緋牡丹と唐獅子
4時から新宿の打ち合わせに参加。挨拶も兼ねて。
山田部長、羽田部長たちから労いを。
石丸教授も喜んでくれていたと福田さんから。

メッセージビデオは新聞CMと同じ20日解禁。
TV-CMは末から。

帰りに、ねぎしで相馬さん、中山さん、夏苅さんたちと麦とろを食べる。
ほんとうはどこかゆっくりした場所に連れていって
慰労したかったが、つまらぬ「仕事」が待っているのであきらめる。

てんとまるの無い「仕事」に切り替えながら
熱が醒めると、三日前まで昂ぶりとともに見ていた映像が
どれも玩具のように見えてくることに気づかされる。
「どう?」と言いたい相手も、
「どうだ!」と励ましたい自分もいない。
ひたすら早く目の前の義務を始末したい。
ウエブにアップしておいたあれこれ、
デスクトップに残しておいたここまでのファイル、ムービー、ピクチャー合計150ギガバイトを
すべてごみ箱に捨てた。
さらに「完全に消去する」を選んだ。

この後は、静かな気持ちで「頼まれた」範囲だけを処理していく。
長いこと仕事してきたが、ここまで共感するものを見失ったのははじめての体験。

くそのような時間をくそのように過ごすだけ。
ま、得難い経験ではあるが。

17日の夜、東京に戻れば「愉しいMA」ですよ、
と中山に囁かれた。悪魔の囁きに聞こえた。
天使の誘いに聞こえた。

見切り時を誤ってさえいなければ、
こんな不甲斐ない時を過ごす事もなかったが。

自業自得では、ある。
夏のはじめに、さらば、と告げるべきだった。
あのときにスーツに袖を通しネクタイで首絞めたこと
それがすべての間違いだった。

昨日、二通のメールをまったく別々のメーリングに宛てた。
朝は天国気分の一通。夜は地獄に落ちた一通。

思い浮かべた歌。
ひさしぶりの藤純子「緋牡丹博徒」。

  ♪ むすめごころをとせいにかぁけぇてぇ

車の中で鼻歌を歌いながら、
なんだかおかしかった。唐突すぎて。
なぜ「唐獅子牡丹」ではなかったのか?

などと考えているうちに
すべてがバカらしくなってあくび。
また、涙がこぼれた。
喜怒哀楽とかかわりのない涙というのは
ほんとうに間抜けなものだ。
とりかかっている「仕事」にふさわしくはあるが。