ことしの最後のディレクション
それにしてもあの熱意には感心するしかない。
またか、と出かかるコトバをのみ込んだいちばんのワケは
おもちゃを前にした子どものような好奇心にみちた顔。
「どうですか?できるかな」と笑顔を向けられれば
否!と吐くのは難しかった。

好奇心に加え、ひょいと顔を出す強い不安。
そしてカタチにしていくことへの強烈な渇望。

「技術屋」の直喩のような人だな、と
SONYPCLで今年最後の3D編集をしながら
共感をおぼえはじめている自分に気づいた。

そういうことにもっと早く気づけていたら
ここまでの道がいくらかはおだやかなものになっていた?

スタジオで居眠りがとまらない制作スタッフのくたびれた顔を見ながら、そう思った。

予想以上に郵船博物館の仕事にのめりこんだことが
スタート時のエンジン不調になり、
それが一年、尾を引きづけた。

どこかで
まだいいじゃねえか
まだおれの仕事じゃないというタカのくくり方があって
その引いた自分と相手との温度調整をし損なっていたのだ。

つまりだ。

自業自得。
自縄自縛。

思い返せば一年前の26日だかに
満を持して提出したつもりの企画を真っ向から切り捨てられたとき
矢面に立って唇噛みしめたのは彼だった。
前日に電話をしてきて
「いっしょにサクラダ゜ファミリアに行きましょう」と笑ってから24時間後に
彼はたたきのめされていたのだ。
悔しかったのはおれではなく、彼。

にもかかわらず、
なぜおれを残して再スタートする気になったのか。
その後一年、接してきりきり舞いさせられながら
いつも気持ちのどこかにひっかかっていた。

クライアント3人、代理店4人、制作スタッフ9人
総勢16人が狭いスタジオの中にひしめいているのを
見ながらそんことを思い浮かべていた。
東京はことしはじめての冬らしい底冷えのする一日で
日本の各地では大雪のニュースが飛び交っていた。

今日は東京テレビセンターで音の仕込みのあと、Mix。

途中経過報告の試写とはいえ、
この一年の混迷の到達点にいのちを吹き込む。
だれも試みたことのない映像にだれも聴いたことのない音が5.1サラウンドで配される。

勝つか負けるかはもういい。

おまえでいいよねと一年間託されてきたのだと
遅ればせながら昨夜になって思い知った。
ことし最後の力攻めをしようと思う。
彼が一点の曇り無く戦えると自信をもてる
そういう武器を手渡してやろうと思う。

ジ・アースを仕上げたテレセンで
プレゼンとはいえ、あれ以来の仕上げである。

日本晴れ。午後2時。