようなアフリカマイマイを一つ一つつまんでいく。
パチンコ玉をエンジンが吸い込めば飛行機が落ちる、と隊員は教わる。飛行
機の離着陸の日には必ずこの作業を行う。根気の要る仕事だ。
午前8時。国旗掲揚。
隊員が隊舎前に整列した。隊長の宇野憲弘3佐の「あげっ」の合図で「ラッ
パ譜君が代」吹奏と合わせてゆっくりと掲揚。ラッパ手はいない。音はカ
セットテープからだ。毎朝、この時刻に行う。快晴。気温23.3℃。
終戦後、先の戦争でここを哨戒基地としていた日本軍は米駆逐艦上で降伏
調印した。1968年、小笠原諸島返還。この島も日本に還ってきた。
午前8時半。
気象庁職員が、水素ガスを込めた高層気象観測ゾンデを上げた。毎日朝夜2
回、欠かさない。空高く上がり、ほぼ2時間後に破裂する。その間、気温、
気圧、風速、風向きなど情報を地上に送信してくる。
二酸化炭素、地上オキシダント濃度の大気汚染観測は地上測量である。こ
こは一番近い小笠原諸島からも1千キロメートル以上離れている太平洋上の
絶海の孤島だ。人間社会の色と匂(にお)いの影響を受けない地球データが
得られる。それは全世界にあまねく提供される。「気象に国境はありませ
ん」と気象官の一人は言った。「気象官にも国境はありません」と付け加える。
島の中央に、海上保安庁のロランCサービス用アンテナがそびえ立ってい
る。高さ220メートル。電波を使って漁船や商船に自分の位置を知らせる
航行支援システムである。1日24時間、継ぎ目のない勤務態勢だ。衛星に
よるGPS(全地球測位システム)時代になったが、日本の漁船5万隻、商
船5千隻がなお利用している。この航行支援電波網にすき間をあけないよ
う、日本は中国、韓国、ロシアと協力している。
週1便、月1隻、必需品や生鮮食料品が運び込まれる。問題は水である。
天水貯水池と海水淡水化装置が命綱だ。戦前、駐屯した日本兵はスコールが
来そうになると体にせっけんを塗りたくって待ったという。風呂には入れな
いためだ。島では海上保安庁の宿舎に泊めてもらった。これも礼儀かと思
い、持参したペットボトルの水を飲み、夜、シャワーを使うのは遠慮した。
◆◇◆◇◆
南鳥島へは朝日新聞社機「あすか」で羽田から直接、飛んだ。沖の方から中
へと、インク、コバルトブルー、紺、藍(あい)、空色、ターコイズブ
ルー、薄緑と、光や背景の具合で海の色は青色の虹のように変化(へんげ)
して見えた。島のまわりを真珠の首飾りのようにサンゴ礁の白波が縁取って
いる。
午後、出発。硫黄島へ1100キロメートル飛び、そこから沖ノ鳥島ま
で、南西へ600キロメートル、足を延ばした。北回帰線より南にある日本
唯一の領土である。
そこだけぽっかりと口を開いた青緑の海にドーナツ状の円盤が浮かび上
がっている。サンゴ礁の上の凸型に突き出た二つの島が浸食されたため、そ
れを鉄板の消波ブロックで囲い、コンクリを流し込み、保護するとりでをこ
しらえた。そうしないと広大な排他的経済水域(EEZ)を失うおそれがあ
る。10年以上前の工事の際に使ったヘリポートと作業棟はそのまま残して
あった。
沖ノ鳥島は、南鳥島と違い無人島だが、どちらもサンゴ礁が隆起して太平
洋のど真ん中にひょっこり首を出した孤島である。サンゴ礁のおかげで日本
はこんなにも広い海域を手にしている。サンゴ礁をもっと大切にしなきゃ、
それから時々は島に声をかけてやらなくちゃ、と何かとても済まない気持ち
になった。
こんなことも考えた。
日本中みな同じ時間であるのは不自然だ。最東端の南鳥島は内地より1時
間早くていい。その逆に、最西端の与那国島は1時間遅くていい。この両者
の間の距離は3千キロメートルを優に超えている。2時間の時差を導入して
はどうだろう。日本の海域の広がりとたくらみをもっと認識するためにも。
◆海を拓き、守り、繋ぐことの大切さ
実際、日本は広い。
地図をながめ、南鳥島、礼文島、波照間島、沖ノ鳥島、与那国島の島々を
線でつないでみる。日本は東西、南北、ともに長い。南鳥島も沖ノ鳥島も小
笠原諸島、つまり東京都に属するが、前者は亜熱帯、後者は熱帯である。
国土の面積は37万平方キロメートルだが、領海・経済水域は447万平
方キロメートル、国土の10倍以上もある。世界で6、7番目の海域大国
だ。その経済水域の3分の1を小笠原諸島の海域が占める。南鳥島は半径
200海里の円形分、まるまる稼ぎ出す。沖ノ鳥島は一部他の水域と重なる
が、ここもしっかり貢いでいる。ところが、そうした視点は政策でも教育でも
希薄だ。日本の多くの地図はこれらの島々を「分図」で扱っている。
日本から浜辺がなくなり、海岸線が消えていく。どんな小さな港も消波ブ
ロックで岸壁を塗り固める。海をゴミで冒涜(ぼうとく)し続ける。親は子
供を海で泳がせなくなった、海辺で遊んだことのない子供たちが増えてい
る、とある調査報告は指摘している。
日本の漁獲量はここ20年で、近海もの、遠洋ものいずれも半分に減ってし
まった。水産物自給率は53%に過ぎない。私たちの祖先が海から得てきた
恵みと知恵、海と育んできた伝統と文化が失われつつある。
90年代に新たな国際海洋法秩序が現れたのに、日本は海で生産する資源
と海上の輸送についての総合的な海洋政策も国内体制も大幅に遅れている。
もう一度、四海に幸を求める「四海開国」の海洋戦略を打ち立てる時であ
る。
まず、海を開くことだ。
◆◇◆◇◆
日本海もオホーツク海も魚たちはアムール川から運ばれてくる栄養を糧に
して成長する。その源はシベリアの森である。東シナ海の魚は、長江がもた
らす低塩分の真水に潤される。その源はチベットの大雪である。日本近海の
魚の多くは東シナ海で産卵する。ここは魚の揺りかごなのである。海と森
と、人間と魚とプランクトンとの共生、それによる漁業資源の持続的な利用
と開発、そして、周辺国すべてに海の幸が行き渡るための海の平和と安定。そ
れらを作り出し、海を開く。
次に、海を守る気概を持つことだ。
米国との同盟関係を維持し、米国とともにアジア太平洋の平和と安定に寄
与する。太平洋の平和は日本の平和にほかならない。南鳥島も硫黄島も、助
けを求める漁船、漁民の救難、小笠原諸島島民の急患対応などを重要な任務
としている。「例年、正月、餅がのどにつかえた父島のお年寄りをヘリでこ
こまで運び、厚木からの飛行機に乗せて東京の病院に担ぎ込む。幸い今年は
平穏な元旦でした」と海上自衛隊の硫黄島駐在幹部は言った。日本の東と南、
外敵の心配はまずない。日米同盟故である。
しかし、他の海では、ミサイル、工作船、環境破壊、領土紛争などが日本の
安全を脅かしている。拉致もあった。密輸と密航と麻薬、いずれも海から
入ってくる。海上保安庁の仕事も「救難から治安」へと力点を移さざるを得
ない。
ただ、一つ忘れてならないのは、日本の島々に日本人が住み続けることが
もっとも確実な海の守りだということだ。それでこそ海域を守ることもでき
る。
最後に、海をつなぐ構想を描くことだ。
日本は戦後の出直しに当たって、島国根性を反省し、海洋国家として再び開
国するとの誓いを新たにした。島国から海洋国家への視座の転換を行った。
こうした考えは、大平内閣の環太平洋構想へとつながり、さらにはAPEC
(アジア太平洋経済協力会議)として実を結んだ。アジアと太平洋の融合
は、今後とも日本の歴史的な役割であり続けるだろう。
同時に、アジア、なかでも東アジアの地域主義を育てる機会が広がってき
た。日本海と東シナ海のそれぞれの周辺国の経済と文化の文明的交差を促す
ために日本は大きく貢献できるはずだ。
日本とアジアの文明形成の上で海はかけがえのない要素となるに違いな
い。台頭する陸の大国、中国に対して、日本は海の大国としての「違い」と
「強み」を打ち出すことがこれまで以上に求められるだろう。「航海の自
由」を維持し、海のアジアの平和と安定をつくりだし、中国もそこに組み入
れる。海を自らの文明の糧とし、平和と繁栄の礎とし、戦略と外交の軸とす
る。
2004年。そうした「四海開国」の幕開けである。
(2004/01/08)
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