深い意味はないのだが
   高空の月を眺めていると
   しみじみ秋である。


「ないちゃだめ」
パンドラがとほうにくれていると、
小さな声がしました。

「だいじょうぶよ、わたしがついているから」
声は箱の中からきこえます。

「あなたはだあれ?」
パンドラはおそるおそるたずねました。

「わたしは『きぼう』です。
人間が『わざわいに』まけないよう、
おてつだいをします。
くるしいとき、かなしいとき、こまったときは、
どうかわたしをよんでください。
わたしはいつも、あなたたちの心の中にいます」

パンドラは「きぼう」のおかげでげんきをとりもどし、
またエピメテウスとなかよくくらしはじめました。

「きぼう」はパンドラだけのものではありません。
わたしたちが、くるしいとき、かなしいとき、こまったときに、
くじけず、あきらめずにいきていけるのは、
心の中の「きぼう」が、なぐさめ、
はげましてくれるからなのです。

ほら、ごらんなさい。
雪がふり、風がふきつける、寒い冬。
でも、春はもうそこまできているのです。

 歌野晶午「世界の終わり、あるいは始まり」


  いま暴発するより
  試しておきたいことがあるのだ。

  だから、「その後のパンドラ」

  明日は、満月。


  ま、いいじゃねえか。